28.最高のカウンセラー
店のドアを開けた瞬間、俺は固まった。
「……これは何の状況だ?」
目の前に広がる光景は、どう見ても普通じゃなかった。
エルスは例の光る繭の中で、まるで女王様みたいに優雅に横たわっている。ペルフィはソファで足を組んで、タコちゃんを抱きしめながら、なぜか偉そうにふんぞり返っていた。
そして、テーブルの上には——
肉の山。酒瓶の列。
まるで宴会の後みたいだ。いや、現在進行形で宴会中か。
「タンタン、どこで油売ってたのよ。こんな時間まで」
ペルフィが酒瓶を片手に、じろりと俺を睨んだ。頬がほんのり赤い。
「ああ、但馬さんやっと戻りましたね!ペルフィさんがずっと待ってたんですよ」
エルスが繭から顔を出した。髪がぐしゃぐしゃだ。
「でも、それはどうでもいいです。私のゴールデンアップルパイは?買ってきてくれましたか?」
どうでもいいのかよ!
「……だから、一体何の状況なんだよ」
俺は深いため息をついて、手に持っていた紙袋を掲げた。
「はい、これ」
「きゃああああ!」
エルスが歓喜の叫び声を上げた。繭から飛び出して、俺の手から袋をひったくる。
中から金色に輝く箱を取り出した。箱には堂々と『神殿への供物専用』と書かれている。
供物専用って……これ、本当に売ってるもんなのか?値段も馬鹿高かった。エルスが教会から盗もうとした気持ちが分かる。
「ありがとうございます!但馬さん最高!」
エルスは箱を開けて、中から黄金色のパイを取り出した。一口食べた瞬間——
「んんんん〜〜〜〜!!」
床に転がり始めた。
「美味しい!美味しすぎる!これが!これが本物のゴールデンアップルパイ!」
背後から神聖な光が溢れ出している。まるで太陽みたいだ。眩しすぎて目が痛い。
「幸せ〜〜〜!生きててよかった〜〜〜!」
女神様、品位ってものを知らないのか。
「……お前、本当に女神か?」
俺の呟きは無視された。
「それより」
ペルフィが咳払いをした。
「委託、完了したわよ」
「……そうか」
俺はソファに腰を下ろした。疲れた。本当に疲れた。
「べ、別にあんたたちと一緒に話したくて来たわけじゃないんだから!タコちゃんを撫でたくて来ただけよ!」
ペルフィがタコちゃんをぎゅっと抱きしめる。
「にゃ〜ん♪」
タコちゃんが幸せそうに鳴いた。
「それにしても、この子本当に可愛いわね。できれば連れて帰りたいくらい」
ペルフィが上目遣いで俺を見た。
「ねえ、タンタン。この子、私にくれない?」
「ああ、別にいいぞ」
「え?」
ペルフィが驚いた顔をした。
「だって、元々俺たちみんなで作った——いや、生まれた?まあとにかく、共同作品みたいなもんだろ。エルスの意見は聞かなくてもいいだろうし」
俺がエルスを見ると、彼女はタコちゃんから必死に距離を取ろうとしていた。
「む、虫みたいで……」
まだ言ってるのか。
「で、でも本当にいいの?こんなに可愛い子を、私がもらっちゃって」
「むしろ早く連れて行ってくれ」
「そうです!今すぐ!」
エルスが必死に頷いた。
「な、何よ!タコちゃんがそんなに嫌いなの!?」
ペルフィが憤慨して、タコちゃんをエルスの顔に近づけた。
「ほら、見て!この可愛いヒゲ!ぷにぷにの体!」
「ひいいいい!やめて!近づけないで〜〜〜!」
エルスが半泣きになった。
なんでこんなことになってるんだ。
俺はテーブルの肉を一切れ口に入れた。意外と美味い。
「それで」
俺は肉を飲み込んでから言った。
「なんで宴会してるんだ?」
「宴会じゃないわよ」
ペルフィが酒を注ぎながら答えた。
「ただの……晩餐よ」
どう見ても宴会だろ。
「まあいいか」
俺も酒を受け取った。今日は本当に疲れた。少しくらい飲んでもいいだろう。
「乾杯!」
三人で杯を合わせた。
そして——
誰も、レオンのことを口にしなかった。
誰も、今日の告白のことを聞かなかった。
誰も、明日からのことを話さなかった。
ただ、酒を飲んで、肉を食べて、たわいもない話をした。
