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6.毛根に宿るは希望か絶望か、あるいは女神の涙か

「……そ、そうだったんですね」


メリーが、まるで捨てられた子犬を見るような目でガルバさんを見つめている。


さっきまで「マンドラゴラの悲鳴がうるさい」とキレ散らかしていた狂気はどこへやら。今は純度100%の同情心だ。


「ううっ……信じてもらえて、よかった……」


ガルバさんが男泣きしている。その涙は美しい。だが、頭頂部の輝きがその美しさを別の何かに変換してしまっている。残酷な世界だ。


「なあ、タンタン」


「ん? なんだよ」


「あんたさ、その変な魔法でなんとかならねえのか? だったら『髪を生やす』くらい、ちょちょいのちょいじゃねえのか?」


全員の視線が——涙目のガルバさん、期待に満ちたメリー、そしてエルスも——俺に集中する。


盲点だった。


「……確かに」


「で、できるのか!?」


ガルバさんが食いついてきた。椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、俺の両肩をガシッと掴む。力が強い。必死すぎる。


「い、いや、理論上は可能だと思いますけど……ただ、問題がありまして」


「問題とは金か!?金ならある!全財産払ってもいい!」


「違います、魔力です。でもお金がいるならーー」


まあ、その話は後でもいい。


「ここに来た時、近所迷惑にならないように結構強めの魔法を使っちゃったんですよ。それに……」


俺はチラリとメリーさんを見た。


彼女の料理——という名の劇物——によるダメージは、胃袋だけでなく精神と魔力をも蝕んでいたらしい。


「今夜の食事……その、デトックスに魔力をだいぶ持っていかれまして」


「ああ……」


ペルフィが納得したように頷く。


「魔力切れか。だとしたら簡単だろ?そこに無駄に魔力が余ってるの人がいるじゃねえか」


「ふぇ?」


ペルフィはニヤリと笑い、顎で隣の銀髪美女をしゃくった。


口いっぱいにクッキーを詰め込んでいたエルスが、間の抜けた声を上げた。


「エ、エルスから魔力を補充するのか……?」


「や、やですよぉ! 但馬さん!」


エルスが頬を赤らめて、身をよじった。


両手で自分の身体を抱きしめるその仕草は、完全に変質者を見る目つきだ。


いや、俺はまだ何もしてないんだが。


「なんでそんな『これから襲われます』みたいな反応なんだよ!ただ手を繋ぐとか、背中に触れるとかでいいだろ!」


「だってぇ……但馬さんが魔力を吸う時って、なんかこう、ダイソンみたいな吸引力で……ゾワゾワってするんですもん! 魂まで持っていかれそうで……」


「ダイソンを知ってる女神がいるか。……まあいい、今回は緊急事態だ。ガルバさんの未来がかかってるんだぞ」


俺は視線でガルバさんを示す。


彼は今、人生の岐路に立っている。マンドラゴラという奇声植物の根っこを頭に塗りたくる日々か、それとも魔法による奇跡の生還か。


「そ、そうです! おっさん……いえ、お兄さん!魔法なら、もうマンドラゴラさんを犠牲にしなくて済むんですよ!」


「ほ、本当に……本当にそんな魔法が……?」


「あの……但馬様。お願いします。私の……私の青春を取り戻してください!」


土下座せんばかりの勢いだ。


ここまでの覚悟を見せられて、断れる男がいるだろうか。


「……はぁ。わかりました。やってみましょう」


エルスが「うぅ〜」と唸りながら、渋々といった様子で俺の背後に回る。


「優しくしてくださいね……? 一気に吸ったら、私、気絶しちゃいますから」


「誤解を招く言い方をするな。……よし、いくぞ」


エルスの柔らかな手が、俺の背中に添えられる。


瞬間、温かい奔流が流れ込んでくる。女神の魔力。それは純度が高く、そしてどこか甘い香りがした。


本来ならこの感覚に酔いしれるところだが、今の俺には使命がある。


俺は右手をガルバさんの頭にかざした。


イメージするのは、肥沃な大地。芽吹く若草。生命の爆発。


英語で「育毛」や「発毛」を意味する単語。もっとも直接的で、もっとも効果がありそうな言葉をチョイスする。


深呼吸。


魔力を練り上げる。


エルスから供給される膨大な神気が、俺の体内で変換されていく。


よし、いける。


俺は全神経を集中させ、その言葉を詠唱した。


「――『ヘア・グロース』!!」


ドォォォォォォン!!


