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第19話:探偵のお母さん

エミールとの別れは、船内に重い沈黙を落としていた。ゴウは、窓の外を流れる雲を、ただぼんやりと眺めている。

その、あまりにも感傷的な空気を、破壊したのは、やはり、ルルだった。


「見てください、お二人とも!クライン王国の港町で、『王家秘伝のカスタードプリン』を買っておいたんですよー!さあ!これを食べて、元気を出しましょう!」


ルルが、テーブルの上に、銀のスプーンが添えられた、三つの美しいプリンを並べる。濃厚なカスタード、ほろ苦いカラメル、そして、純白のクリームが見事な層を成している。ソースは、それぞれ、バニラ、チョコレート、ラズベリーだった。


「よし、じゃあ、あたしはちょっとエンジンルームの様子を見てきますから、お二人は先にどうぞ!」


そう言って、ルルは操縦室を出て行った。イオも、「私は、航路の最終チェックを行う」と、コンソールに向き直る。ゴウは、そっと席を立つと、自室のベッドに潜り込んでしまった。

しばらくして。


「お待たせしましたー!さあ、プリンの時間ですよー!」


戻ってきたルルが、陽気な声を上げる。ゴウとイオも、それぞれの作業を終え、テーブルについた。

だが、三人が目にしたのは、奇妙な光景だった。

テーブルの上には、空になったプリンの容器が、三つ。

そして、なぜか、一つだけ、全く手つかずのプリンが、ぽつんと、置かれている。


「…あれ?」


ルルが、不思議そうに首を傾げた。


「おかしいですね…あたしが買ってきたのは、三つだけのはずですけど…」


「ふむ」


イオが、腕を組んで、状況を分析し始めた。


「ゴウ、君は、プリンを食べたか?」


「ああ。美味かったぜ」


ゴウは、ぶっきらぼうに答えた。


「ルル、君は?」


「は、はい!もちろん、いただきました!とっても、濃厚で…!」


「私も食べた」


イオは、静かに告げた。


「あの、複雑な甘みの構造は、実に興味深いサンプルだった」


そして、イオは、ゆっくりと、全員の顔を見渡した。


「―――おかしいな」


彼女の瞳が、名探偵のように、キラリと光った。


「ここにいるのは、三人。プリンの総数も、三つ。そして、我々三人は、全員が、プリンを食べたと証言している。ならば、なぜ、目の前に、四つ目のプリンが存在するのだ?これは、物理法則を無視した、明らかなパラドックスだ。…つまり、この中の誰か一人が、嘘をついている」


こうして、世にも奇妙な、プリンの捜査が始まった。


「まず、動機から考えよう」


「なぜ、プリンを食べた、と嘘をつく必要がある?通常、嘘とは、食べていないのに食べたと主張する場合に発生する。その逆は、論理的に考えて、極めて稀なケースだ。犯人の目的は、プリンそのものではない。この、矛盾した状況を作り出すこと、それ自体が、目的なのだ…!」


