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第十三話「ルクレアの街(前編)」

 学院から馬車で二時間ほどの場所にある、人と商いの集う街、ルクレア。

 食事を終えたアルクとリリアナはレストランを出た。外に出ると、アルクは深く帽子を被る。素性を知られたくないのだろう。


 知られなければ彼は王子ではない。誰も二人に関心を寄せることはない。この状況に、リリアナは解放感を覚えていた。今だけはどこにでもいるような、ただの男女の二人組(+1)なのだ。


「良い店だったな」

「はい。とても、美味しかったですね(……多分)」

 テーブルマナーに集中していたリリアナは、正直あまり味を覚えていない。


 レストランは王子に招待状を出すだけある高級店で、全室個室、室内には噴水があり、楽器の生演奏が流れていた。

 慣れないリリアナは知識を振り絞り、男爵令嬢らしく振る舞う事に必死だったが、アルクは一つ一つの所作に余裕があり、どこまでも自然で優雅。リリアナは、もし彼と一緒に来ていたのがエレナだったなら、さぞ美しい食事風景だったのだろうなと思った。


「さあ、街を見て回ろう。ここには貴族御用達の宝飾店もある。君が気に入るものも見つかるはずだ」

「はい」


 二人は連れ立って、歩き出す。


 晴れ渡った青空の下では、太陽をシンボルに描いた国旗が堂々と風にたなびいていた。広場を中心に広がる大通りは石畳で整えられ、華やかなドレスの淑女や、背広姿の紳士が行き交い、剣を携えた衛士が巡回している。


 通りには色とりどりの店がずらりと軒を並べ、香ばしい焼き菓子の匂い、甘い果物の匂い、スパイスの効いた料理の匂いが混ざり合っていた。食後だというのに、リリアナは食欲を掻き立てられる。


「新鮮な果物はいかがですか! 国王陛下も召し上がった、今朝採れたての極上の品ですよ!」

 自らの品を誇る、威勢の良い商人の声。楽器を手にした奏者は楽し気に音楽を奏で、大道芸人は各所で妙技を披露し、人々の歓声と拍手を浴びている。

 ルクレアの街は、陽族より五感の優れたリリアナには賑やか過ぎたが、耳障りには感じなかった。


 ――ソルヴィアの王都とその近隣は太陽神の加護が厚く、きわめて栄えている。

 食物はよく育つ上、太陽光を利用した様々な道具が人々の暮らしを豊かにしていた。例えば、季節を問わず快適に過ごせる冷暖房機。人の姿を写し撮る映写機。更には馬車に代わる新たな移動手段まで開発されていると、リリアナは学院の授業で学んでいた。

 ドゥラザークも魔術や魔道具によって発展してきたが、個人の保有量に依存する魔力より、平等に降り注ぐ太陽光は応用範囲が広い。


 しかし華やかなのは王都付近だけ。リリアナは学院への道中でいくつかの街を目にし、その格差を知っている。特に辺境のローレンス男爵領などは活気がなく、建物や地面はあちこちひび割れていた。

 ドゥラザークも内乱続きで荒れていると聞くが、この国にもまた闇があるのだろう。



 露店に近付くと、台に並ぶ様々な品物がリリアナの目を奪った。瑞々しく輝く葡萄、色鮮やかな染め物の生地。冬季の祭り飾りや防寒具も並んでいる。


「何か気になったものはあるか?」

「あ、いえ」

「折角だ、遠慮しなくていい。別の店がいいか?」

 アルクは先日の花の詫びとして、何かを贈りたがっている。リリアナにはそれが分かっていたが、乏しい物欲では何と答えていいか分からない。それに純真無垢なローレンス嬢としても、ここで何かを強請るのは違う気がした。


「わたしはこうして一緒に居られるだけで……あ」

「何か見つけたのか?」

「いえ……その」

 これはチャンスかもしれない。なのに、口が上手く動かない。

 リリアナのその様子は、傍から見れば恋する臆病な少女の躊躇い。しかし実際は、そんなに微笑ましいものではない。


「それでは、一つだけ……お願いを、聞いてもらえませんか?」

「……なんだ?」

「冬季休暇中……一日だけ、わたしにください。冬が過ぎたらアルク様はご卒業されてしまいます。その前に“二人だけ”で居られる時間が、どうしても欲しいのです」


 ここまで言えば、流石に伝わる筈だ。

 誰かのものになってしまう前に、最後に一度だけ、密やかに情を交わしたいのだと。


 お付きのサイラスさえ居ない場所で、二人きりで。



 リリアナの大胆な発言に、アルクは驚いた顔で横のサイラスを見る。リリアナには、二人の間でどのような意思疎通が行われたのかは分からなかったが、数秒の沈黙の後、アルクは微笑んだ。