言葉を発した瞬間だった。


俺の身体から、かつてないほどの勢いで魔力がごっそりと持っていかれた。


「ぐわっ!?」


「きゃああっ!?」


なんだこれ!? 


たかが発毛だぞ!?


隕石を落とすメテオストライクならともかく、毛根を刺激するだけの魔法に、なんでこんな天文学的な魔力コストがかかるんだ!?


「た、但馬さん! 吸いすぎですぅぅぅ! 私、干からびちゃいますぅぅ!」


「ち、違う!俺が吸ってるんじゃない、魔法が……術式が勝手に持っていってるんだ!」


制御できない。


蛇口をひねったらダムが決壊したような感覚。


俺の右手に集束した光は、まばゆい緑色の閃光となってガルバさんを包み込んだ。


「う、おおおおおおおっ!?」


ガルバさんの絶叫が響く。


光の中で、彼のシルエットが蠢く。


生命の鼓動。細胞の活性化。過剰なまでのエネルギーが、彼という器に注ぎ込まれていく。


やがて。


俺とエルスがへたり込むと同時に、光が収束した。


「はぁ……はぁ……」


俺は肩で息をしながら、顔を上げた。


視界がチカチカする。魔力欠乏による目眩だ。エルスに至っては白目を剥いてソファーに沈んでいる。


だが、やったはずだ。


あれだけの魔力を注ぎ込んだのだ。ジャングルだって一瞬で生成できるレベルのエネルギーだった。


髪の毛の一本や二本、いや、フサフサのアフロヘアーになっていてもおかしくない。


「……ガ、ガルバさん?」


砂煙のような魔力の残滓が晴れていく。


そこに立っていたのは、一人のおとこだった。


いや。


正確に表現しよう。


そこに立っていたのは、毛玉だった。


「…………え?」


誰の声だっただろうか。


多分、全員の声が重なったのだと思う。


ガルバさんの身体は、凄まじいことになっていた。


シャツの隙間から、剛毛が溢れ出している。


腕毛はもはや熊のようだ。


手の甲から指先まで、びっしりと黒々とした毛が覆っている。


顔面も例外ではない。豊かな髭が顔の下半分を覆い尽くし、眉毛は繋がり、もみあげは頬骨を超えて髭と合流している。


耳毛すらも風になびくほどに成長していた。


まさに、野獣。


生命力の権化。


圧倒的な「毛」の暴力。


「こ、これは……力が……力が漲るようだ……!」


ガルバさんが自分の両手を見つめる。その手はまるでウェアウルフの手のようだ。


「す、すげえ……」


「おいタンタン、あんたいつから獣化魔法なんて覚えたんだ? これじゃ完全にモンスターじゃねえか」


「ち、違います! 俺はただ、髪を生やそうと……」


そう。


髪を。


俺は恐る恐る、視線を上にずらした。


剛毛に覆われた腕。


剛毛に覆われた胸板。


剛毛に覆われた顔面。


そして。


ツルッ。


「…………」


そこには、美しい月があった。


いや、ガルバさんの頭頂部だ。


変わっていない。


一本も。


産毛の一本すらも。


これだけの生命爆発が起き、全身がチューバッカみたいになっているというのに、頭頂部だけが、サンクチュアリのように、滑らかで、輝かしく、何も生えていなかった。


「……あ、あの」


ガルバさんが、恐る恐る頭に手をやった。


モジャモジャの手のひらが、ツルツルの頭皮に触れる。


キュッ、と虚しい音が鳴った。


「…………」


ガルバさんが、ゆっくりと俺を見た。


その目は、深淵を覗き込んだ者の目だった。


「但馬さん……これは……どういう……?」


「あ、いや、その……」


なん、なんでだろう……


いやそもそもなんでだろう!!??


え?なんで?


