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第九話「真夜中の遭遇(後編)」

 窓から外へと出て、誰にも見つからないよう、壁伝いで下に降りるリリアナ。


 容赦無く打ち付ける雨に、一瞬で全身がびしょ濡れになる。被ってきた外套は単なる重しと化した。

 こんなに水だらけなら、海から飛び出した魚だって、陸を泳ぎ回れそうだ……とリリアナは思ったが、ドゥラザークの黒海は既に干上がっており、実際の海を見たことはない。本の知識だけの存在だ。


 外は真っ暗だったが、夜族は夜目がきく。リリアナはぐしょぐしょ音を立てる靴の不快に耐えながら、目的の場所へと駆け出した。



 辿り着いた花園。そこでリリアナを迎えたのは、バタンバタンと音を立て開閉を繰り返す門。風で押し潰され、地面に横たわる泥だらけの花々だった。背の高い百合は今にも茎が折れてしまいそうである。


(この間まで、あんなに綺麗に咲いていたのに……)


 絵画のようだった花園は、見る影もない。リリアナはその儚さに虚無感を覚えた。


 ……どんなに大切に想っているものでも、こんなに簡単に壊れてしまうのなら、何かを大切に想うことはなんて無意味なんだろう。娘の屍に縋る父親も、仲を裂かれる恋人達も――。


 リリアナは自分を重ねかけ、やめた。

 母はまだ無事だ。守ることが出来ている。壊させやしない。

 ……これからも、ずっと。


 リリアナはバッと外套を脱ぎ、花壇を覆う。とにかく、風から守る必要があると思った。しかし面積が足りない上、固定するものもない。とりあえず、持ち運びできそうなプランターだけ学院内に避難させるべきか? ……と考えている内に、ポキリと百合が折れてしまった。駆け寄り支えると、外套が風で吹き飛ばされる。


 リリアナは自分の無力さに、思わず嘲笑を漏らした。


(わたしは何をしているんだ? 一体何のために? こんなことをしたって、何にもならない。……この花は、お母さんじゃないんだから)


 実に非合理的で、何の意味も無い行動だ。

 先日、女生徒を助けた事もそうである。リリアナの計画が遂行され、太陽神の加護が失われ、ドゥラザークが優勢となった時、一人どころか大勢の陽族が惨殺されるのだから。



 ――花々が目の前で風雨に潰れていく。

 リリアナは諦めたように、その場で折れた百合を抱えたまま立ち尽くした。



「こんなところで何をしているんだ?」


 前と同じ場所、同じ台詞。

 リリアナが振り返ると、そこには傘を差したアルクが立っていた。雨風の音で彼の接近に気付けなかったリリアナは、咄嗟に警戒を剥き出しにしてしまうが、何とか抑え込んだ。


「お花が、気になって」

「……まさか、花が心配で来たのか? 何故、君が」

「好きなら、いくらでも見に来ればいいって、仰ったじゃないですか」

「それはそうだが」

「でも……守れません、でした」

 リリアナは手を広げ、折れた百合を見せる。アルクは僅かな躊躇いの後、リリアナに歩み寄った。傘がリリアナの方に傾けられる。その傘は、不思議と暴風の中でもびくともしていなかった。それだけではなく、彼の近くは雨も風も弱く、少し暖かい。アルクに宿る太陽神の加護の力だ。


「……完全に折れているな。切り花にして花瓶に生けよう。サイラス、鋏はあるか」

「はい」

 アルクあるところ、サイラスあり。胡散臭い笑顔の従者は、どこからともなく現れ、どこからともなく鋏を取り出す。リリアナは、サイラスが丁寧に百合の茎を切っているのをぼうっと眺めていた。


 アルクは、リリアナの力ない横顔を見つめる。雨で髪が顔に張り付き、冷え切った唇は紫色をしていた。寝間着のワンピースは、ぴったりと彼女の体に沿い、その線を強調している。

 アルクは自身の外套を脱ぎ、若干乱暴にリリアナに巻き付けた。リリアナは思わず攻撃されたかと思った。


「ぐっ、」

「そんな格好をしていると、風邪を引くぞ」

「……ありがとうございます」

「本当はもっと早く、嵐の前に来るつもりだったんだが……所用で遅くなってしまった。すまない」

 アルクの謝罪はリリアナではなく、花園に向けられている。彼にとってこの場所は本当に大切なものなのだろう。自分を見るよりも優しい眼差しに、リリアナは思わず見入った。

 