「あたしじゃありません!」 


ルルが、涙目で訴える。


「あたしは、ハグルマシティの『蒸しパン早食い大会』で不正を疑われた時も、断固として戦いました!食べ物のことで、嘘はつきません!」


「待て」


イオの鋭い視線が、ゴウを捉えた。


「ゴウ。君のシャツの袖口に、微量のカラメルが付着している。これは、何を意味するかな?」


「はあ!?俺は、ただ、普通に食っただけだって!」


「普通に、だと?この、重大な局面において、その曖昧な言葉が通用すると思うなよ」


ゴウとルルが、互いに、「お前が犯人だろ!」「あなたこそ!」と言い争いを始める。


イオは、そんな二人を尻目に、もう一度、犯行現場――テーブルの上を、丹念に観察した。


三つの、空の容器。一つの、手つかずのプリン。


「…いや、待てよ。私の思考は、袋小路に入っていたようだ」


「我々は、『一つの空の容器=一人がプリンを食べた』という、固定観念に囚われすぎていた。だが、もし、その前提そのものが、犯人の仕掛けた、巧妙な罠だとしたら…?」


イオは、すっくと立ち上がった。そして、ゴウとルルに向かって、静かに、しかし、力強く、宣言した。


「謎は、全て解けた」


「犯人は、プリンを食べていない。それどころか、自分のプリンを、誰かに食べさせるために、この状況を作り出したのだ。そう―――犯人は、君だ。ゴウ」


「なっ…!」


ゴウが、息をのむ。


「君は、私がエミールとの別れで、落ち込んでいることに、気づいていた。そして、私を元気づけるために、自分の分のプリンを、私に食べさせようと考えた。だが、私が、素直にそれを受け取らないことも、わかっていた。だから、君は、トリックを使ったのだ」


イオは、一つの空の容器を、指さした。


「君は、自分のプリンを、器から抜いた。そして、私がコンソールに向き直っている、ほんの僅かな隙に、そのプリンを、私の器の上に、静かに乗せたのだ。そして、君は、自分の空になった容器を、さも自分が食べ終えたかのように、テーブルに置いた。違うか?」


「……」


ゴウは、ばつが悪そうに、顔を赤らめて、そっぽを向いた。


「証拠は、あるのかよ…」


「無論だ」


イオは、自分の器を、ゴウに見せた。


「この器には、二種類のソースの痕跡が、僅かに残っている。一つは、少しビターなチョコレート。そして、二つめは、少しフルーティーなラズベリー。一つの器に、二つの異なるソース。これは、明らかな、論理的矛盾だ」


そして、イオは、手つかずで残された、最後のプリンを、指さした。


「君は、自分の優しさを、隠すために、嘘をついた。…優しい犯人、というわけだな」


ゴウは、観念したように、頭をかいた。


「…だって、お前、元気、なかったから…」


その、あまりに不器用で、あまりに優しい、犯行の動機。


ルルは、その場で、わっと泣き出した。


「ゴウくーん!なんて、いい子なんですかー!あたし、こんなに感動的なミステリー、ジャーミアン・コスの『探偵は最後にパイを食べる』以来ですよー!」


イオは、何も言わなかった。

彼女は、ただ、静かにゴウの隣に立つと、その、不器用な少年の、温かい手を、そっと、握りしめた。

その温もりは、どんな極上のプリンよりも、甘く、イオの心を、満たしていくのだった。



飛行船は、穏やかな海の上空を、静かに進んでいた。エミールとの別れから数日、船内には少しだけ日常が戻ってきている。

だが、その平穏は、ある朝、ゴウの悲痛な叫びによって、無慈悲に切り裂かれた。


「俺のチーズがねええええええっ!」


船内の食料庫。その中に厳重に保管されていたはずの、ポルペッタ村の村長から餞別として貰った、幻の逸品『虹色カビの熟成チーズ』が、影も形もなく消え失せていたのだ。

食料庫の扉は、内側から頑丈なロックがかかっている。完全な密室だった。


「外部からの侵入形跡は皆無。船内の生命反応は我々三名のみ」


イオは、冷静に状況を分析し、ゴウとルルを交互に見る。


「つまり、犯人は、この中にいる」


「俺じゃねえ!」


「あたしでもありません!」


ゴウとルルが、同時に叫んだ。


「いや、多分…犯人はゴウだな。いや。ゴウに違いない。ゴウは、無意識で、チーズを食べていたのだ。事件はへぼ、解決だ。」


「証拠はあるのかよー!」


「あくまで仮説だ!これから証明していくのだ!」


その時、鋭い光が、ルルの瞳に宿った。


「待ってください」


ルルは、まるで何かに取り憑かれたかのように、ゆっくりと食料庫の中へと足を踏み入れた。


「これは、単純な盗難事件じゃありません。これは…ハグルマシティの伝説、『歯車の蝶』です!」


「はぐるまのちょう?」


「はい!あたしの叔父さんのレオが、よく言っていました!一つの、ほんの小さな偶然が、次の偶然を呼び、それがまた、全く関係ない偶然を引き起こして、最後には、誰も予想できない、とんでもない結末にたどり着く…それが、『歯車の蝶』の仕業なんです!」


