表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/22

第33話:過程こそが人生。(蛇足)

その夜、宿屋の部屋で、イオとゴウは、この世界のグルメについて、いつ果てるともなく熱く語り合っていた。きっかけは、ゴウの「やっぱり、シンプルな料理がいちばん美味いよな!」という、何気ない一言だった。


「例えば、『陽光石焼き岩トカゲ』だ!」


ゴウは、目を輝かせながら料理の蘊蓄を語り始める。


「使うのは、朝日を浴びて体内に熱を溜め込んだ『陽光石』、新鮮な岩トカゲ、そして崖から削り取った天然の岩塩、ただそれだけだ!余計なハーブも、ましてやソースなんてもってのほか!熱した陽光石の上で、トカゲの皮がパリパリに、肉がふっくらジューシーに焼き上がっていくのを、ただ待つ!素材が持つ本来の旨味を、塩と熱だけで極限まで引き出す!これこそが、料理の原点にして頂点なんだ!」


その熱弁に、イオは心底呆れたという顔で反論した。


「なんと短絡的で原始的な思想だ!君は、料理というものを全く理解していない。いいか、真の美食とは、複雑に絡み合った要素を、知性によって再構築する芸術なのだぞ。例えば、『浮島の十二層ミストパイ』。あれこそが至高だ」


イオは、ゴウの素朴な情熱とは対極の、複雑な蘊蓄を展開する。


「天空の聖域でしか採れない、高度の異なる十二種類の木の実を、それぞれ最適な温度と湿度で調理し、薄いパイ生地の層を形成する。その層と層の間には、夜明けの霧から抽出した、花の香りを閉じ込めた気体を注入するのだ。パイにナイフを入れた瞬間、芳しい香りのミストが立ち上り、十二層の木の実が織りなす味と食感のオーケストラが、口の中で完成する!つまりだ、単一の味しかしない君のトカゲ焼きなど、オーケストラの前で鳴らす、ただの!トライアングルの!一撃に!過ぎん!」


「トライアングルで悪かったな!」


「君にはお似合いだ!」


そんな、どこまでも平行線のグルメ談義が、夜更けまで続いた。そして、議論が白熱しきった、その時だった。

イオの表情から、ふっと好戦的な色が消えた。彼女は、どこか遠い目をしながらゆらゆらと近づき、ゴウを見つめ、やおら抱きしめて、耳元で囁いた。


「…我が子よ」


その、あまりに唐突で、慈愛に満ちた呼びかけに、ゴウは戸惑った。


「突然なんだよ!」


「シンプルな、料理が、好きか」


「え?ああ、ま、まあ…」


「ならば、『ラーメン』という料理を、食べるか?」


「ラーメン…?なんだそれ?陽光石で焼くのか?」


ゴウの困惑した問いに、イオは答えなかった。ただ、有無を言わさぬ力強さで、しかし、どこか寂しげに、こう言った。


「いいから、行くぞ」


翌朝、二人は飛行船で、北にある工業都市『ハグルマシティ』へと向かった。

街は、その名の通り、巨大な歯車と、蒸気を吐き出す無数のパイプライン、そして、天を突く時計塔によって形成されていた。常にどこかから、ガシャン、ガシャン、と金属の駆動音が聞こえてくる。

ゴウは、その無骨で力強い街並みに「すっげえ!秘密基地みたいだ!」と感心していた。

だが、イオは違った。彼女は、何十年も前から、まるで時が止まったかのように何も変わっていない街の姿に、言葉にならない、灰色の感情を抱いていた。懐かしさでも、悲しみでもない。ただ、どうしようもなく色褪せた、空虚な感情だった。


