20.脳内筋トレと悟りの境地
「す、すまない……こんな朝早くに……」
「いや、別に構わないぞ。入れよ」
「あ、ありがとうございます……」
デュランが、恐る恐る店の中に入ってきた。
「……あ」
俺の目に飛び込んできた光景は。
エルスとペルフィが、昨日の瞑想の姿勢のまま、完全に寝ていた。
エルスは、魔法の寝袋に包まったまま、座った状態で。
ペルフィは、椅子に座ったまま、背筋を伸ばして。
二人とも、微動だにしない。
……いや、よく見ると、微妙に揺れてる。
「……あ、あの……これは……?」
「……どう説明すればいいかな……まあ、ある種の、実験というか……」
「じ、実験……ですか……」
「ああ。気にしないでくれ」
……いや、気になるだろ、普通。
二人とも、完全に寝てるんだから。
……あれ?
待てよ。
俺、今日、ゴルドリックの所に、バイトに行かなきゃいけなかったんじゃないか?
昨日は、色々ありすぎて、完全に忘れてた。
……どうしよう。
デュランのことを、エルスとペルフィに任せて、俺だけバイトに行くか?
いや、でも——
あいつら、前にデュランを勝手にイケメンに変身させたりしてたし。
特にエルスなんて、昨日、ストア主義の説明を完全に逆に理解してたし。
……やっぱり、俺がちゃんと見てないとダメだな。
「おい、起きろ。二人とも」
「……ん……」
エルスが、小さく呻いた。
でも、起きない。
「おい、エルス」
「……むにゃむにゃ……ゴールデンアップルパイ……」
……寝言か。
「ペルフィ」
「……すぅ……すぅ……」
……完全に熟睡してるじゃねえか。
俺は、もう一度、今度は大きな声で叫んだ。
「起きろおおおおお!」
「うわああああああ!?」
「きゃあああああ!?」
「な、な、何!? 何なの!? 敵!? 敵襲!?」
エルスが、慌てて辺りを見回した。
「ち、違うわよ! ……って、もう朝なの?」
ペルフィが、窓の外を見た。
「ああ、朝だ」
俺は、冷静に答えた。
「……え? もう朝……?」
エルスが、ぼんやりとした顔で言った。
「わ、私……確か、昨日の夜、瞑想してて……ゴールデンアップルパイのことを、心の底から思い浮かべてたら……いつの間にか、寝ちゃってたみたい……」
「……お前、それ、瞑想じゃなくて、ただの妄想だろ」
「で、でも! ちゃんと集中してたのよ!」
「食べ物に集中してどうすんだよ」
「それより!な、何か……すごく痛いんだけど……」
「え? 痛い?」
「う、うん……すごく、だるい感じがするの……」
「……私も」
ペルフィも、肩を回しながら言った。
「ちょ、ちょっと待て!」
「な、何よ?」
「何で瞑想で体が痛くなるんだよ!? これ、脳みその筋トレってこと!? お前ら、どれだけ脳みそ使ってなかったんだよ!? 筋肉痛ならぬ、脳肉痛か!?」
「「……」」
二人とも、無言で俺を見つめた。
そして——
お互いに顔を見合わせた。
無言で、俺の方を見た。
その目は、完全に、「こいつ、何言ってんだ?」という目だった。
「……タンタン」
ペルフィが、ゆっくりと口を開いた。
「……突っ込む前に、ちゃんと考えた方がいいと思うわ」
「え?」
「だって、昨日、私たち、ずっと鉄を叩いてたじゃない。だから、腕とか肩が筋肉痛になってるのよ」
……
「……す、すまん」
「……いいのよ。タンタンらしいって言えば、タンタンらしいし。それより! タンタン、ほら、デュランさん、もう来てるじゃない! 早く座って、ちゃんとカウンセリングしないと!」
「……ああ、そうだな」
俺は、デュランの方を見た。
デュランは、申し訳なさそうに、入り口の近くで立ったままだった。
……あれ?
