第十二話「特別な装い」
アルクとの約束の日がやってきた。まだ待ち合わせには早い時間だが、他にすることもないリリアナは身支度に取り掛かる。
クローゼットの中には、男爵家から拝借した数着の服。お洒落など知らないリリアナは適当に、一番手前のシンプルなワンピースを手に取った。
着替えて、いつもより念入りに髪に櫛を通す。それなりに化粧を施し、完成。
……だが、鏡に映る自分は何だか冴えない。
リリアナは、休日に見かける女生徒達の姿を思い出した。皆、髪型も服装もいつもと違っていて、華やかな装いをしていた気がする。
(どうすればああなるんだ? 飾りを付けてみるか?)
服と共にしまってあったジュエリーボックスを開けて、中を眺めてみるが、どれも大して差が無いように見えた。とりあえず端っこのブローチでいいか、と手を伸ばしたその時。
――コンコン、とドアがノックされる。
(室内清掃の時間でもないのに、誰だ?)
リリアナは警戒しながら、慎重にドアを開けた。そこに立っていたのは一人の女生徒だ。また喧嘩でも吹っかけられるのかと身構えるが、そうではない。リリアナはその少女に見覚えがあった。
幼い印象の丸い輪郭。肩口でカールを描くピンクブロンドの髪。――魔獣に襲われていたところを、リリアナが助けた少女である。
リリアナとは同学年で、貴族の出ではない商家の娘。いつも教室の隅で大人しそうな市民の少女達と固まっていた。
少女は緊張に引き攣った顔で、おずおずリリアナに挨拶をする。
「あ、あの、ローレンス様。レティシア・ノートンです」
「はい……覚えてます」
「本当ですか! 良かったあ。あ、その、今、少しだけお時間よろしいでしょうか?」
「……えっと?」
「あ、ご用があるのは分かっています! ローレンス様がアルク殿下とお出かけになることは、その、か、風の噂で聞きました! それでっ」
(ああ、なるほど。彼女も何か一言物申したいってことか。見るからに真面目そうだから、他人の婚約者に色目を使うような女が許せないのだろう)
リリアナはうんざりするが――
「あたし、どうしてもローレンス様をコーディネートしたくって!」
「……こーでぃ?」
リリアナは想定外すぎる言葉に目を丸くして首を傾げる。レティシアは顔だけは臆病な小動物のまま、リリアナの手をぐっと引き、強引に自らの部屋に連行していった。
サンクタ・ルミナ学院の学生寮は、一人に一部屋が割り当てられている。寮といっても均一ではなく、部屋ごとに広さも作りも異なっていた。
エレナを始め、高位の貴族には特別室が用意され、書斎、簡易的なリビング、個別のバスルームまで付いている。また彼女達は、学院付きの使用人ではなく専属の使用人を連れていた。
一般市民であるレティシアの部屋は、男爵令嬢であるリリアナの部屋よりも狭い。しかし何故かリリアナは、自分の部屋よりずっと良い場所のように感じた。
淡いパステルピンクのカーテンが窓際で揺れている。テーブルの上には縫いかけの刺繍。栞の挟まれた美しい装丁の本。ガラス細工の動物の置物。お皿に乗ったクッキー。ドレッサーの上で煌めく香水瓶や髪留め、数々のアクセサリー。フリルとリボンで飾られたベッドカバーの上には、所狭しと何着ものドレスが広げられていた。
まるで陽族の絵本に出て来そうな、お姫様の部屋である。
(思わず付いて来てしまった……)
ちら、とレティシアの顔を見ると、その瞳はどのアクセサリーよりキラキラ輝いていた。
「あの、あたしの家は、街でブティックを経営しているんです。流行を押さえたドレスなら任せてください! ローレンス様は、その、いつもの感じも素敵ですけど、一度大変身させてみたくって」
「もしかして、この間のお礼ですか? あなたからは既にお見舞いをいただいてます」
「そ、それだけじゃないです。あたし、あれからずっとローレンス様とお友達になりたくって……」
「ともだち……」
リリアナは突然の申し出に驚いたが、断るのもおかしいと、頷く。レティシアの顔が安堵で綻んだ。
――魔獣騒動が起こる前、レティシアにとってリリアナは、関わり合いたくない人物の一人だった。交友関係を築こうとする努力もせず、婚約者のいる異性に擦り寄るあざとい男爵令嬢。何を考えているか分からない顔は、たまに周囲を馬鹿にしているように見えた。