「ああ、分かった。必ず君と二人で過ごすと約束しよう」

「――ありがとう、ございます」

 リリアナも微笑み返す。先程まで街の様子に華やいでいた心が、一気に灰色になった。


 アルクの全てを、陽の下から奪い去る。

 温かく眩しいその魂を、冷たく暗い闇に捧げる。


 それが、逃れようのない自身の役目。  




 ――それから暫く、リリアナはアルクと街を散策した。沈んだ気持ちを隠すようにいつもより明るく振る舞い、無邪気に美味しそうなパンや菓子に引き寄せられたり、大道芸を見て笑ったりした。


「そろそろ休憩しないか? 落ち着いて過ごせるカフェがある」

 アルクがそう言ったのは、リリアナが履き慣れない靴に疲れを感じ始めた頃だ。リリアナは大きく頷く。両手に抱えているパンの袋が、ガサリと揺れた。それはリリアナがアルクに買ってもらったものである。自分で買おうとしていたところ、アルクがさっさとサイラスに支払わせてしまっていた。


 アルクは両手の塞がった彼女を見て、すっと手を差し出す。リリアナがあまりに大切そうに抱えているため、取り上げるのも気が引けて言い出せなかったが、流石にいつまでも女性に大量の荷物を持たせておくわけにはいかない。明らかに悪目立ちしていた。


 アルクの行動にリリアナはポカンとして……紙袋を一方の手で抱え直すと、空いた片手をアルクの方に伸ばした。


 控えめに掴まれる指。ビクリと跳ねるアルクの手。

 彼もまた、ポカンとした。


 ……数秒の静寂の後、サイラスが耐えきれずに吹き出す。肩を震わせ続ける彼を、アルクが咎めるように見た。


(え?)

 リリアナは何かおかしなことをしてしまったかと、慌ててアルクから手を離す。アルクは咳払いし、ぎこちない顔で「荷物を預かろう」と言うのだった。


(あ、ああ、そういうことか)

 突然手を繋ぎたがるなんてアルクらしくないと思った。と、リリアナは発熱する顔を伏せ、紙袋を差し出す。

 その時、二人の間に勢いよく向かってくる者がいた。


「止まれ!」

 サイラスが不届き者を捕らえようとする。が、それより早くリリアナは一歩下がり、素早くその者の足を払った。


 地面に倒れ「ふぎゃっ」と潰れた声を上げるのは、十歳くらいの少年。汚れた服や、転んだ拍子に脱げてしまったブカブカの靴から、一目で貧しいことが窺えた。


 リリアナの行動に固まっていたサイラスが、こほん、と咳払いをして少年の腕を掴み上げる。


「スリですね。衛兵を呼びましょう」

「待ってください!」


 駆け寄ってきたのは、少年と同じく薄汚れた衣服を纏った女だった。やつれた顔立ちと少年を庇う姿から、一目で母親だと分かる。女は地にひれ伏し、声を震わせて懇願した。


「息子はお腹が空いていて、我慢が出来なかっただけなんです! どうかお許しください! ご慈悲を!」

「母さん、やめろよ! 頭なんか下げなくていい! こいつらは貴族だろ! 神様の加護をぜんぶ独り占めしてる……ずるい奴らじゃないか!」

 少年の声に人々が立ち止まり、親子に非難めいた目を向ける。この様子では衛兵が来るのも時間の問題だ。アルクは、自分を睨み上げる少年を見下ろして、声を潜めていった。


「捕まりたくないなら、大人しくしろ。話は聞く。ただし――ここでは目立ちすぎる。裏通りでだ」


 親子が顔を見合わせた。



 裏通りの空気は、ひんやりと湿っている。

 人の声や気配が遠くにあるのを確認した後で、アルクは親子に、どこからやって来たのかと尋ねた。明らかにこの街の住人ではないからだ。母親の方が、西にある貧しい町の名を答える。


「税も重く、畑も痩せて、夫は戦争から帰らず……生きる術がありませんでした。王都に来れば仕事があるかと……食べものにありつけるかと」

 その声には、疲労と絶望が染みついていた。


 王都は聖女達の結界に護られている。夜族や魔獣に怯えることなく、飢えを知らず、安全と豊かさを享受できる場所だ。だが王都を離れれば、その加護は次第に薄れていく。作物は実らず、若い力は夜族との絶え間ない争いに奪われ、残されるのは飢えと死ばかり。