探偵役は、ルルに代わった。

彼女は、犯人ではなく、「最初の蝶」、すなわち、一番最初に起きた、些細な異変を探し始めた。彼女は、食料庫には目もくれず、なぜか、船の操縦室へと向かった。


「…これだ」


ルルが指さしたのは、壁にかかった、旧式の自動航行時計の、ほんの僅かなズレだった。


「この時計、2秒、遅れてます!原因は…あ!」


彼女は、床に転がっていた、米粒よりも小さなネジを拾い上げた。


「『クロノメーター用第七種制振ネジ』!これが緩んで、時計に誤差が!」


ゴウとイオが、呆気にとられて見守る中、ルルの謎解きは、加速していく。


「この船の『お掃除ドロイドくん5号』は、この時計と連動して、毎時0分0秒に、船内清掃を始めるプログラムです!でも、時計がズレていたから、起動もズレた!そして、そのズレが、ドロイドくんのAIに、致命的なエラーを…!」


ルルは、通路の隅で、ぴたりと動きを止めている、小さな掃除ドロイドを発見した。その小さな掃除用のブラシは、壁の、緊急用換気システムの、作動スイッチを、中途半端に押し込んだまま、固まっていた。


「見てください!ドロイドくんは、お掃除をしようとしただけなんです!でも、タイミングのズレでパニックを起こして、ここでフリーズしちゃった!そして、そのせいで、換気システムが、誤作動を!」


ルルは、一行を、問題の食料庫へと連れ戻した。


「換気システムの誤作動で、食料庫の、この小さな通気口から、一瞬だけ、ものすごい勢いの風が吹きました!その風が、棚の端に置いてあったチーズを、吹き飛ばしたんです!」


「な、なんだってー!」


「そして、吹き飛ばされたチーズは、床の、この栄養補給パイプの投入口に、偶然、すっぽりとハマってしまいました!パイプの先は、船の栄養リサイクル装置に繋がっています。つまり、チーズは、そこで、粉々にされて、殺菌処理されて、栄養満点のペースト状に変換されて…」


ルルは、最後に、昨夜、自分が寝る前に水を飲んだ、自室のカップを、震える手で指さした。


「…昨日の夜、あたし、喉が渇いて、これを一杯飲んだんです…。いつもより、なんだか、クリーミーで、濃厚な味がするなって、思ったんですよね…」


そう。犯人はいなかった。ただ、一つの小さなネジが緩んだせいで、幻のチーズは、壮大な旅路の果てに、ルルの胃の中に、自ら飛び込んでしまったのだ。


夜。犯人(?)であったルルは、ぐっすりと眠っている。ゴウとイオは、二人きりで、操縦室の窓から、満点の星空を眺めていた。


「おい、イオ」


ゴウが、むすっとした顔で、口を開いた。


「結局、犯人、俺じゃなかっただろ。お前の推理、まったく大外れじゃねえか」


その、正論すぎる反論に、イオは、ぐっと言葉に詰まった。だが、彼女は、決して非を認めない。


「…私の初期仮説が、結果的に事実と異なっただけだ。論理的プロセスそのものに、一切の誤りはない」


「それを、屁理屈って言うんだよ!」


ゴウが、呆れて言った、その時だった。

居住区画の扉が、すっと、静かに開いた。

そこに立っていたのは、あまりにも奇妙な格好の、ルルだった。

フリルのついたメイドのエプロンと、カチューシャ。だが、その下に着ているのは、体のラインがくっきりとわかる、鮮やかな青色の、ワンピースタイプの水着。片方の足には、メイドのニーソックス、もう片方の足は、素足のまま。

