第十四話「ルクレアの街(後編)」
アルクと表通りに戻り、暫くぶらぶらしていると、サイラスが一人で戻って来た。親子は新しい職場と住居に向かったという。非力な女子供に出来る仕事に、掃除や洗濯しか思いつかないリリアナは、多分どこかの屋敷に雇われるのだろうと思った。
三人はアルクの行きつけのカフェへと向かう。隠れ家的な店なのか、向かう道はだんだんと細くなり、入り組んだ路地へと変わっていった。街の喧騒は遠く、無意識に声を潜めてしまう。
「あの、こんなところにお店が?」
「ああ。……ここだ」
アルクは、路地の角で足を止める。
そこには古びた印象の小さな店があった。銀の取っ手の木製の扉。ステンドガラスの向こう、店内はよく見えない。ただぼんやりと灯りが揺れているのが分かる。看板は出ておらず、一見何の建物か分かりはしなかった。
サイラスが扉を開けると、チリンと軽やかなベルの音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
音に呼ばれた初老の男――店主が、三人を出迎えた。帽子を取ったアルクに、彼は丁寧に挨拶をする。店主の細い目は、アルクの隣のリリアナを見ると、一瞬だけ興味深そうに見開かれた。
「さあ、お好きな席へどうぞ。ご注文は――おすすめでよろしいですか?」
「ああ、それで頼む」
通された薄暗い店内。数々のランプが、アンティーク調の家具を艶やかに浮かび上がらせている。テーブル、ソファ。カウンターには多種多様な茶器が並べられていた。
家具屋か食器屋にも見えるが、カフェといえばカフェに見えなくもない。
アルクはリリアナを最奥の席へと促し、自らも向かいのソファに腰掛けた。ソファに沈んだ瞬間、たくさん歩いた疲れが一気に出て、リリアナはふうと息を吐く。アルクも疲れていたのか、二人は会話もなく黙って店内を眺めていた。
ほどなくして、店主が二人の前に温かい紅茶を置く。カップからは、ほのかに甘い香りが立ちのぼった。
「ここの紅茶は特別なんだ。飲むと心が落ち着く」
「ありがとうございます」
アルクがカップを手に取ったのを見て、リリアナもそれに倣う。
「……どうした?」
いつまでも口を付けないリリアナに、アルクが首を傾げた。
リリアナがアルクをじっと見つめると、アルクもまた、リリアナをじっと見つめる。
リリアナは、妙な違和感を感じた。
隣の席で息を潜めているサイラス。カウンターの奥からそっと様子を窺っている店主。まっすぐ自分を見ているアルク。どこか空気が張り詰めている。
リリアナはカップの中を覗き込んだ。
(もし……もしも、わたしの正体が彼らに知られていたとして。これがわたしを殺す毒だったりしたら、どうする?)
あり得ないとは思う。
今まで彼らにそんな素振りは無かった。
それにもし、何かの拍子でアルクが魔眼を破り、隣にいた少女が夜族の手先であると気付いたなら、こんな回りくどい方法を取らず騎士団に通報するだろう。
わざわざ街に連れてきて、食事や散策をして、頃合いを見て人気のないカフェに連れてくるなんて、そんな無駄なことをする必要は無いのだ。彼らには後ろ暗いところなんて無いのだから。
でも、もし、万が一にも、そうだったら?