 この親子もまた、その犠牲の末に王都へと流れ着いた。しかし王都の人々は彼らを迎え入れようとはしなかった。目を逸らし、鼻をつまみ、蔑むように追い払うだけだった。


「俺達が何をしたって言うんだ! 父さんを戦争で奪って……病気の母さんまでこんなに苦しめて……どうしてお前達だけ、楽しそうにしていられるんだ!」

 少年がやせ細った体を震わせ、アルクを睨み上げる。


「俺たちが血を流している間に、王都のやつらは歌って踊って、腹いっぱい食ってやがる! 俺が泥棒なら、神の力を独り占めしてる王族も、貴族も、みんな泥棒、だ……」


 少年の体が、ふらっと傾いた。大きな声を出して体力を消耗したのだろう。そうでなくとも、大の男二人を相手にするのは気を張るはずだ。


 母親に抱きとめられた少年。寄る辺ない母と子の組み合わせは、リリアナの心を締め付ける。リリアナは二人に歩み寄ると、そっと声をかけた。


「……お腹が空いてると、すごく辛いですよね。これ、どうぞ」


 リリアナが差し出したのは、先程アルクに渡しそびれた紙袋。そこから香る香ばしく甘い小麦の香りに、少年は息を呑んだ。警戒も敵意も、全てが食欲の前に消え去る。震える手で紙袋を奪い取ると、中のパンや菓子を貪り始めた。女もまたどうにかリリアナに礼を告げると、次々と口に運ぶ。


「リリアナ……」

 アルクはどこか困った顔をしていた。その視線は優しさに感激しているものではない。リリアナの行いをやんわりと咎めるような色を帯びていた。リリアナは戸惑う。良いことをしたはずなのに、と。


 飲み物もないまま食べ物を詰め込んだ親子は、むせ返る。久方ぶりの食事に胃が耐えきれず、鳩尾のあたりを押さえて苦しげに息をしていた。アルクは二人が落ち着くのを待ってから、膝を折ると、少年に目を合わせて語り掛ける。


「君は、今のこの国は、おかしいと思うか?」

「おかしいに決まってる! 間違ってる!」

「そうか。……サイラス、この二人に仕事を手配しろ。今“あの場所”には、人手が足りていないだろう」

 話を振られたサイラスは目を丸くして、親子とアルクを交互に見た。


「アルク様、本気ですか?……はあ、本気みたいですね。かしこまりました、紹介状を書きましょう」


 サイラスは親子を手招きし、何やら小声で説明を始めた。

 王子の特権をもってすれば、二人の人間の職探しなど造作もないことなのだろう。リリアナの耳が自然とその会話を拾い上げようとした時、アルクが邪魔をした。


「リリアナ、私達は表で待っていよう。君の土産を買い直さなくてはいけない」

「え? ああ……はい」

 外で従者から離れるなんて不用心ではないか、と思ったリリアナだが、昼間だしそんなに気にすることも無いのかもしれない。アルクに大人しく付いて行く。


 リリアナは歩きながら、先程の自分の行動が、いかに愚かだったかを考えていた。


 一時の施しはただの自己満足である。リリアナが食べ物を与えたことで、親子は今日の飢えを凌ぐことはできるが、それだけだ。明日も、明後日も、ずっと先まで面倒を見続けることはできない。


(でも、彼はわたしとは違った)


 アルクは、親子のこれからの事も考えていた。二人が自分達の力で生活できるように、環境を整えようとしている。リリアナは自分とアルクとの差を感じた。権力も、人徳も、何もかも眩しい。


「アルク様はすごいですね」

「何がだ?」

「あの親子のことです。わたしは、食べ物を差し出すことしかできませんでした。でもそれだけじゃ何も変わらない。ただの自己満足。それに比べて、アルク様はすごいです」

 リリアナの言葉に、アルクは居心地悪そうに目を逸らす。


「いや、君の行動は褒められるべきものだ。それに、もし自己満足だというなら私も同じだ」

「そんなことは……」

「この国には、あの親子以外にも大勢の苦しんでいる者がいる。だが私は自分の目に付くところだけ、身を削ることのない範囲で、手を差し伸べることしかできない。自分の周りだけ整えて、善人気取りでいる、ちっぽけで浅はかな人間だ」


 謙遜というよりは、卑屈。これもまた彼の知らない一面だった。

 リリアナはその端正な横顔を黙って見つめる。


「それでもいつか……変えられたらいいと思う。誰も飢えず、安心して平和に暮らせる――そんな世界を、私は願っている」


(誰もが安心して、平和に?)


 ……そんなものは夢物語だ。

 それにもし叶う未来があったとしても、自分や母のこれまでの苦しみは無くならない。


「そうですね」

 リリアナは頷くしかできなかった。

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