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第二十話「パーティーの夜(後)」

 鋭い刃が肉を割き、衣服に濃い赤が染み出す。


「リリアナ様っ!」

 レティシアの叫び声。顔面蒼白なレティシアを見て、リリアナは手元を誤ったかと思ったが、体の感覚がそうではないと知らせてくれた。


 リリアナは自らの太腿に突き刺した短剣を引き抜き、外套の内ポケットにしまう。

 鮮烈な痛みが、リリアナに理性を取り戻させた。しかしそれでも、アビスの術中に居ることには変わりない。


(早くレティシアを遠ざけなければ……)


「リリアナ様、早く止血、止血を、」

「レティシアさん、落ち着いて」

「な、だって、だめです、死なないでっ」

「……レティシア」

 リリアナが強い口調で彼女を呼ぶと、レティシアは我に返る。リリアナは彼女の頭を両手で包み、自分の方へと向けさせた。レティシアの大きな瞳は涙で溺れている。


「リリアナ様……?」

「わたしの目を見て。話を聞いてくれる?」

「……はい」

「あなたは、ここで誰にも会わなかった。戻って、身なりを整えて、パーティーに戻る。分かった?」

「……でも」

 簡単に頷かないレティシアにリリアナは焦れる。セシルだけでなくまさか彼女にまで、魔眼に対する抵抗力があるなんて。……いや、これは陽力というよりは、彼女の気質か。


「お願い、レティシア」


 わたしが、理性を保っていられる内に。


 リリアナの祈りが通じたのか、レティシアの目が徐々に光を失っていく。彼女は「分かりました」と返事をして、踵を返すと、何事も無かったかのように歩き出した。


 ……これで、彼女にも術を使ってしまった。罪悪感と共にその背を見守るリリアナの横を、黒い風が通り過ぎる。


 レティシアの背後に闇が絡みついた。まるで獲物を捕らえる蜘蛛の如く、その細く長い指がレティシアの首筋に触れた瞬間、彼女の体は力を失い静かに崩れ落ちた。


「レティシア!」

『ここまで陽族に入れ込むなんて重症だね。荒療治が必要だ』

 地面に倒れたレティシアを物のように抱え上げ、アビスはリリアナに近付いて行く。


『さあ、やり直そう。――殺せ』

 リリアナの目前に、レティシアの白い首が曝された。リリアナの思考がまた霞んでいく。


 ……何故、アビスがこのような事をするのか分からない。いや、分かってはいるが理解できないが正しい。アビスにまともな理由など無いのだ。彼はただ暇潰し程度に、それが愉快だからというだけでやっている。ここで陽族を殺すことで、リリアナの任務に支障が生じたとしても、それが夜王の不利益に繋がろうとも、彼は目先の愉悦を優先する。そういう悪魔みたいな男なのだ。


『モドキちゃん、さあ、心を乱すものなんて捨ててしまおう。もう、楽になって良いんだよ』


 甘い囁きが全てを溶かしていく。黒い魔力が、思考を塗り変えていく。……リリアナは、目の前の少女の顔が分からなくなった。戦闘訓練用の魔獣みたいに、いや、部屋に入り込んできた害虫みたいに、忌々しくてちっぽけな存在だ。こんなものに気を煩わせる必要はない。


 リリアナの手が、再びポケットの中の短剣に触れた。

 その時、指先を別の感触が掠める。それはリリアナに、短剣を突き刺した時よりも鋭利な痛みを与えた。



 ――『そのお花、アルク殿下からの贈りものなんですね。……え? どうして分かったか、ですか? ふふ、大切そうにしていらっしゃるから。……あの、よかったら栞にしましょうか? ずっと持っていられますよ』


 彼女の声が、暗闇の中で、花開く。



(……嫌だ)



 嫌だ、嫌だ、嫌だ。わたしは、こんなこと、したくない!


