第二十三話「元通り」
「もう体調はいいのか?」
「はい、おかげさまで」
アルクの問いに、リリアナは花壇の方を向いたまま答えた。
いつもの花園で、いつも通りベンチに腰掛けるリリアナとアルク。木枯らしに吹かれる二人は、首元にマフラーを巻き厚手の外套を着込んで、肩を寄せ合っていた。だがリリアナは、右肩に感じるぬくもりの本体と、目を合わせることが出来ないでいる。
アルクと会うのは彼が見舞いに来て以来、三日ぶりだ。リリアナの体調はすっかり回復し、レティシアも授業に復帰している。まるでパーティーの夜のことが嘘みたいに、これまで通りの日常だった。
リリアナは今後どうすべきか、考えあぐねている。
命の盟約から解放されたといっても、自由になれた訳ではない。
裏切者に容赦がない夜王は、リリアナが任務を放棄して逃げ出しても、陽族に寝返るようなことがあっても、きっと死の淵まで追い詰めるだろう。夜王やアビスを相手に逃げきれるとは思えない。それに……
(寝返ろうとしたって、ここにわたしの居場所はない)
リリアナが心地良いと感じているこの居場所は、嘘で作り上げられたものだ。正体を明かした瞬間、崩壊する。
「リリアナ、さっきから何を見ているんだ?」
「え? あ……お花……」
しかし、冬の花壇は殺風景だ。
「寂しくなりましたね」
「そうだな。だが、春にはまた一面満開の花が見られる」
「春……」
リリアナの任務の期限は冬。春にはここにはいられない。
それでも、来ることのない季節の気配が、一瞬だけこの花園を包んだ気がした。リリアナは胸を締め付ける感情を振り払うように俯く。
「どうした? やはりまだ体調が万全じゃないのか」
アルクはリリアナに手を伸ばしかけ、我に返って動きを止める。宙に浮かんだままのその袖を、リリアナは無意識に掴んでいた。
「……リリアナ?」
「春なんて、来ない」
「どういう意味だ?」
アルクは脅かさないように逃がさないように、静かに尋ねる。リリアナは何かを言いかけ、やめ、言葉を選び直した。
「……アルク様は年が明けたら、卒業されてしまうじゃないですか。そうしたら、もうこうして会うこともできなくなります。一緒に春を迎えられないんだなって思ったら、悲しくなって」
リリアナは、自分の口から飛び出した言葉に呆れた。
(は……本当に自分が嫌になる。生きる意味も無いのに、死にたくないらしい)
ただ自分自身が生きたいが為に、目の前の男を犠牲にしようとしている。
「リリアナ……」
「いいんです。分かっています。いつまでも一緒には、いられないって。アルク様には相応しい方がいて、卒業後には……ご結婚、されること」
リリアナは涙を浮かべて彼を見る。妙に演技に熱が入った。まるで本心みたいに。
「あの……以前、街でしたお願い、覚えてますか?」
「――勿論だ。冬期休暇、君と一日を過ごす約束だろう」
「はい。その日は全て忘れて、王子じゃないただのあなたとして、わたしと二人でいて欲しい……です」
“夜が明けるまで、隣にいてください”と小声で囁き、そっと彼の肩に頭を凭れるリリアナ。アルクはビクリと体を跳ねさせた後、小さく頷いた。
「分かった。必ず君との時間を作ろう」
「嬉しいです」
……もう、後戻りはできない。
*
パーティーから一週間が経った頃、アルクとリリアナの噂は以前にも増して囁かれるようになっていた。パーティー中、どこか上の空だったアルク。リリアナが病欠した日には、女子寮の近くで彼を見た者もいるという。
当初はリリアナが一方的に迫っていると思われていたが、皆の間で、その認識が変わりつつあった。
第三王子は、田舎者の男爵令嬢に本気だ、と。
――午後最後の授業が終わり、早々と教室を出たリリアナを、レティシアはパタパタと追いかける。そして隣に並ぶと、一日の不満を爆発させた。
「ほんっっっとに、噂って嫌ですね! どうして皆、そんなに他人のことが気になるのでしょうか!?」
(あなたも人のことは言えないだろう……)
レティシアの言う噂とは、リリアナとアルクのものであり、また自身とセシルのものでもあった。パーティー以降、リリアナ達ほどではないにしろ、レティシアも好奇の目に晒されている。
「リリアナ様方はともかく、あたしとセシル殿下は何でもないのに!」
「そうなんですか?」
「あっ、リリアナ様まで!」
リリアナの知る限り、ここ最近のセシルは女遊びが目立たなくなった。勿論女生徒達を侍らせ、誰彼構わず良い顔をしていることに変わりはないが、一定の距離感を保っているように見える。
とはいえ、彼女達を放ってレティシアの元へ駆けつけるような真似は決してしない。女同士の嫉妬の恐ろしさを理解しているからこそ、レティシアのために他の女生徒をぞんざいに扱わないのだろう……リリアナはそう考えていた。セシルは案外、周囲をよく見ていて気遣いができる人物なのだ。
そんなセシルにリリアナは感心していたが、レティシアは不満そうである。
「あの人は、女の子なら誰でもいいだけですよ!」
リリアナは、そんなことはないと言おうとして、やめた。責任の持てない発言はすべきではない。だが事実なら言っても許されるだろう。
「でもパーティーの日は、医務室でずっと付き添ってくれていたんですよね?」
「そ、そうなんですよ! 断りもなく人の寝顔を!」
顔を真っ赤にするレティシア。それが怒りではないことは明らかだ。
セシルならパーティー当日でも、他にいくらでも相手が見つかっただろう。華やかな夜に、それをせずに医務室に籠っていた彼が、誰でもいいなんてことは無い。
「ま、まあ、少しは優しいところも、あるみたいですけど」
とボソボソ続けるレティシア。
「あたしのことより、リリアナ様ですよ! あの、アルク殿下が女子寮に来たって……本当ですか?」
「噂は嫌なんでしょう?」
「あ、えっと、その」
狼狽えるレティシアに、リリアナは曖昧に微笑んだ。
明るく、素直で、可愛い子。
初めてできた友達。
彼女の元気な様子を確認することができて、リリアナは安心した。
(これで最後――もう今後、彼女に関わるつもりはない)
自分と交友関係を持ってしまったことで、危険な目に遭ったレティシア。関わる必要のない彼女を巻き込んでしまったことを、リリアナは後悔している。
(少しの間だったけど楽しかった。ありがとう)
リリアナがそんなことを考えているとは思いもしないレティシアは、リリアナのあまりに優しい視線に頬を染めた。