 アルクの手が、すっと宙にかざされる。傘から出ても雨に濡れないその手から、柔らかく放たれる光。それは水紋の如く周囲に広がり、リリアナを、花を、花園を包み込んでいく。


 光の膜の中は、まるで昼間のような暖かさだ。これは――


「結界、ですか?」

「ああ。聖女ほどではないが、私も少しくらいなら扱える」

「……だからアルク様の周りは、雨も風も弱かったんですね」


 嵐の唸りが遠のく。

 彼の光は、心地よい。


 先日の魔獣騒動で、リリアナはエレナの陽力に本能的な危機感を覚えたが、使う人や使われ方によって異なるのかもしれない。


 穏やかさが戻った庭園に、リリアナはホッと一息つき……くしゃみをした。


「大丈夫か?」

「はい、たぶん」

「……先日の怪我は?」

「そっちも大丈夫です。そんなに、大した怪我じゃなかったので」

「そうか。――どうして君は、あんな無茶をしたんだ?」

 アルクは愛しい女の無謀な行為を、悲しそうに非難する。……にしては、若干圧が強い。リリアナは目を泳がせたいが、結界の中には泳げるだけの水がない。


「あのままでは、あの子が危ないと思って」

「友人だったのか?」

「いえ……。でも、思わず体が動いていたんです。アルク様の優しさが、移ったのかもしれません。助けてくださって、ありがとうございます」

 ふふ、と笑いかけると、アルクの硬い表情もほどける。そこに浮かぶのは、まるで物語の王子様のような完璧な笑顔だ。


「――私が優しい、か」

 殆ど声になっていないその卑屈な呟きに、リリアナは首を傾げる。


「え?」

「いや、なんでもない。それにしても……君は意外と運動神経が良いんだな。颯爽と女生徒と魔獣の間に入っていった姿は、訓練を受けた兵士のようだった」

「え」

 リリアナはドキリとする。

 アルクは、リリアナが女生徒を庇ったあの瞬間を目撃していたらしい。どう言い訳すべきか悩んだが、アルクがそれ以上何かを言ってくることは無かった。



 荒れ狂う嵐。真夜中の花園。不思議な遭遇。

 そんな奇妙な夜だからか、リリアナは少しだけ、いつもとは違う気分になる。それが何かは、分からないにしても。



 二人は暫く結界の中で、雨音を静かに聞いていた。サイラスが「本当に風邪を引いてしまいますよ。寮に戻りましょう」と言い出すまで。




 *




 リリアナを寮に送り届け、自室へと戻ったアルク。花園でしたように宙に手をかざすと、部屋は結界に包まれた。これで外に話し声が漏れることはない。サイラスはそれを確認してから、外向けの笑みとは異なる笑みを浮かべた。


「ふふ、とてもおかしな夜でしたね。まさかあの場所に彼女がいるなんて」

「随分楽しそうだな」

「それは、あなた様の方でしょう? 途中、本当に彼女の術に惑わされたのかと、思わず殴りそうになりましたよ」

「やめろ」

 グッと拳を固めるサイラスを、冷ややかな視線で制するアルク。


「ふざけていないで、さっさと本題に入れ。魔獣騒動の件、犯人は特定できたのか」

「……ええ。アルク様も気付かれている通りですよ」


 やはりそうか、とアルクは暗い顔で俯く。


 学院で起きた魔獣騒動、そして、最近各地で起きている同様の事件は――アルクとサイラスが属する革命軍、“黎明の鷹”の一派によるものだった。


 黎明の鷹の志士達は、みな共通して現王政への不満を抱いている。ドゥラザークとの終わらない争いによる疲弊、税負担、兵の減少。太陽神の加護が厚い中央と辺境とで、広がる貧富の差。現状を憂いた彼らは、行動を起こすために集まった。


 革命により現国王を退けた後は、王族の権利を制限し、国民や有識者の意見を取り入れる評議会制を整える。さらに税制や兵の配置を見直し、中央と辺境の格差を縮めつつ、ドゥラザークと和平を結び、双方の交流を推進して信頼を築き上げる。


 黎明の鷹が目指すのは、安定した平和な世だ。


 だが中には、表向きは和平を掲げながらも、実際には自らの権力拡大や王政転覆だけを目的に行動する者もいた。彼らは、夜族との共存や民の生活には関心を持たず、革命軍を自らの手段として利用する過激派である。


