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第十六話「左右の鼓動」

 アルクは、隣で真面目な顔でマフィンを味わうリリアナを、横目で眺めていた。


 花園には秋の爽やかな風が吹き、揺れる花々が午後の光に煌めいている。心地良い気温、満たされた腹、静かな時間――アルクは、彼女とそんな時間を過ごしていることが不思議でならなかった。


 初めて彼女を見かけたのは、一月以上も前の食堂。

 見慣れない女生徒と目が合った瞬間、アルクは全身が痺れるような感覚に陥った。恐らく本能が、彼女の異質さに気付いたのだろう……と思いたいが、彼女の魔力は上手く抑えられている。感知能力に長けたエレナでさえ気付いている様子はなかった。


 では何故見入ってしまったのか。

 その答えはまだはっきりとは分からないが、一つ言えるのは、彼女の中に母の面影を見ているということだ。


 亡き母とリリアナは、容姿は特に似ていない。髪と瞳の色は似ているが、それだけだ。

 陽族より夜族に多い色として、一昔前まで差別の対象だった黒髪。ソルヴィアでは明るい金髪が、太陽に愛された証として尊ばれている。しかし衆目に全てが曝け出される真昼よりも、覆い隠すような静かな夜は、アルクの心を落ち着けた。

 

 よく食べるところは、まあ母と似ている。貴族の令嬢としては非難されるものだが、見ていて清々しかった。大きな一口は決して下品ではなく、黙々と食事に向き合う姿は気品さえ感じる。何故かリリアナが食べているものは美味しそうに見えて、一緒にいる時、アルクはいつもより食が進んだ。


 あとは――花に向ける眼差しは、そっくりだ。前のめりになって、一つ一つの花をじっくり見つめているところ。雑草と疎まれる花にさえ、美しさを見出すところ。リリアナが萎れても大切にしていたあの花は、母も大好きな花だった。


 知れば知るほど、彼女は母に似ている。

 敵である彼女に母を重ねたくはないが、その抵抗さえ薄れていくほどだ。


(リリアナは、何のために私に近付いたんだ?)


 彼女の目的は、黎明の鷹の中でも信頼のおける者に探らせている。だがまだ掴めてはいない。同時に彼女にかけられた“命の盟約”についても調べているが、術者を殺す以外に解く方法は見つかっていなかった。


 ――彼女のことが、知りたい。

 リリアナ・ローレンスという偽りの姿ではない、本当の彼女を知りたかった。


 マフィンを食べ終えたリリアナは、アルクに見られていることに気付いて、恥ずかしそうにはにかんだ。……こういう彼女はただの演技だと、アルクには分かっている。本来の彼女は恐らく表情に乏しい。


「アルク様、わたしの顔に、何か付いてますか?」

「……いや。今日は、体調はどうかと思っただけだ」

「元気ですよ」

「ならいい」

 リリアナが街のカフェで倒れたのは、もう十日以上も前の事である。だがアルクは、あの時の彼女の苦しみようが頭から離れない。


「アルク様は、結構心配性なんですね」

「そうか?」

「はい。でも、心配してくださるのは嬉しいです。もしまた体調を崩したりしたら……お見舞いに来てくださいますか? 前の怪我の時、本当は待ってたんですよ」

「女子寮は男子禁制だ」

 アルクの真面目な答えに、リリアナはふふ、と笑う。気の抜けたような顔。これは、少しは演技ではないかもしれない。とアルクは思った。


「でも、今は本当に元気なので、また街に連れて行ってくださいね」

「そうだな。予定が合えば、また一緒に行こう」

「はい。……そういえば、この間の親子はどうしてますか?」

「街で会ったあの親子のことか。大丈夫だ、元気にしている」

「そうですか……よかった」

 リリアナは安心した顔で、秋空を仰いだ。

 この国の者を気にかける様子に、アルクは真意が知りたくなる。彼女が本当のことを言うとは限らないが、それでも訊かずにはいられない。


「リリアナ。この国には、ドゥラザークとの戦で困窮している民が多くいる。君はそれについてどう思う?」

「……困っている人達には、胸が痛みます」

 悲しそうな顔を作るリリアナ。実に一般的な女性らしい回答だ。どこか他人事で、問題を自分事として捉えていない。


「そうだな。……いつか争いが終わり、平和な世になると思うか?」

 それは、アルクが自身に問いかけ続ける問いでもあった。今の王政を破壊し、ドゥラザークとの平和条約を結べたとしても、その先に本当に安寧の世が訪れるのかは定かではない。同じ陽族同士でも争いは絶えないのだから。


 リリアナはすぐには答えなかった。考え込むように視線を落とす。

 王族にそう問われた時、ソルヴィアの貴族令嬢らしく振る舞うなら、答えはイエス一択だ。自国の勝利とその後に訪れる安寧を信じていると答えるべきである。

 だが彼女は、そうは答えなかった。


「……終わったら、いいですよね」


 リリアナはベンチから立ち上がり、花壇に向かって歩き出す。


「美味しいものを食べて、いつでも綺麗なお花を見られて、いたい人と一緒にいられて。――そんな幸せが、皆の当たり前になったら、いいですよね」


 寂しげな背中。いつもより低い声のトーン。


 また、この彼女だ。アルクの心をかき乱す、偽りの向こうの少女。


(何故、演技を貫き通さない。これもまた彼女の策略なのか?)


