23.クラークさん
店を出て、俺は例の町案内パンフレットを握りしめながら歩き回った。
まず広場。ベンチに酔っ払いはいたが、金髪エルフはいない。
次に酒場。朝から飲んでる奴らはいたが、ペルフィはいない。
昨日行ったレストラン。まだ開店前だった。
くそ、この町そんなに大きくないのに。
冒険者ギルドの前を通りかかった。
中から陰鬱な顔をした冒険者たちがぞろぞろと出てきた。
「明日から実家の農業手伝うか……」
「俺は商売でも始めるかな」
「第二の人生、か……はは……」
乾いた笑い。諦めきった顔。でも、目の奥には消えない怒りが燻っている。
待てよ、ペルフィならここにいるかも。あいつの性格なら——
「お前ら全員ぶっ殺す!」とか叫びながらメテオ詠唱してそうだ。
慌ててギルドに飛び込む。
——俺の心配は、半分当たってた。
ペルフィはいなかった。でも、状況はもっと悪かった。
「ふざけるな!」
怒号が響く。
「俺たちが何をした!なぜ俺たちだけが!」
ギルドの中は異様な熱気に包まれていた。数十人の冒険者が受付を取り囲んでいる。皆、屈強な戦士や魔法使い。落とされた主力級の面々だ。
「説明しろ!なぜ俺が落ちて、あの新米が受かるんだ!」
「ランダム?嘘つけ!」
「金か!?賄賂か!?」
怒声が飛び交う。机を叩く音。剣の柄を握る手。杖から漏れる魔力の光。
やばい。これ暴動寸前じゃないか。
「お、落ち着いてください……」
受付嬢たちが必死に対応していた。でも声が震えてる。当然だ。相手は全員、モンスターを日常的に殺してる連中。しかも今は理性のタガが外れかけてる。
その中で、一人の剣士が限界を超えた。
筋骨隆々の大男。傷だらけの顔。
歴戦の戦士って感じだ。彼が受付カウンターを蹴り飛ばした。
ガシャン!
書類が宙を舞う。インク瓶が割れる。
「もう我慢できねえ!」
剣を抜く。刃が光を反射してギラリと光る。
相手は紫髪の受付嬢。いかにも気弱そうな美少女。小動物みたいに震えてる。
「おい、てめえら」
剣士が一歩踏み出す。床板が軋む。
「死にてえのか?」
空気が変わった。
さっきまでの怒号が止んだ。全員の視線が剣士に集中する。
誰もが分かってた——一線を越えようとしてることを。
受付嬢の顔が真っ青になる。足が震えて立っていられない。それでも必死に言葉を絞り出した。
「ほ、本当に申し訳ございません……私たちも、上から降りてきた指示を伝えているだけで……」
「関係ねえ!」
剣士が吼えた。殺気が膨れ上がる。
「お前らが決めたんだろ!お前らが俺の人生を!」
剣が振り上げられる。
やばい、本当にやる——
「おい、やめろ!」
誰かが止めようとした。でも遅い。剣士の目は血走ってる。完全に理性が飛んでる。
受付嬢が目を閉じた。涙が頬を伝う。
周りの冒険者たちも動けない。止めたいけど、巻き込まれたくない。その葛藤で固まってる。
俺も動けなかった。
前世でも今世でも、こんな剥き出しの暴力は見たことがない。足が震える。喉が渇く。心臓がバクバク鳴ってる。
これが本物の殺気か。テレビや漫画とは違う。肌がピリピリする。呼吸が苦しい。
剣が振り下ろされ——
その瞬間。
世界が、停止した。
いや、違う。
全員が、凍りついたんだ。
剣士の首筋に、銀の線が浮かんでいた。
細い刃。カミソリよりも薄い。でも、それが首の皮膚にぴったりと張り付いている。あと1ミリ動けば、血が噴き出す。
刃の持ち主は——
言葉を失った。
紫色の髪を中分けにした男。
美しい、なんて言葉じゃ足りない。この世のものとは思えない造形。神が気まぐれで作った最高傑作。それが人の形を取って立っている。
でも——
怖い。
理由は分からない。ただ、本能が叫んでる。逃げろって。この存在から目を逸らせって。
黒の制服。金の装飾。王国の紋章。
でも、そんな肩書きなんてどうでもよくなる。
この男の瞳を見た瞬間、全てが無意味になる。
何もない。
感情も、温度も、人間らしさも、何もない。
深海よりも暗く、宇宙よりも虚無。見てるだけで、自分の存在が薄れていく気がする。
「ク……クラークさん……」
受付嬢の声。
これは安堵じゃない。より大きな恐怖に飲み込まれた、諦めの声だ。
「他の方の手続きの邪魔です」
男——クラークが口を開いた。
ゾクッとした。
声に感情がない。でも、それ以上に——圧倒的な重みがある。山が話してるみたいだ。逆らうという選択肢が、最初から存在しない。
「ご協力、お願いします」
丁寧な言葉。
でも全員理解した。これは依頼じゃない。絶対命令だ。
剣士の顔から血の気が引いていく。さっきまでの怒りはどこへ行った?震えてる。ガタガタ震えてる。屈強な戦士が、子供みたいに震えてる。
汗が滝のように流れる。剣を持つ手がカタカタ鳴る。
「あ……ああ……」
声にならない声。そして——
剣を落とした。
ガシャン。
金属音が響く。でも誰も動かない。息すらしてない。
剣士が後ずさる。そして、逃げた。文字通り、逃げ出した。扉にぶつかりながら、転びそうになりながら、必死に逃げた。
クラークが剣を鞘に収めた。
音もなく、流れるような動作。
そして、ゆっくりと室内を見渡す。
全員が息を呑んだ。俺も含めて。
目が合いそうになって、反射的に俯いた。
怖い。
理屈じゃない。ウサギがライオンを見た時の、あの感覚。
格が違う。次元が違う。そもそも同じ生物なのかも怪しい。
静寂が支配する。
さっきまでの喧騒が嘘みたいだ。数十人の屈強な冒険者が、一人の男の前で、音も立てられない。
やばい。この世界、こんな化物がいるのか。
しかもイケメンすぎる。なんだこれ、神様の悪戯か?
ペルフィが来なくて本当に良かった。この男の前で暴れたら——
想像したくない。
俺はそっと、本当にそっと、後退りした。誰にも気づかれないように、少しずつ、少しずつ。
扉までたどり着いて、外に出た瞬間——
「はあっ!」
思わず深呼吸した。息止めてたのか俺。
膝がガクガクする。手も震えてる。
なんだあれ。なんなんだあの男。
外の空気が美味い。生きてるって実感する。
ベンチに座り込んだ。
「……」
隣に誰かいる。
青い髪の少女——ルナだ。
俺に気づくと、彼女は微笑んだ。でも、その表情は重い。
「……ルナさん?」
「あら」
彼女が立ち上がった。
「やっぱり来たのね、イケメンさん。待ってたのよ」