イオは、迷うことなく、街の裏路地にひっそりと佇む、一軒の古びた店へとゴウを導いた。そこは、濃厚なスープの匂いが立ち込める、小さなラーメン屋だった。


「…昔、一度だけ、来たことがある」


そう言って、イオは、あの頃と同じ席に座った。

二人は、湯気の立つラーメンを、黙ってすすった。それは、イオが語ったミストパイとは対極の、素朴で、温かく、そして、少しだけしょっぱい味がした。


その時、店の扉が開き、仕事着の汚れた、疲れた顔の中年の男が入ってきた。男はカウンターにどかりと座ると、店主に愚痴をこぼし始めた。


「はぁ…またなんすよ。第三シャフト、中央歯塔のね。イカれちまったわ。この街は何もかも、古すぎんだ。なーんも変わんねえ。そりゃうちの息子もこんな街捨てて、山の手に出て行きたがるわけだってさ…」


イオは、その男の横顔を、ただじっと見つめていた。それは、何十年も前、この店で偶然出会い、「大きくなったら、僕がこの街を変えてみせる」と、目を輝かせていた、あの頃の少年の、成れの果ての姿だった。

二人は、ラーメンを食べ終えると、静かに店を出た。


その時だった。


「そこのお兄さんたち、待って!」


背後から、甲高い声が飛んできた。振り返ると、油で汚れたツナギを着た少年が、息を切らしながらこちらへ走ってくる。


「何だ、俺たちに何か用か?」


ゴウが尋ねると、少年はゴウの服の裾を、わしづかみにして懇願した。


「あんたたち旅の冒険者だろ!?強そうだし、腕も立ちそうだ!お願いがあるんだ!俺の、俺の宝物を、取り返してほしいんだ!」


「宝物?」


「ああ!だから、お願い!一生のお願いだから!」


少年は、「そこをなんとか!」「君たちしか頼れる人がいないんだ!」としつこく食い下がってくる。ゴウが根負けし、「あーもう、わかった!わかったから!話だけ聞いてやる!」と叫んだ頃には、少年はすっかりゴウの足にまとわりついていた。


少年の名は、テオ。彼が二人を案内したのは、街の地下に広がる、忘れられたメンテナンス通路の奥深く。そこは、錆びた歯車やパイプが山と積まれた、彼だけの秘密基地だった。


「俺の宝物っていうのは、これなんだ」


テオが指さしたのは、設計図の隅に描かれた、美しいオルゴールの絵だった。


「叔父さんが、叔母さんのために作った、世界に一つだけのオルゴールなんだ。でも、『スクラップ・タイラント』…この区画をうろついてる、壊れた作業用ゴーレムに、奪われちまったんだ…」


テオは、ぽつり、ぽつりと語り始めた。


「叔父さんの名前は、レオ。この街で一番の機械技師だった。いつか、時間を巻き戻せる歯車を作るんだって、いつも笑ってた。叔母さんは、クララ。歌がすっごく上手くてさ。叔父さんは、そんな叔母さんのために、歌うみたいに綺麗な音色のオルゴールを作ったんだ。でも…二人とも、もういない。何年か前の、大事故で…」


レオ。クララ。

その二つの名を聞いた瞬間、イオの時間が、止まった。

彼女の脳裏に、何十年も前の、この灰色の街の、希望と絶望の光景が、鮮明に蘇る。


――若き日のエラーラは、この街で、一人の男の夢に光を見た。旧来の街の動力源である巨大な歯車を、レオが作った寸分の狂いもない「完璧な歯車」に置き換え、この停滞した街を生まれ変わらせるという、天才機械技師レオの夢に。エラーラは彼の理論を支持し、二人は共に、街の未来のために戦った。


だが、彼らの前に立ちはだかったのは、保守的な街の長老たち…そして、誰よりも強く反対したのは、レオ自身の父親だった。


『変化は混沌を呼ぶ!その夢は、街を破壊する悪魔の歯車だ!』


父親との対立は決定的となり、そして、悲劇は起きた。整備不良の旧来の歯車が事故を引き起こし、クララが巻き添えになった。レオが作り上げた新型の歯車を導入していたら防げた事故だった。だが、父親は、腹いせにレオを撃った。そして、父親自身も、その後すぐに、自暴自棄な運転で事故を起こし、この世を去ったのだ。