何か、忘れてる気がする。
すごく、重要なことを。
……まあ、いいか。
思い出せないってことは、そんなに重要じゃないってことだろ。
多分。
「それじゃあ、始めるか。えっと、デュラン」
俺は、真面目な顔で言った。
「昨日の夜、俺たちで色々と話し合った結果、お前の症状は、『不安障害』だという結論に達した」
「ふ、不安障害……ですか……」
「ああ。簡単に言うと、デュランは、常に何かを不安に思ってる。そして、その不安が、お前の行動を制限してるんだ」
「……」
「デュランが、いつも緊張して頭を落とすのも、人に反論できないのも、全部、その不安から来てる」
「……そう、なんですか……」
「で、治療方法なんだが——」
俺が言いかけた瞬間——
ペルフィが、割り込んできた。
「私たちの考えでは、デュランさんは、まず、自分の不安をコントロールする方法を学ぶべきだと思うの」
「ふ、不安を……コントロール……?」
「そう。不安は、誰にでもある感情よ。でも、その不安に振り回されるんじゃなくて、ちゃんと向き合って、コントロールできるようになれば、デュランさんの症状も改善するはずなの」
「……なるほど……」
デュランが、少し興味を持ったように頷いた。
「それで!」
エルスが、突然立ち上がった。
「私たちが考案した、『ストア・マインドフルネス・アンチアンザイエティ・トータル・メンタルヘルス・リカバリー・オペレーション』——略して、『SMAAMRO作戦』を——」
「黙れ」
俺は、即座にエルスの言葉を遮った。
「お前、何で毎回毎回、そういう訳の分からない作戦名を付けるんだよ」
「だ、だって! 作戦には、ちゃんとした名前が必要でしょう!?」
「必要ねえよ!」
「……くすっ」
ペルフィが、小さく笑った。
「何だよ」
「いや……思い出しちゃって」
「何を?」
「前に、エルスが私の恋愛相談の時に付けた作戦名。確か、『オネスト・ハート・ストラテジック・オペレーション』だったかしら」
「……ああ、あれか」
俺も、思わず苦笑いした。
「あ、あれは! あれは、すごく良い作戦名だったじゃない!」
「いや、良くなかったから。全然良くなかったから」
「ひどい!」
「……と、とにかく!デュラン、とりあえず、まずは『マインドフルネス』——マインドフルネス瞑想を試してみよう」
「せ、マインドフルネス……?」
デュランが、首を傾げた。
……あ、やばい。
首を傾げたら、頭が落ちるんじゃ——
と思ったが、意外にも、頭は落ちなかった。
「……あ、あの、マインドフルネスとは……何でしょうか……?」
「ああ、説明するよ」
俺は、昨日ペルフィから聞いた内容を、デュランに説明し始めた。
「簡単に言うと、今、この瞬間に意識を集中する訓練だ。過去のことを悔やんだり、未来のことを心配したりするんじゃなくて、今、ここにいる自分自身に集中する」
「……今、この瞬間……ですか……」
「ああ。具体的には、まず、楽な姿勢で座って、目を閉じる。それから、自分の呼吸に意識を集中するんだ。吸って、吐いて。それだけ」
「……そ、それだけ、ですか……?」
「そうだ。それだけ」
「……分かりました……やって、みます……」
デュランが、ゆっくりと目を閉じた。
そして——
静かに、呼吸を始めた。
吸って。
吐いて。
吸って。
吐いて。
「……あの、デュラハンって、呼吸する必要あるのかしら?」
ペルフィが、小声で言った。
「……え?」
……ああ、そうか。
デュランって、アンデッドだから、そもそも呼吸しないんじゃないか?
「……ま、まあ、細かいことは気にすんな。と、とにかく、何か一つのことに集中すればいいんだよ」
数分後。
デュランの頭が、床に落ちた。
「え、ええええ!?ど、どうして落ちたの!?」
エルスが、驚いて叫んだ。
「す、すまない……! 吾は、やはり……」
デュランの頭が、床から申し訳なさそうに言った。
「い、いや、大丈夫よ!これは……その……キャラクターの特徴だから!」
「そういう慰め方はどうなんだよ」
俺は、思わずペルフィに突っ込んだ。
「で、でも……」
「いいか、デュラン。これは、正常な反応だ。むしろ、マインドフルネスが、ちゃんと効果を発揮してる証拠だ」
「え……? 効果を……発揮してる……?」
「ああ。デュランの頭が落ちたってことは、デュランが何か、不安なことを考えたってことだろ?」
「……は、はい……その通りです……」
「それでいいんだよ。マインドフルネスの目的は、自分の心の中にある不安や恐れに、ちゃんと気づくことなんだ」
「……き、気づく……ですか……」
「そうだ。お前は今、呼吸に集中してた。でも、その途中で、何か不安なことを考えた。そして、その不安が、お前の頭を落とした。つまり、お前は、自分の不安に気づいたってことだ」
「……な、なるほど……」
デュランが、少し納得したように頷いた。
……よし。ここまでは、順調だな。
「それで、次は——」
俺が言いかけた瞬間——
「あ! 私、知ってる!次は、『ストア』よね!」
「……おい」
俺は、嫌な予感がした。