 激しい感情と強い意志が、リリアナの魔力を迸らせた。溢れ出したそれは制御を失い、まるで内側から体を焼く炎のように暴れ回る。


 暴走したリリアナの魔力は、侵入していたアビスの魔力を押し戻した。ドロドロと粘着質で、まるでアビスそのものである彼の魔力。それを全て跳ねのけ、追い出す。


 思考を覆っていた黒い霧が、少しずつ晴れていった。


 ……しかし、まだ何かが残っている。

 制御を離れた魔力がさらに深層へと潜り込み、それを探り当ててしまった。リリアナの心の奥深く、そこにはアビスとは別の魔力が、霧どころではない分厚い膜を張っている。


(どうして?)


 これまで一度も違和感を抱かせなかったそれは――リリアナ自身の魔力だ。リリアナは自らに魔眼の術をかけている。自らを騙している。なんらかの認識を改竄し、思考を操作している。


(一体いつから、なにを……)


 気付いてしまったからには知らないふりなど出来ない。本能の拒絶を振り切り、リリアナは封じられた真実に触れた。




『おーい、モドキちゃん、大丈夫かい?』

 微動だにしないリリアナの前で、アビスが手の平をヒラヒラと振る。

 リリアナの焦点が定まっていく。


『いやあ、ビックリだね。俺の術を振り切るなんて』

『……お帰り下さい。ここで問題を起こしては、あなたも後々面倒でしょう』

『あ? 誰にものを言っている?』

 アビスはレティシアを雑に地面に放ると、リリアナに迫り、外套の襟を掴み上げた。ぶちり、とボタンが弾け飛ぶ。


 色違いの不気味な双眸が、リリアナの顔から、首、寝間着の大きく開いた胸元を這った。心臓の上あたりに視線が突き刺さった時、リリアナの背筋にゾクリと寒気が走る。


(何なんだこいつは、何がしたい?)

 彼の行動は予測できない。ただ一つ分かるのは、満足するまで帰らないだろうということ。魔眼を打ち破られたアビスはまた何かを仕掛けてくる筈だと、リリアナは身構える。しかし、


『まあ、いいや。“目的”は果たせたみたいだから帰るよ。バイバイ』

 アビスはそう言うと、リリアナが拍子抜けするほどあっさり森の闇に消えていった。


(……は?)


 リリアナは暫く呆然としていたが、地面に転がされたレティシアを見て、一気に現実に引き戻される。気を失ったままの彼女を背負い、学院の方へと歩き出した。



 ――講堂の裏手。人気のない倉庫の中に、レティシアを寝かせる。アビスが彼女にかけた術は大したものではない。ただ急速に流し込まれた魔力に、リリアナの術で朦朧としていた意識が切れただけ。少し経てば目覚めるだろう。


 リリアナは誰かに見つからない内にその場を離れた。

 

 寮に戻る道中、ぽつ、ぽつ、と雫が頬を打つ。涙なんて流せたのかと思ったが、ただの雨だった。

 雨は瞬く間に勢いを増し、目も開けていられないほどの勢いになる。リリアナは空を仰ぎ、それを全身で受けた。


 この雨は、森に残った血痕を洗い流してくれるだろう。けれど、今夜の出来事を、何もかも無かったことにはしてくれない。



 びしょ濡れのまま自室に戻ったリリアナは、机の引き出しに手をかけたまま、長いこと逡巡を繰り返した。それを確かめてしまう事が恐ろしかった。これまでの自分を否定することになるからだ。


 しかしまた、僅かな期待にも縋っている。もしかしたら自分は、まだアビスの術中にいて、偽りの記憶を植え付けられただけなのではないかと。それを確かめるために、覚悟を決め、引き出しを開けた。


 手に取った紙束。紐を解き、一枚、一枚、目を通す。

 

 それは最愛の母からの手紙。


 この世界で唯一、本当の自分を愛してくれる存在。


 生きる意味。存在理由。すべて。



「ふ……ふふ、はは、」

 思わず笑いが零れた。



 リリアナの手から一枚、また一枚、パラパラと紙が舞う。

 床はあっという間に白く埋め尽くされた。



 何も書かれていない、ただの白紙の真ん中で、少女はわらった。

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