(ここでお茶をぶちまけて、逃走したらどうだろう。逃げ切ることが出来たとして、わたしは任務を放棄した裏切り者になる。今度は夜族に追われるだけだ。そうなれば母も……)
リリアナは瞳を閉じ、カップを持ち上げ、その縁に口を付けた。
知らない味が熱を伴い、リリアナの中に落ちていく。
――静かな店内で、囁くような会話を交わしながら、ティーカップの中身が半分になった頃。リリアナの反応が鈍くなり、目がとろんとし始めた。アルクはじっと観察し、ゆっくり彼女に問いかける。
「リリアナ、眠いのか?」
「……すこし、だけ」
芯の崩れた溶けそうな返答に、アルクはサイラスと目くばせをし、頷いた。
「そうか。なら、楽にしてくれ。……今日は、楽しめたか?」
「はい……こんなの、初めてで」
「……それは良かった。そういえば、先日の怪我は、本当にもう大丈夫なのか?」
「あれくらい……どうってことない、です」
「前にも訊いたが、君は何故、あの女生徒を助けたんだ?」
「思わず、体が……」
「本当は?」
「……わからない。いや、だったから」
「なにが嫌だったんだ?」
「……わからない」
そう言ったリリアナの声は、迷子のように途方に暮れていた。
「そうか。ところで君は、」
アルクはそこでひと呼吸置く。
この先を聞いてしまえば、白黒はっきりするのだ。真実が分かってしまう。
「アルク様」と小声でサイラスに促され、アルクは躊躇う自分を振り切った。
「君は――何をしに学院に来た」
低い声。鋭い目が、リリアナの隠された闇を照らし出そうとする。
「わたしは……」
「君の目的は何だ。何故セシルや私に近付いた」
「……わたし、は、」
そこで、リリアナの言葉は完全に詰まった。
アルクは一瞬、彼女が自我を取り戻したのかと思った。彼女に飲ませた“自白剤”は、抗いようのない力で心の内を曝け出させる恐ろしい秘薬。その効果が持続するのは十分程度。だが、まだ半分も経っていない。
しかし、リリアナの様子は平常とも違った。
彼女の指先が震える。その唇から、掠れた呻き声が漏れた。ぎゅっと目を瞑り、胸のあたりを掴み、体を折って苦しみ悶えはじめる。頭がテーブルにぶつかって、ティーカップがガチャンと音を立てた。
「リリアナ!」
席を立ち、駆け寄るアルク。サイラスもそれに続く。
リリアナは気を失っていた。顔は青白く、汗が滲んでいる。
「これはどういうことだ! アレは体には無害な筈だろう!」
焦るアルクに、店主――魔薬師は眉一つ動かさず、静かに言った。
「ええ。陽族にも夜族にも、恐らくは“彼女”にも無害です。その反応には、別の要因があるかと」
「別の要因……」
サイラスは顎に手を当て、記憶の中から何かを探り当てようとする。
「……お、」
小さな声。それはリリアナのものだ。
僅かに開いた唇が、何かを紡ぐ。
「おかあ、さん」
気を失ったままの彼女から零れ落ちたのは、まるで子供のようなあどけない響きの言葉。ぬくもりを求めて伸ばされた手が、アルクの服をぎゅっと掴む。
幼く、弱く、消え入りそうに母を呼ぶリリアナ。
アルクは、剣で体を貫かれたように動けなくなった。
サイラスは淡々とリリアナの脈を測り、呼吸を確かめる。そして、アルクを掴んでいたその手をやんわり解き、ソファの上に抱き上げると、
「ちょっと失礼」
と言って、リリアナのドレスの胸元を開いた。
「何をして……!」
アルクは反射的に目を背けようとするが、その白い肌に刻まれたものに目を奪われる。
心臓の少し上あたり。赤黒く、焼き印のように刻まれたそれは、呪いの印。
「――驚きましたね。私も実物を見るのはこれが初めてですよ。何て悪趣味な」
サイラスはそれが何であるかを知っていた。
ドゥラザークに伝わる、他者を従属させる禁術“命の盟約”。呪いに縛られた者は、術者が盟約に反しない限り、従い続けなければならない。術者に逆らえば死よりも辛い苦痛を味わうことになる。相手の命を支配する恐ろしい術だ。
恐らくリリアナは、口止めされていたことを話しかけ、呪いに苦しめられたのだろう。
サイラスから呪いの説明を受けたアルクは打ちのめされた。
何も知らず、目の前の少女を苦しめてしまったことに胸が痛む。
――リリアナの行動は、彼女自身の意志によるものではないかもしれない。もしかすると、普段見せているあどけない顔が、本当の顔なのかもしれない。
だが呪いがある限り、リリアナの道は変えられない。
「サイラス、私はどうしたらいい」
アルクの弱々しい問いに、サイラスは敢えて冷たい声で返した。
「それはあなた様が決めることです。店主、毛布をお借りしても? 彼女を寝かせてあげましょう」
「ええ、勿論。どうぞお好きに」
リリアナの乱れた呼吸が、少しずつ落ち着いてくる。
アルクには、ただそれを見守るしかできなかった。