全身毛だらけになったのに、一番生やしたかった場所だけが生えない。


「う、うわあああああああん!!なんでだぁぁぁ! なんでここだけ避けるんだぁぁぁ! 俺の頭皮は結界でも張ってるのかぁぁぁ!?」


ごもっともな叫びだった。


ペルフィが気まずそうに顔を背け、メリーは「く、熊さんみたいで可愛いです……!」と必死のフォローを入れているが、今のガルバさんの耳には届かないだろう。


「……酷い……あまりにも酷いです……」


不意に、ソファーから声がした。


魔力切れで伸びていたはずのエルスだ。


彼女はふらふらと立ち上がると、涙を流しながらガルバさんに歩み寄った。


「女神として……いえ、一人の女性として、こんな悲劇を見過ごすわけにはいきません……」


「エ、エルス?」


普段のポンコツ具合からは想像もできないほど、今のエルスは慈愛に満ちていた。


彼女は泣き崩れるガルバさんの前に膝をつき、そっと、その光り輝く頭を抱きしめた。


「可哀想に……こんなに頑張って生きているのに……」


「め、女神様……?」


ガルバさんが呆然と見上げる。


エルスの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


それは宝石のようにキラキラと輝きながら、ガルバさんの頭皮へと滴り落ちる。


「ヨシヨシ……辛かったですね……悲しかったですね……」


エルスは赤子をあやすように、優しくガルバさんの頭を撫でた。


その手からは、淡い金色の光が漏れ出している。先ほどの俺の魔法のような荒々しい光ではない。もっと根源的で、温かい、癒やしの光だ。


「あっ!」


「は、生えてる! 生えてきてます!!」


「え?」


俺は目を凝らした。


エルスの涙が落ちた場所。彼女の手が触れている場所。


そこから、みるみると黒い色が広がっていく。


「なっ……!?」


ペルフィが身を乗り出す。


それは、髪だった。


黒く、艶やかな、健康的な髪の毛が、まるで早回しの映像を見ているかのように、ニョキニョキと生えてくる。


不毛の大地に雨が降り、瞬く間に森ができるように。


エルスの慈愛が、死滅していたはずの毛根に奇跡を起こしていた。


「う、嘘だろ……?」


ガルバさんが震える手で自分の頭に触れる。


そこにあるのは、皮膚の感触ではない。フサフサとした、確かな「毛」の感触だ。


「か、髪だ……! 髪が生えているぅぅぅ!!」


「よかったですねぇ、おっさん!」


「いやおっさんじゃなく……」


エルスは泣き笑いのような顔で、さらに頭を撫で回す。撫でれば撫でるほど、髪は増え、伸び、整っていく。


全身の無駄毛と相まって、もはやとんでもない毛量になっているが、頭髪が復活したインパクトの前には些細なことだ。


やがて、エルスが手を離した時。


そこには、フサフサの黒髪をなびかせた、精悍な若者がいた。


全身剛毛であることを除けば、誰もが振り返るようなイケメンだ。


「き、奇跡だ……! ありがとうございます、女神様! ありがとうございます!!」


ガルバさんはエルスの手を取り、何度も何度も口づけをした。


大団円。


誰もがそう思っただろう。


感動的なフィナーレだ。


だが。


……おかしい


周囲の歓声が遠のいていく。


俺の『ヘア・グロース』は、頭以外の全身には過剰なほど効果を発揮した。


つまり、俺の魔法自体は失敗していなかったのだ。「毛を生やす」という命令は、正しく実行された。


なのに、頭皮だけがそれを「拒絶」した。


まるで、そこだけがアンチ・マジック・フィールドであるかのように。


一方で、エルスの力はどうだ?


彼女の力は「神聖魔法」に近い。癒やし、浄化、祝福。


その力が作用した途端、髪は生えた。


俺の魔法は弾かれ。


エルスの魔法は通じた。


これは、単なる「ハゲ」ではない。


自然現象としての脱毛症なら、細胞を活性化させる俺の魔法が効かないはずがないのだ。むしろ、身体の他の部分があれだけ反応したのがその証拠だ。


だとしたら、答えは一つしかない。


……呪い、か?

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