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第二十五話「蝕闇」

 城からの帰り道はすっかり夜になっていた。

 アルクを乗せた馬車は、人目を避けて林の中を進む。空は昼間から続く曇りで月明りは届かない。ランタンの灯りは頼りなく、数メートル先は漆黒に沈んでいた。


(……くそっ!)

 馬車の中、アルクは激しい後悔と自己嫌悪に頭を抱える。


 王を殺せる最後の機会だったかもしれないというのに、それを棒に振ってしまった。許す気など更々無いというのに、そう解釈されてもおかしくないことをしてしまった。


(何故だ……何故私は……)

 殺せなかった理由は、明確には分からない。病に侵された父の姿に同情を抱いたから、とは思いたくなかった。そんなのは母に対する裏切りも同然だからだ。


(私は今まで、何のために……)


 アルクはずっと、王と王妃に復讐するためだけに生きてきた。

 その先に母の夢見た和平を望みもしたが、例えそれが叶わなくとも、あの二人を自らの手で苦しめ葬り去ることができれば、自分の命には価値があったと思えただろう。


 なのに、殺せなかった。

 母を奪った憎い男の首が、無防備に目前に曝されていたというのに、殺せなかった。


(母上の仇も討てないなら、私は何のために生きている? 母上を殺したあいつらに媚びを売ってまで生きてきたのは、何のためだ?)


 後悔と嫌悪の後に待っているのは、虚無感。

 アルクは復讐を放棄したことで、自分の存在意義を自分自身で否定してしまった。


 王が語った母の罪も、アルクに自分を見失わせる要因の一つとなっている。


 ――『彼女が我が国の軍事情報を奪おうとしていた痕跡が、確かに残っていたのだ』


 それが本当なら、彼らの惨い行いに正当性を与えてしまう。


(違う、違う! 母上は殺されていい人ではなかった! 母上は、)


 ガタン!


 突然、馬車が大きく揺れた。馬が鳴く。

 何の構えも出来ていなかったアルクは、馬車の壁に強かに背を打ち付けた。


「アルク殿下! お逃げくださ――ぐっ、」


 途切れる護衛の声。肉を断つ音。血のにおい。

 アルクは一瞬で状況を理解した。息を潜め、腰の剣に手をあてる。そして外の気配を探りながら、勢いよく扉を開け放った。


 外にいたのは、顔を布で覆い隠した三人の男。その手に握られている剣は、ぬらぬらと赤に濡れていた。足元には四人の護衛の内、二人が倒れている。白目を剥いた彼らは既に息をしていなかった。


 闇討ちだ。それも、相手は中々の手練れらしい。ただの賊ではないだろう。

 アルクは乱れたままの感情を無理矢理押さえつけ、敵に向き合う。


(また王妃の差し金か?)

 忍んで行動していたが、どこかで気付かれたのかもしれない。


 アルクは剣を抜き、陽力を込めた。まるで月が落ちて来たかのように辺りが明るくなる。アルクは生き残った護衛達に背を預け、敵と向かい合った。


 だが次の瞬間、背中に焼けるような痛みが走る。


「うっ……!」


 思考が追い付かないまま、体だけが反射的に動いた。アルクは足を踏み込み、勢いよく前に出る。背中に突き刺された剣が抜け、血飛沫をまき散らした。振り返ればそこには、血濡れた剣を携えた味方――否、裏切り者の姿。


 城へ同行させた護衛は、サイラスが選定した信頼のおける者だけ。それも、全員が黎明の鷹に属している。王妃に寝返ったとは思えない。


 再び迫りくる剣を、アルクは弾き飛ばした。剣が放つ陽光を浴び、裏切り者は手に火傷を負って、後方に飛び退く。その周りに顔を隠した男達が集結した。気付けばもう一人の護衛も彼らの側に付いている。


 アルクの方には、誰一人生者はいなかった。


「おやおや王子サマ。裏切られるなんて思ってもみなかった! という顔ですねえ。どうしてご自分にそこまでの人望があると思い上がれるのか、俺達にはさっぱり分かりませんよ」