 一連の騒動は、その者達によるものだった。

 各地で魔獣を解き放ち、防衛の脆弱性を知らしめることで、国民の王への不信感を高める。魔獣を用いることは、同じ暗黒の地に住む夜族に対する恐怖を煽り種族の分断を強めることになるが、和平を望まない彼らにとってはそれもまた狙いの一つ。


 王都の学院を標的にしたのは、王のお膝元でさえ安全ではないと示すためだろう。だがそれだけではない。恐らく彼らは――アルクに、疑いの目を向けさせ、陥れようとした。


 過激派は、アルクを革命軍の象徴として認めていない。彼らは太陽神の力を独り占めにしている王族そのものをよく思っていないのだ。


「私に対する当てつけか……。私を利用しようとしたお前の人選ミスだな、サイラス」

「いえ、そんなことはありません。陽族と夜族との和平には、あなたのような存在が必要不可欠ですから」

「……私のような存在、か」

 アルクは自分の手の平を、そこに流れるものを、透かすように見つめた。


「サイラス……魔獣化には夜族の血が必要な筈だ。奴らはどうやってそれを手に入れた?」

「夜族側にも協力者がいるか、もしくは生け捕りにでもしているのでしょう」

「ハッ――和平の名の元に、そんなことをしていると知れたらどうなるか……」

「アルク様。過激派について、あなたはどうするべきだとお考えですか?」

「私の意見など聞いて何になる? 決定権はお前にあるだろう。黎明の鷹はお前の軍だ。私は名ばかりの頭だからな」

「アルク様のお考えを」

 力強く、底知れないグレーの瞳が、眼鏡の奥からアルクを捕らえる。魔眼並の効力だ、とアルクは思った。


「……過激派の勢力は、馬鹿には出来ない。厳しく処すれば敵が増えるだけだ。今はまだ慎重に、様子を見ておくべきだろう」

「お優しいですね」

「甘いと言いたいのか?」

「ええ、そうです。しかし、それでこそ我らが和平の王」

 サイラスのわざとらしい持ち上げに、アルクはうんざりと目を細めた。


「今回の調査で、過激派の中心人物は大体把握できました。彼らの動きには今まで以上に目を光らせておきましょう。……それにしても、原因が分かって良かったですね」

「そうだな」

「原因が分かって良かったですね」

「何故二回言った」

「正しく意味が伝わっていなかったご様子でしたので」

「どういう意味だ?」

「私が申し上げたかったのは、つまり……あの娘が犯人で無くて良かったですね。と」

 含みのある笑みを浮かべた従者に、王子は眉一つ動かさない。ようにする。


「今回の件と無縁であっても、彼女が危険な存在であることに変わりはない」

「目的が分からないですけどね。ただの暗殺者、という訳では無さそうですが……。分かっていることと言えば、セシル様やアルク様のような王族に近付く意図があること。魔獣に襲われた女生徒を助けたこと。それから、あなたに負けず劣らず大喰らい……ということくらいでしょうか」

「あとは花が……いや、なんでもない」

 アルクは思わず口にしてしまった言葉を途中で止めた。サイラスの弓なりになった目に、アルクは深い溜息を吐く。


「彼女からは敵意も殺意も感じられない。一体何が目的なんだ……」

「はは。あなたが女性のことを気にするなんて、明日は槍でも降りますかね?」

「そうではない!」

 苛々を隠しきれなくなってきたアルクに、揶揄い過ぎたかもしれない、とサイラスは少しばかり反省した。ついつい構い過ぎてしまうのだ。もっと、色々な表情を見たくて。感情が知りたくて。――サイラスはアルクを通して、彼の母親の影を見ている。かつて自分の光だった、たった一人の女性を。


 アルクはリリアナにその影を見ているが、彼の中にこそ、その姿はあるのだ。


 サイラスは窓の外に目を向ける。外では、未だ弱まる様子の無い風雨に、木々が横殴りにされていた。


(ああ、実に荒れている)

 難儀な主の元に、これまた随分な刺客が送り込まれてきたものである。

 危険な存在はなるべく排除したいが、今のアルクを見ていると、サイラスにはまだその決断が出来ない。


「アルク様。彼女のことが知りたいなら、あなたが先に彼女の心を手に入れなければ。今度こそ、ご自分で贈り物でもされてみてはいかがですか?」

「今日は本当によく喋るな」


「日頃、背景に徹している反動ですよ」

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