「これは、簡単に言うと——」
「お前、黙ってろ」
「え!?」
「いいから、黙ってろ」
「な、何でよ!?」
「お前、昨日、完全に逆に理解してただろ」
「し、してないわよ!」
「したよ」
「してない!」
ペルフィが、呆れたようにため息をついた。
「あの、二人とも、デュランさん、待ってるわよ」
「……あ」
俺は、デュランの方を見た。
デュランは、床に落ちた頭のまま、申し訳なさそうに俺たちを見ていた。
「……ごめん」
ペルフィが、デュランの方を向いた。
「デュランさん、『ストア哲学』って、聞いたことある?」
「い、いえ……初めて聞きました……」
「これは、簡単に言うと、『自分が制御できることと、制御できないことを区別する』っていう考え方なの」
「……せ、制御できること……と、制御できないこと……ですか……」
「そう。例えば、デュランさんが緊張すると頭が落ちるでしょう? これは、デュランさんの体質的なものだから、『制御できないこと』なの」
「……」
「でも——」
俺は、ペルフィの言葉を引き継いだ。
「デュランが制御できるのは、『緊張するかどうか』じゃない。『緊張しても、どう対応するか』だ」
「……緊張しても、どう対応するか……ですか……」
「ああ。例えば、デュランが緊張したとする。そして、頭が落ちそうになる。でも、その時、おデュランは、『ああ、今、吾は緊張してるんだな』って気づくことができる。そして、『でも、それでいいんだ』って、受け入れることができる」
「……」
「つまり、デュランが制御できるのは、『頭が落ちるかどうか』じゃなくて、『頭が落ちそうになった時、どう考えるか』なんだ」
「……な、なるほど……」
デュランが、少しずつ理解し始めたようだ。
「じゃあ、もう一度、やってみるか」
「は、はい……」
デュランが、自分の頭を拾い上げて、体に戻した。
そして、再び目を閉じた。
……
静寂が、部屋を包んだ。
デュランは、静かに座っていた。
数分後。
デュランの頭が——
落ちなかった!
いや、正確に言うと——
落ちそうになった!
でも、完全には落ちなかった。
頭が、首から少し浮いて、微妙に揺れている。
まるで、磁石の反発力で浮いてるみたいに。
「……え?」
エルスが、驚いて声を上げた。
「な、何あれ? 頭が、浮いてる……?」
「……すごい。デュランさん、頭を制御してる……?」
「いや、制御してるわけじゃないと思う。多分、デュランは今、『頭が落ちそうだ』っていう感覚に気づいてる。でも、それを無理に止めようとはしてない。ただ、『ああ、落ちそうだな』って、観察してるんだ」
「……観察?」
「ああ。マインドフルネスの本質は、感情や感覚を、無理に変えようとするんじゃなくて、ただ観察することなんだ」
そして——
デュランが、ゆっくりと目を開けた。
その頭は、まだ、微妙に浮いたままだった。
「……あ、あの……吾……今……不安を、感じました……」
「ああ、どんな不安だ?」
「……失業のこと、です……教会から、もう来なくていいと言われたこと……吾は、やはり、誰の役にも立たないのではないか、と……」
「……」
「でも……吾は、その不安を……ただ、観察しました……『ああ、今、吾は不安なんだな』と……」
「……そうか。よくやったな、デュラン」
「あ、ありがとうございます……でも、これで、本当に良かったのでしょうか……? 吾の頭、まだ浮いてますし……」
「いいんだよ、それで。完璧に制御する必要はないの。ただ、自分の感情に気づいて、それを受け入れることが大事なのよ」
「……そう、なんですか……」
デュランの頭が、ゆっくりと、体に戻っていった。
「……それにしても、マインドフルネスって、結構難しいわよね。私も、昨日の夜、何度も『お金がなくなったらどうしよう』って不安になっちゃって……」
その瞬間——
俺の脳裏に、何かが閃いた。
……お金?
待てよ。
お金……
……バイト……?
「……あ」
俺は、思わず声を上げた。
「どうしたの、タンタン?」
「……やべえ」
俺は、急いで立ち上がった。
「バイト! バイト忘れてた!」
「え? バイト?」
エルスが、不思議そうに尋ねた。
「ゴルドリックの所のバイトだよ! 完全に忘れてた!」
「あ、あああ! そういえば!」
ペルフィも、慌てた。
「……あの」
その時、デュランが、申し訳なさそうに口を開いた。
「……は、はい?」
俺は、デュランの方を見た。
「あの……実は……皆さんは、もう知っているものだと思っていたのですが……」
「……何を?」
「……今日……ゴルドリック殿の店……開いておりません……」
「……は?」
俺は、一瞬、何を言われてるのか分からなかった。
「どういうことだ?」
「……ゴルドリック殿以外にも、二、三人の人影が見えました……」
「……人影?」
その瞬間——
デュランの頭が、再び落ちそうになった。
でも——
デュランは、深呼吸をして。
そして、その頭は、再び浮遊状態になった。
「は、はい……それに……ゴルドリック殿の、叫び声のようなものも……」