 一人の男が前に歩み出て、笑いながらそう言った。笑ってはいるが、その瞳にはこれまでの暗殺者には無い怒りが燃えている。


「お前達は何者だ?」

「誇り高き救世軍。黎明の鷹の志士」

「何だと? なぜ鷹の者が私に、」


「あんたが邪魔だからだよ!」

 男の怒鳴り声が夜を割いた。


「あんたみたいなのが和平の象徴だと? 笑わせるなよ。“出来損ないの王族”がしゃしゃり出て来やがって! サイラスもサイラスだ。あいつはもっと賢かった筈だが、今じゃあんたの小間使いに成り下がってる。なあ、その綺麗なお顔で、あいつをどうやって誑かしたんだ?」


 アルクを貶すためだけの、下衆な笑いが巻き起こる。

 黎明の鷹の中には、アルクを認めていない者も少なくはない。彼らもそうなのだろう。


 アルクはこれまで、組織の計画が上手くいくよう持てる知識を惜しみなく使ってきた。王政に反感を持つ貴族に声をかけ、協力者を増やすこともしてきた。復讐に利用しているとはいえ、ずっと黎明の鷹のために動いてきたのだ。そんなアルクを殆どの者が慕っている。


 それでも、そもそも王族というだけで嫌悪を抱く者もいれば、アルクの特殊な出生をおぞましく思う者もいた。


 だが――目の前の男達から感じる敵意は、とてもそれだけとは思えない。

 アルクの疑問を察したように、男は血眼で言う。


「俺達はなあ、あんたが“過激派”と称して処分した奴らの生き残りだ。仲間の仇は討たせてもらうぜ」

(……生き残り? 仇、だと? 一体何を言っている?)


 魔獣騒動を起こした過激派。彼らには処分を下さず、様子を見るにとどめた筈だ。アルクのその判断にサイラスも同意を示していた。


「待て、処分とは何のことだ」

「あ? とぼけるんじゃねえ! あんな……見せしめのように殺しておきながら! お前がサイラスに指示したんだろう! じゃなきゃサイラスは仲間を手に掛けたりはしねぇさ!」


(サイラスが……殺した?)


 アルクの中で、知ったつもりでいた従者の像が揺らぐ。


「覚悟しろ!」

 男達は、アルクに一斉に切りかかっていった。




 *




 ――静まり返る夜更け。リリアナは学院を守る結界を調べるため外に出ていた。

 学院の敷地はリリアナの背丈の倍はある高い壁に囲まれており、結界はその外側に張られている。リリアナは守衛のいない場所を探し、その壁を飛び越えた。


 暗い夜を優しく照らす、光の膜。陽力で張られたこの結界は、相反する魔力を弾き返すものだ。スパイ防止のために、学院にも王城にも主要な場所には張られている。

 冬季で脆弱になっていると聞いていたが、手を近付けるだけで痺れが走った。混血であるリリアナがこれでは、純血の夜族であるアビスが潜り込むのは相当困難だろう。


(どんな手を使ったんだ? 以前の魔獣騒動も、アビスが何かしたのか?)

 リリアナはアビスの実力や動向を把握しておきたかった。

 何を考えているか分からないあの男が、またレティシアに手でも出したら……面倒だからだ。大人しく待っていればきちんと任務をこなして戻ると言ったところで、話が通じる相手ではない。


(わたしが早くアルクを連れて、ここを去ればいいだけか)


 ふう、と白い息を空に吹きかける。

 雲は風に流され、切れ間から月が顔を覗かせた。


 白く輝く丸い月。雲の向こうは晴れていて、夜空は青みがかった黒に澄んでいる。

 冷たくて優しい月光を浴び、リリアナは目を閉じた。瞼の向こうに浮かぶのは月によく似た青年の姿。


「アルク様」

 男爵令嬢を演じている時のように彼のことを呼んでみる。すると、何故か少しだけ寒さが薄れた。


 あと何度、この名前を呼ぶことになるのだろうか。


 今日の放課後、何も言わず花園に訪れなかった彼。またエレナといたのかもしれないな……と考えていたその時――ザリ、と結界の向こうで地面を踏む音が聞こえた。リリアナはその場を去ろうとしたが、感じた気配がよく知ったものであることに気付き、足を止める。


 揺らめく影。暗闇に浮かび上がった月色の髪。香る、血のにおい。


 その姿を認めるや否や、リリアナの体は勝手に動いていた。魔力を抑えこみ結界を押し通ると、前に倒れ込む体をぎりぎりのところで抱きとめる。


「アルク様!」

 リリアナの呼びかけに、アルクの反応はない。ただ浅い息を繰り返すばかりだ。リリアナはアルクを支えた手が濡れていることに気付く。血だ。見れば彼の衣服にべったりと付着している。それが全て彼自身のものだったら、と考えて心臓が冷えた。


