3.お前ら……俺を殺す気か……
時刻は夕方。
メリーの家は、街の中心部から少し離れた住宅街にあった。
二階建ての小さなアパートで、彼女の部屋は一階の角部屋だ。
「お邪魔します……」
「おう」
俺たちは玄関のドアをくぐった。
部屋に入ると——想像以上に綺麗に整理されていた。
床には埃一つなく、家具も丁寧に配置されている。こんなに睡眠不足でボロボロの状態なのに、こんなに綺麗に保ってるのか。几帳面な性格なんだろうな。
そして、何より目を引いたのは——
「うわ……すげえ……」
壁一面に飾られた、無数の絵画だった。
風景画、人物画、静物画——どれも繊細なタッチで描かれていて、素人目に見てもクオリティが高い。
色彩が鮮やかで、まるで絵の中に吸い込まれそうな感覚がある。
特に印象的なのは、夕暮れの街を描いた風景画だ。オレンジ色の空と、影に沈む建物のコントラストが美しい。こういうの、普通に美術館に飾ってあってもおかしくないレベルじゃないか?
「メリーさん、絵上手いんだな」
「あ、ありがとうございます……」
メリーは照れくさそうに俯いた。
「本当に素敵ですわ!こんなに才能があるなんて!」
エルスも目を輝かせながら、一枚一枚の絵を眺めている。
「特にこの絵、すごく美味しそうね」
ペルフィが指差したのは、テーブルの上に飾られた料理の絵だった。
ステーキ、パスタ、ケーキ——どれも今にも匂いが漂ってきそうなほど、リアルに描かれている。
湯気まで描き込まれていて、本当に食欲をそそる。っていうか、俺、今ちょっと腹減ってきたんだけど。
「メリーさんは、お料理の絵がお好きなんですか?」
「はい……見てるだけで、幸せな気分になれるので……」
ああ、なるほど。
絵を描くことで、心の安らぎを得ているのか。
毎晩のように叫び声で起こされて、まともに眠れない日々を送っているメリーにとって、絵を描く時間が唯一の癒しなのかもしれない。
なんか、切ないな……
「それにしても、こんなに美味しそうな絵を描けるなんて。メリーさん、料理も得意なんでしょうね」
「え、ええ……まあ、そこそこは……」
おい、今ちょっと間があったぞ。なんか不安になる間だったぞ。
「そうだ!それじゃあ、夕食を作っていただけませんか?どうせ夜まで待機するんですし」
「え……で、でも……」
おい待て待て!
お前、今なんて言った!?
「お願いします!私、メリーさんの手料理、食べてみたいですわ!」
エルスがキラキラした目で頼み込む。
ああ、ダメだ。完全にスイッチ入っちゃってる。
「いや、でも、メリーさん疲れてるし……」
俺は慌てて止めようとした。
だが、もう遅かった。
「……分かりました。それじゃあ、少しお待ちください」
メリーはそう言って、キッチンに向かった。
「おい、エルス!お前、何考えてんだよ!」
「何って……メリーさんの手料理が食べたいだけですわよ?」
「いや、そういう問題じゃなくて!メリーさん、睡眠不足でフラフラなんだぞ!?包丁とか火とか使って大丈夫なのかよ!」
「あら、大丈夫ですわよ。絵であんなに上手に料理を描けるんですもの。きっと腕前も確かなはずですわ」
なんだ、その理屈!?
絵が上手いからって、料理が上手いとは限らないだろ!
「タンタン、心配しすぎよ。それに、あんた今お腹空いてるんでしょ?」
「ぐ……」
図星だ。
さっきからずっと腹が鳴りそうで困ってる。
「それに、メリーさん、ああ見えて意外としっかりしてるわよ。部屋もこんなに綺麗だし」
「まあ、それはそうだけど……」
俺は渋々引き下がった。
キッチンからは、トントンと包丁の音が聞こえてくる。
大丈夫……だよな?