イオの…エラーラの脳裏に、血に染まって倒れるレオの姿と、クララの悲痛な叫びがこだまする。

私が、彼の夢を後押ししなければ。私が、彼と共に戦うなどと言わなければ。彼らは、死なずに済んだのではないか。


これは、カルマだ。私がこの街に撒いた、悲劇の種だ。

この街の人々は、誰もイオがエラーラだとは気づいていない。過去は、誰にも知られず、葬られたままだ。

だが、今、目の前に、その悲劇の遺産が、助けを求めている。

エラーラとして犯した罪を、イオとして清算するべきなのか。私に、その資格があるのか。イオは、答えを出せず、ただ唇を噛み締めていた。


彼女が、過去の重みに囚われていた、その時だった。

ゴウは、オルゴールの絵を寂しそうに見つめるテオの頭に、ぽん、と優しく手を置いた。


「叔父さんと叔母さんの宝物、か」


そして、イオの方を振り返ることもなく、太陽のような笑顔で、テオに言った。


「心配すんな!任せとけ!」


イオが、はっと顔を上げる。


「そのスクラップ・タイラントとかいうやつをぶっ飛ばして、お前の大事なオルゴール、俺たちが必ず、取り返してきてやるよ!」


何の迷いもない、即答だった。

イオの複雑な葛藤も、過去の清算も、カルマも、この純真な少年には関係ない。ただ、目の前に、困っている友達がいる。だから、助ける。理由は、それだけで十分だった。

そのあまりにシンプルで、あまりに力強い答えに、イオの心にかかっていた灰色の霧が、すうっと晴れていくのを感じた。

ああ、そうか。

私は、また難しく考えすぎていたな。

イオは、自分のパートナーの眩しい横顔を見つめながら、静かに、そして、誇らしげに微笑んだ。


ハグルマシティの地下に広がる、忘れられたメンテナンス区画。その入り口は、分厚い鉄の扉で固く閉ざされていた。


「ここだ…この奥に、スクラップ・タイラントが…」


テオがゴクリと唾をのむ。イオは、扉の構造を分析し、複雑な解錠方法を導き出そうと、思考を巡らせていた。だが、ゴウはそんなイオを制すると、テオの肩に手を置き、しゃがみ込んで、その目線を合わせた。


「なあ、テオ。そのスクラップ・タイラントってやつ、いつもどんな感じなんだ?」


「え?」


「いつ頃動き出すとか、どんな音を立てるとか、お前の叔父さん、何か言ってなかったか?」


それは、かつての父、ケンジがそうであったように、まず、そこに住む人の声に耳を傾ける、という姿勢だった。


「えーっと…いつも、街の中央歯塔の蒸気パイプが、ポーッて、悲しい音で鳴る時に、ガシャンガシャンって動き出すんだ!それと、叔父さんは…『あいつは、ただ寂しいだけなんだ』って、言ってた…」


「蒸気パイプが鳴る時…寂しい、か。そっか。わかった。ありがとうな、テオ」


ゴウはテオの頭を撫でると、鉄の扉に向き直った。


扉の先は、薄暗く、オイルの匂いが立ち込める巨大な廃工場だった。意味もなく動き続ける無数のプレス機やコンベアベルトが、狂った心臓のように、不気味な駆動音を立て続けている。


「うわ…なんだここ…」


「旧世代の全自動工場だな。だが、制御システムが暴走している。下手に動けば、我々はミンチにされてしまうぞ」

遥か奥、工場の中心に、スクラップ・タイラントの巨体が見えた。洗濯機のような胴体に、ショベルカーのアーム、頭部には割れたガラス瓶が兜のようにはめ込まれている。その巨大な鉤爪のような腕には、テオのオルゴールが、大切そうに抱えられている。