「まさか、ここまでしぶといとはなあ」

 アルクを追うように現れた人物。それは顔を布で覆った手負いの男だった。……過激派の“最後”の残党である。


 男はアルクの傍にいる少女に僅かに躊躇いをみせるものの、もう後戻りはできないと言わんばかりに剣を構え、アルクに向かって走り出そうとした。


「これで終わりだ! ――あ?」

 男は足を止める。アルクを抱いていた少女が、壁となるように立ち塞がったからだ。


「おい女、邪魔だ。お前も殺すぞ」

 男は睨みを効かせて脅す。だが少女は震えること無く、静かな目で男を見据えていた。そして次の瞬間、



 男に飛び掛かっていった。




 ……朦朧とする意識、遠のいていく感覚。その中でも、アルクは確かに見た。リリアナが素早く男の懐に入り、鳩尾を蹴り上げるところを。前に屈む男の頭を両手で掴んで、その首を直角に曲げるところを。

 骨が折れる乾いた音が、夜に響いた。


 どさ、と地面に落ちる男の体。リリアナの姿がその場から消える。アルクは再び、彼女の温もりに包まれていた。


「アルク様……どうしてあなたがこんな目に」

 か細い声が降り注ぐ。アルクは霞む目で彼女を見上げた。月明りで逆光となり、その表情は分からない。


 何故、とアルクも思う。


 ――何故、君が私を助けるのか。

 私を生かしたまま、何かに利用するためなのか。


 偽りの顔で惑わし、目的のために近付くリリアナ。

 色よい言葉で飾り、隠し事をしていたサイラス。


 ……この世界は、何も信じられない。


 アルクはリリアナを押しのけようとした。だが上手く力が入らない。傷口が開き、痛みに顔を歪める。リリアナはアルクが混乱状態にあると察し、優しくその手を握った。


「アルク様、落ち着いてください」

 夢の中から響くような柔らかな声に、アルクの力が抜けていく。


「アルク様、わたしの目を見て」

 月に雲がかかる。アルクはリリアナの顔がはっきりと見えた。彼女は自分が怪我でもしたみたいに、辛そうな表情を浮かべている。


 ゆらゆら揺れる、水気のある瞳。アルクはそれに溺れる。


「もう大丈夫です。あなたを襲った人は、“あなたが”倒してしまいましたから。少しだけ、眠りましょう」

 頭を撫でる手。それがどんなにぎこちなくとも、今のアルクには世界で一番心地よかった。昔、母にそうされたことを思い出す。


「母上……」

 アルクの呟きにリリアナは目を見開いた。まるで自分の心の声かと錯覚するそれに、動揺を隠せない。



 やがてアルクは目を閉じ、静かな寝息を立て始めた。魔眼の効果である。リリアナはふうと息をつき、アルクを抱え上げ学舎の方へと戻った。


 リリアナがアルクを助けたのは、アルクが死んでしまっては任務が果たせなくなるからだ。今から標的を変えるのは骨が折れる。……だから、絶対に死なせる訳にはいかないのだ。


 リリアナはアルクをどこに連れて行くべきか悩んだ。医務室は深夜にはやっていないし、男子寮の彼の部屋に連れて行くといっても、彼の部屋の場所を知らない。それに、そこが彼にとって本当に安全な場所かは分からない。


 思案に暮れ立ち尽くすリリアナは、学舎横の礼拝堂に人の気配を感じ、近くの茂みに隠れる。


 礼拝堂の扉が開いた。そこから出てきたのはエレナだ。聖女の仕事は祈りを捧げることだというが、こんな時間までご苦労なことである。


(……彼女なら、安全だろう)

 恋に疎いリリアナでも、エレナのアルクに対する想いは本物だと感じていた。一つ一つの視線が、仕草が、彼女の美しさが、それを如実に物語っている。


 リリアナはアルクをその場に横たえようとした。が、彼の手はリリアナの衣服をしっかり掴んで離さない。まるで母に縋る幼子のように。

 リリアナは堪えるように目を細め、アルクの手をゆっくり解くと、わざと物音を立ててその場を離れる。


「誰かそこに居るの? ……アルク様!? アルク様、しっかりなさって!」


 焦ったエレナの声を遠くに聞きながら、リリアナは夜闇に紛れた。

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