不安を抱えながら、俺たちはソファに座って待つことにした。
「ところで、但馬さん」
「ん?」
「隣人と交渉する時、どうするおつもりですか?」
エルスが真面目な顔で尋ねてくる。
「どうするって……まあ、普通に話し合いだろ。『マンドラゴラの声がうるさいから、栽培をやめてくれ』って」
「それで素直に聞いてくれるかしら?」
ペルフィが疑問を挟む。
「分からん。でも、やってみないことには始まらないだろ」
「もし聞いてくれなかったら?」
「その時は……」
俺は言葉に詰まった。
正直、その時のことまで考えてなかった。
「その時は、私が少し脅してあげますわ」
「脅すって、お前……」
「大丈夫ですわ。ちょっと魔法で驚かせるだけです。『このまま栽培を続けると、神罰が下りますわよ』って」
「それ、完全に詐欺だろ!」
「あら、でも女神の言うことですから、嘘ではありませんわよ?」
「嘘だろうが!!お前、そんな権限ないだろ!!」
「じゃあ、私は力ずくで——」
「お前もダメだ!」
俺はペルフィの発言を即座に遮った。
「なんでよ!」
「なんでもクソもあるか!お前が出張ったら、確実に隣人が消し炭になるだろうが!」
「そんなことないわよ。ちゃんと手加減するもん」
「お前の手加減、信用できねえよ!」
前回のメテオ騒動を思い出す。
あいつ、確実に手加減の概念が一般人とズレてる。
「まあまあ、但馬さん。きっと何とかなりますわよ」
「お前が言うな!」
そんなやり取りをしている間に——
「お待たせしました……」
メリーがキッチンから出てきた。
両手には、湯気の立つ皿が乗ったトレイ。
「おお、来たか——」
俺たちは期待に胸を膨らませながら、皿を見た。
あんなに美味しそうな絵を描けるんだ。きっと、実物も美味しいに違いない。
そして——
「「「……え?」」」
三人同時に、固まった。
皿の上には、何か……茶色い……物体が乗っていた。
いや、茶色っていうか、焦げ茶色?黒に近い茶色?
形状は不明。元が何だったのかも不明。
ただ、確実に言えるのは——
これ、料理か?
「どうぞ、召し上がってください」
メリーが無邪気な笑顔で言う。
おい待て待て待て!
何だこれ!?何の料理なんだ、これ!?
肉か?野菜か?それとも、全く別の何かなのか!?
「あ、ああ……」
俺は冷や汗を流しながら、フォークを手に取った。
「タンタン、あんたが先に食べなさいよ」
「なんで俺だよ!?」
「だって、男でしょ?」
「関係ねえだろ!!」
「それに、あんたが一番お腹空いてたじゃない」
「それとこれとは話が別だ!!」
「まあまあ、但馬さん。ここは勇気を出して……」
エルスまで、俺に丸投げしやがった。
お前ら!お前ら、絶対に逃げただろ!
俺の目の前には、謎の茶色い物体。
近づけると、微かに……何とも言えない香りがする。
これ、匂いも地雷だな。
くそ……仕方ない。
ここで断ったら、メリーが傷つくだろう。
彼女、ただでさえ自己肯定感が低いんだ。ここで俺が拒否したら、余計に落ち込んでしまう。
覚悟を決めろ、俺。
お前はこれまで、異世界で色々な危機を乗り越えてきただろ。
合成獣も、コーヒー戦争も、全部生き延びてきた。
だったら、この料理だって——
俺はフォークを突き刺し、その茶色い物体を口に運んだ。
そして——
「——!!」
次の瞬間。
俺の味覚が、悲鳴を上げた。
何だこれ!?何だこの味!?
しょっぱい!いや、甘い!?いや、苦い!?
全部が混ざり合って、もはや味覚が崩壊している!
それに、食感も意味不明だ!
ゴムのように硬い部分と、ドロドロに溶けた部分が混在している!
まるで、料理の墓場だ!
「ど、どうですか……?」
メリーが不安そうに尋ねる。
俺は——答えることができなかった。
視界が、ぐらぐらと揺れる。
体から、力が抜けていく。
「——タンタン!?」
ペルフィの声が、遠くに聞こえた。
そして——
俺の意識は、途絶えた。
「——!起きろ!但馬!」
誰かが俺の体を揺さぶっている。
「う……ぐ……」
重い瞼を開けると、ペルフィとエルスの顔が見えた。
「よかった……生きてたのね……」
「お前ら……俺を殺す気か……」
「ごめんなさい、但馬さん……」
どうやら、俺は気絶していたらしい。
体中が痛い。床に倒れた時、頭でも打ったのか?
「一体、どれくらい……」
「三時間くらいよ」
三時間!?
俺、たった一口で三時間も気絶してたのか!?
「あの、ご、ごめんなさい……」
メリーが泣きそうな顔で謝ってくる。
「い、いや……大丈夫だ……」
大丈夫じゃねえよ!
でも、こんな状況でメリーを責めるわけにもいかない。
彼女、本当に申し訳なさそうにしてるし……
つーか、なんであんなに絵は上手いのに、料理はあんなことになってるんだ!?
だが、今はそれどころじゃない。
「——ギャアアアアアアア!!」