しかしあの日、皆が自分を置いて逃げ去る中、面識の無かった彼女だけが助けに来てくれた。医務室への道中、見舞いの時、何度か会話を交わすと、それまでリリアナに抱いていた印象は一変した。
リリアナからは、レティシアの嫌う高圧的な貴族の雰囲気が無い。何を考えているか分からないところはそのままだが、狡賢そうというよりは、ミステリアス。無自覚に人を見下したところのあるエレナよりも、彼女の恋を応援したいと思った。
ずっとお近付きになれるチャンスを窺っていたのだ。
「リリアナ様とお友達になれて嬉しいです! それでは早速、ドレスアップを始めましょう! ねっ」
「は……」
彼女の勢いに圧倒されるリリアナ。
レティシアはあれも良い、これも良い、とドレスをとっかえひっかえしだした。元気を通り越して目まぐるしい。途中、好きな色は何かと訊かれ、リリアナはふと頭に思い浮かんだ色を答えた。赤でもない、紫でもない、鮮やかなピンク色……先日アルクから贈られた花の色。
「素晴らしい選択です! マゼンタは今年の流行色なんですよ!」
リリアナはあれよあれよという間に、レティシアによって飾り立てられていった。
「――ああっ、やっぱり素敵!」
うっとりと頬を染めるレティシア。リリアナは姿見鏡の前に立たされ、見慣れない自分の姿をまじまじと見た。
(誰だ、これ)
可愛らしくも上品な乙女のドレス。淡いピンクを基調に、差し色のマゼンタがそっと彩りを添える。華やかでありながら決して喧しくはない、穏やかな優美さがそこにあった。
胸元には繊細な花の刺繍が、袖口には小さなパールボタンがあしらわれている。スカート部分のボリュームは控えめで、足首より少し上の丈は街中でも動きやすそうだ。編み込まれた髪には花のコサージュ。
顔の化粧も、衣装に合う明るい色味に整えられていた。
「これならアルク殿下もイチコロですね!」
「い、いちころ……?」
「とどめの香水はどうされます?」
「と、とどめ……?」
レティシア曰く“満点レディ”に仕上げられたリリアナは、元気な少女に意気揚々と見送られ寮を出た。
(こんなに気合を入れて引かれないだろうか? ……着替える時間ももうないし、これでいいか)
歩く度、フリルのあしらわれた裾が、花弁のように軽やかに揺れる。それが何だか面白くて、リリアナは気付けば大股に、早足になっていた。
――約束の時間の、三十分前。リリアナがいつもの花園に着いた時、既にアルクはそこにいた。ベンチに腰掛け手元の本に視線を落としている。
彼もまたいつもの制服姿ではない。襟元に銀の刺繍が煌めく黒のシャツに、濃紺のウエストコートと、同色の上衣を合わせていた。黒のスラックスと合わせてまるで夜空のような配色は、月明りを思わせる彼の髪をよく引き立てている。
風が吹き、リリアナの気配に気付いたアルクが本から顔を上げた。彼はハッとして、腰を浮かせる。
……互いに暫く、何も言わない。妙な緊張感が走る。
沈黙に耐えかねたアルクが、何とか先に言葉を絞り出した。
「来るのが早いな」
「アルク様こそ。……読書の邪魔をしてしまいましたか?」
「読書? あ、ああ、いや」
まるで今思い出したかのように、手元の本を見るアルク。彼はそれを傍らのサイラスに押し付けるとリリアナに歩み寄った。
アルクはリリアナのほんのり色付いた頬と、艶やかな唇をじっと見つめ、誤魔化すようにドレスを見る。口を開きかけて、また閉じた。
「あの……」
似合わないですよね、という言葉は結局“似合いますよね?”と同義である。リリアナは何を言っていいか分からず、ただ汗ばんだ背中を少し不快に感じていた。
「綺麗だ」
アルクは一言だけ、言った。だが彼の声と表情が、それ以上のことをリリアナに伝える。リリアナは、自分はこの反応を期待していたのだと理解した。浮かれ、恥じ、自己嫌悪する。彼がリリアナを肯定するのは、彼の本心ではないのだから。
(言わせた言葉で悦に浸るなんて、気持ち悪い)
「さあ、行こう」
「はい。あ、アルク様」
「なんだ?」
「アルク様も、とても……かっこいい? です」
「――そうか、ありがとう」
アルクが歩き出した。リリアナはアルクの少し後ろから、白金色の後頭部を眺める。いつも歩調を合わせて隣に来る彼が、それから暫くは前を歩いたままだった。