彼女は、頬を赤らめ、もじもじしながら、小さな声で言った。


「あ、あの…め、めいどさん、です…ようっ…」


ぴたり。

イオとゴウの、口論が、止まった。

二人は、ゆっくりと、ルルの方を向いた。

そして、三秒間、完璧な沈黙が、船内を支配した。

だが、次の瞬間、イオとゴウは、何事もなかったかのように、再び、互いに向き直った。


「そもそも、俺が犯人だって証拠がどこにあったんだよ!」


「反証の不在が、君の無実を証明することにはならん!」


「なんだその屁理屈は!」


二人は、ルルの存在を、完全に無視して、さらにヒートアップした議論を再開した。


「あ、あの…」


完全に無視され、ルルは、おろおろしながら、二人の間に割って入ろうとする。


「ご、ご主人様…?お茶の、ご用意でも…」



ゴウとイオに無視され、ルルの目に、涙が浮かんだ。

彼女は、意を決したように、「んーっ!」と声を漏らすと、その豊満な体を、議論に白熱するイオの背中に、ぐりぐりと押し付けた。


「…!?」


背後からの、柔らかく、しかし、圧倒的な質量を持った衝撃に、イオの思考が、ようやく停止した。彼女は、ぎぎぎ、と、油の切れた機械のように振り返ると、半泣きのルルを、睨みつけた。


「…一体、何なのだ、君は!その支離滅裂な服装は!説明しろ!」


「も"ぅっ…」


「「も"ぅっ?」」


「……おいしく、食べて……」


「おいしく食べて?……どういうことだ!…ま、まさか!」


イオは、ルルの服装、その場の状況、そして、これまでの会話の全てを、脳内で一瞬にして再構築し、一つの結論へとたどり着いた。

そして、ゴウもルルも、唖然とするほどの、超高速の、一方的な謎解きを始めた。


「なるほど、全て理解したぞ。君は、私とゴウが、喧嘩しているのを見て、心を痛めた。仲直りしてほしい、と。そして、いつも私たちに世話になっているお礼に、何か自分にできることはないかと考えた。その時、君は、以前、我々が議論した、幻光(えいが)作家ジャーミアン・コスの『パン屋の少年とクロワッサン』の、あの和解のシーンを思い出したのだな。そうだろ!?」


「え、あ、はい…」


「だが、君は、自分に料理の才能が皆無であることを、痛感している。だから、料理を作ることは諦めた。そして、料理に最も近い職業は、何か。君は、『給仕係』だと結論付けた。だから、メイド服を着ようとした。だが、船倉にあったメイド服は、君の、その、規格外の体型には、サイズが合わなかった。しかし、諦めきれない君は、唯一、サイズが合う水着を着て、その上から、無理やりエプロンだけを装着した!違うか!」


イオの、完璧すぎる、しかし、あまりに恥ずかしい推理に、ルルは、顔を真っ赤にして、こくこくと頷くことしかできなかった。

ゴウは、ただただ、呆気に取られている。


「…すげえ…。イオ、なんで、ルルの考えてること、そんなにわかるんだよ…」


その時だった。


「ぎ…」


「「ぎ?」」


「ぎゅう…」


「「(ぎゅう)?」」


ルルが、イオとゴウの二人を、その大きな体で、ぎゅっと、まとめて抱きしめた。


「よ、よかったですぅ…!お二人とも、これで、仲直り、ですね!」


その、子供のような、純粋な想い。

だが、その温かい抱擁の中でさえ、ゴウは、イオに向かって、そっと呟いた。


「…で、結局、お前の負けだよな!」


イオもまた、ルルに抱きしめられながら、ゴウにだけ聞こえる声で、答えた。


「…勝敗の定義が曖昧だ!」

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