エルスはゴールデンアップルパイの美味しさについて延々と語り、ペルフィはタコちゃんの可愛さを力説し、俺はただ聞いていた。
時間が過ぎて——
「ふふふ〜、ゴールデンアップルパイ〜♪」
エルスが完全に出来上がっていた。床に寝転がって、幸せそうに呟いている。
「金色〜、甘い〜、美味しい〜♪」
完全に壊れてる。
一方、ペルフィは——
「へへ……」
天井を見上げて、小さく笑っていた。
でも、その笑い声には何か違和感があった。楽しそうじゃない。むしろ、苦い笑いだ。
「……なあ、ペルフィ」
「何よ」
彼女は顔を向けずに答えた。
「先に言っておくけど、私、失恋なんかしてないから」
「……」
「酔って悲しくなってるわけでもないわ。ただ……」
声が少し震えた。
「ただ、お酒がまずくて。飲みすぎて気持ち悪いだけよ」
……
俺は何も言わなかった。
代わりに、買い物袋から別の箱を取り出した。
革製の小さな箱。丁寧に包装されている。
「……これ」
「何よ、それ」
「開けてみろ」
ペルフィが不思議そうに箱を受け取った。
ゆっくりと蓋を開ける。
そして——
「……!」
息を呑んだ。
箱の中には、葉っぱの形をした緑色の石のペンダントが入っていた。細い銀の鎖に、精巧な細工が施されている。
あの日、一緒に街を歩いた時に、彼女が見つめていたやつだ。
「タンタン……これ……」
「……」
ペルフィはネックレスを見つめて、それから俺を見た。緑の瞳が潤んでいる。
数秒の沈黙。
そして——
「バカ!!」
突然叫んだ。
「は?」
「なんでこんな高いもの買うのよ!こんなの……こんなの、どうやって返せばいいのよ!」
ペルフィの声が震えている。
「私……私、何もあげられないのに……」
涙が溢れそうだ。
「本当にバカよ!大バカ!最低!」
なんで怒られてるんだ?
俺は内心パニックになった。良かれと思って買ったのに、なんでこんな反応されるんだ。
「い、いや、違う!これは……」
俺は必死に言い訳を考えた。
「ゴールデンアップルパイを買った時に、店員がオマケでくれたんだ!」
「は?」
「そ、そう!高額商品を買ったから、サービスで……」
「そんなわけないでしょ!」
やばい、ペルフィは信じなかった!
「アクセサリー屋とパン屋が提携してるわけないじゃない!」
……まあ、確かにその通りだ。
「と、とにかく!」
俺は指をペルフィに向けた。
「お前はちゃんと報酬を払えばいい!俺は金のために仕事したんだ!それだけだ!」
「……」
「それから、これからはちゃんと生きろ!前向きに!」
なんか自分でも何を言ってるか分からなくなってきた。
「タンタンの大バカ!」
ペルフィが叫んだ。
「そんな見え透いた嘘、私が信じるわけないでしょ!」
「う、嘘じゃない!」
「嘘よ!」
「嘘じゃない!」
「じゃあ証拠見せなさいよ!」
「証拠なんてあるか!」
「ほら、やっぱり嘘じゃない!」
「……くそ、お前みたいな面倒な女、報酬二倍にしてやる!」
「いいわよ!三倍でも払ってやる!」
二人で言い合っていたが——
「ぷっ」
突然、ペルフィが吹き出した。
「あははは!」
笑い始めた。涙を流しながら、でも確かに笑っていた。
「な、何がおかしいんだよ」
「だって……だって、タンタン必死すぎ!」
彼女は腹を抱えて笑った。
こいつ、本当に気分屋だな。
でも、なぜか安心した。さっきまでの重い空気が、少し軽くなった気がする。
「……ふぅ」
ペルフィが深呼吸をした。笑いすぎて息が苦しそうだ。
そして、真っ直ぐに俺を見つめた。
「ありがとう、タンタン」
「……」
「あなたは最低で、最悪で、一番無能なカウンセラーよ」
おい、褒めてないだろそれ。
「でも」
ペルフィはネックレスを首にかけた。緑の石が、彼女の瞳と同じ色に輝いている。
「一番優しくて、一番真剣に向き合ってくれた」
彼女は微笑んだ。
本当の、心からの笑顔だった。
「最高のカウンセラーよ」
その笑顔を見て、俺も少しだけ、笑った。
「……報酬はちゃんと払えよ」
「分かってるわよ、バカ」