「どうやってあそこまで行くんだよ…」


「待て、ゴウ。迂回ルートを計算する。最適なルートは…」


イオが複雑な計算を始めようとした時、ゴウは工場の天井を走る、一本の巨大な蒸気パイプを指さした。


「イオ、あれだ」


「あれとはなんだ?」


「テオが言ってた、蒸気パイプだ。あいつが鳴る時、ゴーレムは動き出す。つまり、ここの機械は全部、あの蒸気の圧力で動いてるんだ。あのバルブを締めれば…全部止まる!」


それは、エラーラがそうであったように、複雑に絡み合ったシステムの中から、ただ一つの急所を見抜く、天才的な閃きだった。


ゴウは壁を駆け上がり、バルブに手をかける。イオが下から、「右に90度だ!それ以上回すと、圧力が逆流して爆発するぞ!」と的確な指示を飛ばす。ゴウがバルブを締めると、あれほど騒がしかった工場の機械が、まるで魔法のように、一斉にその動きを止めた。


静寂を取り戻した工場の中央、ゴウとイオは、ついにスクラップ・タイラントと対峙した。ゴーレムは、ただ、じっと動かない。そのガラス瓶の奥で、赤いランプが寂しげに点滅しているだけだった。だが、オルゴールを抱えるその腕の力は、凄まじいものだった。


「どうする、ゴウ。こいつから、どうやってオルゴールを…」


「テオの叔母さん、クララは、歌が好きだったんだろ」


ゴウは、ゆっくりとゴーレムに近づいた。


「こいつは、盗んだんじゃない。レオとクララの思い出が詰まった、最後の『歌』を、ただ守ってただけなんだ。寂しかったんだな、ずっと、一人で」


だが、言葉は通じない。壊れた機械は、ただ一つの命令を、永遠に繰り返すだけだ。

ゴウは剣を抜いた。


「ごめんな。それは、テオに返してやらないといけないんだ」


彼は、母アリアがそうであったように、無駄な破壊はしない。ただ、守るべきもののために、最短、最速、最適な一撃を放つ。


ゴウは、ゴーレムの腕の関節、その一点に、吸い込まれるように剣の柄頭を叩き込んだ。それは、精密機械を修理するかのような、完璧に制御された一撃だった。

ガキン、という軽い音と共に、鉤爪のロックが外れ、オルゴールは、傷一つなく、ゴウの待つ手の中へと滑り落ちた。


ゴウがオルゴールを手にすると、背後からテオが駆け寄ってきた。


「ありがとう!お兄ちゃん!」


テオがオルゴールのネジを巻くと、錆びついた工場に、信じられないほど美しく、そして、どこか切ないメロディが響き渡った。

スクラップ・タイラントは、その音色を聞きながら、赤いランプの点滅を、ゆっくりと、穏やかに、止めた。

あっけないほどの、問題解決だった。

イオは、その光景を、ただ黙って見ていた。

人の話を聞き、その心に寄り添う、ケンジの優しさ。

複雑な状況を、一つの閃きで貫く、エラーラの知恵。

そして、守るべきもののために、振るわれる、アリアの力。

その全てが、このゴウという一人の少年の中に、完璧な形で融合している。


(ああ、そうか…)


イオの胸に、好意を超えた、尊敬に近い、絶対的な愛が、静かに、しかし、どうしようもなく込み上げてきた。彼女は、ゴウの横顔を、熱に浮かされたように、じっと見つめていた。


「…どーしたんだよ、イオ。俺の顔に、何かついてるか?」


ゴウが、不思議そうに尋ねる。

その問いに、イオは、はっと我に返った。そして、込み上げてくる感情のままに、ゴウの頭を、わしゃわしゃと撫で回した。


「いや、なんでもない。君が、あまりにも、私の誇らしい息子だったのでな」


(そうだ…この子は、ケンジとアリアと、そして、愚かだった私の、三人の子供なのだ。私が何十年もかけて解けなかった問題を、この子はいともたやすく、その優しさだけで解いてみせた。この子を、この子の未来を、私は、一生をかけて見届けよう)


イオが、心の中で、人生を賭けた誓いを立てていた、その時。

彼女は、その愛情表現として、ゴウの耳に顔を寄せ、その耳たぶを、ちゅ、と吸っていた。

ゴウは、びくりと体を震わせる。


「……なあ、イオ」


「なんだ、我が子よ」


「そういう、すっげえ大事そうな誓いって、人の耳しゃぶりながら言うことじゃないよな?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