「君は……野心が無いんだな」

「野心?」

「きっと多くの者がそういう普通の幸せ以上を望むから、争いは起きるんだろう」

「……普通の幸せ、でしょうか?」

 リリアナが振り返った。どこか責めるようなその視線に、アルクは居心地が悪くなる。


(普通……ではないか)


 アルクもまた、その幸せを持ってはいない。

 食事に困ることは無くとも、花に囲まれていても、最後のピースが欠けた瞬間、世界は灰色になるのだ。



 赤々と燃える夕陽に追い立てられ、アルクとリリアナは学院へ戻る道を歩いていた。


 その時、角の向こうから話し声が近付いてくる。高く澄んだ声。優雅さの奥に威圧的な響きを含むそれは、エレナのものだ。


 アルクは、リリアナといる時にエレナと鉢合わせになったことはない。例えそうなっても、気位の高いエレナが目下の令嬢に物申すことはないだろうと踏んでいた。きっと平然と、格の違いを見せつけるように挨拶を交わすだけだろう、と。

 これまでリリアナとの関係を訊かれたこともないが、友人だと紹介すれば、疑うことなく受け止めるはずだ。自信家の彼女が嫉妬することはない。


 何の問題も無い。


 だというのに、気付けばアルクは、リリアナの手を引いて近くの茂みに隠れていた。


(……私は、一体、何を、)

 胸元にあるリリアナの頭。濃く香る彼女の匂いに、アルクは混乱した。

 リリアナは静かに身じろぎし、アルクを見上げる。黒々としたまつ毛越しに、丸い瞳が揺れていた。


 ドクン、と鼓動が高鳴る。左にも、右にもだ。

 左のそれは、自分のもの。右のそれは、相手のもの。互いの鼓動に気付いた瞬間、二つは呼応し、更に大きくなる。


 リリアナの反応に、アルクは動揺した。


 まさか彼女は、心臓の動きを自在に操れるのだろうか? 頬の血色も、思いのままなのだろうか? ……いや、そんなことは無い筈だ。


(君は今、何を感じている?)




 永遠にも感じられた時間は、ほんの一、二分。エレナ達の気配が完全に消えると、アルクはリリアナからパッと体を離した。


「すまない、咄嗟に、」

「……アルク様。今のは、エレナ様ですよね?」

 リリアナは、何故エレナから隠れたのか、答えを求めているようだった。アルクは答えに窮する。


 きっと、邪魔されたくなかったのだ。この偽りだらけの心地よい時間を。


「……何か言い訳をするのも、面倒だからな」

「わたし達は、言い訳が必要な関係でしょうか?」

「君はどう思うんだ?」


 リリアナは黙り、それ以上何も言わなかった。




 ――その日の夜、アルクは学院の一室でエレナとディナーを共にしていた。二人は定期的に食事をする約束をしている。アルクは婚約者の義務として、それを粛々と果たしていた。


 テーブルの向かいのエレナは、完璧な所作でナイフとフォークを操り、小さな口に控えめな量を少しずつ運ぶ。


「アルク様、今日の午後の講義は、中々興味深かったですね」

「君の回答に、講師も舌を巻いていたな」

「ふふ。史実と理論を照らし合わせただけですよ」


 才能に溢れ、努力家で、華やかな美貌の持ち主であるエレナ。

 アルクは昔から、誰もが称賛するこの婚約者のことが苦手だった。

 完璧な彼女を前にすると、卑屈な気持ちが勝手に湧き上がる。


 それに何より、エレナの気高さは、彼女の叔母である王妃を思わせた。


「デザートをお持ちしました」

 給仕がたくさんのデザートを乗せたワゴンを運んでくる。彩り豊かに盛られた小さな菓子達を、エレナは素っ気なく見た後で「おすすめのものを」とだけ言った。


(リリアナだったら目を輝かせて、『全部いただいてもいいんですか?』と答えただろうな。あの何とも言えない顔で)

 

 アルクの口元が、自然に緩む。



(……もしかすると、私は洗脳されているのかもしれない)

ここまで読んでいただき有難うございます。

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