19.気分転換優先療法
「あの二人ならもう出て行きましたよ」
フロントの店員があっさりと答えた。
「いつ!?どっちに!?」
ペルフィが店員に詰め寄った。彼女の緑の瞳が必死さで輝いている。
「えーと、十分くらい前ですかね。方向は……」
店員が外を指差した。
「ありがとう!」
ペルフィが走り出そうとした瞬間、俺は反射的に彼女の細い腕を掴んだ。
「待て待て!」
「何よタンタン!離して!」
だからタンタンって呼ぶな!でももう諦めた。この女、絶対わざとだろ。
「もういいじゃん。さっき確認したろ?あいつら別にそういうことしてないって」
「でも——」
「追いかけて邪魔するのもどうかと思うぞ。三十分後に何か用事があるみたいだし」
ペルフィが立ち止まった。俺の手を振り払おうとしていた動きが止まる。しばらく迷うような表情をして、唇を噛んで、それから小さく呟いた。
「……実は、心当たりがあるの」
「心当たり?」
「うん……」
ペルフィが俯いた。金髪が顔を隠すように垂れる。
「おととい、レオンとルナが何か話してるのを聞いたの。内容は分からなかったけど」
「盗み聞きか」
「ち、違う!たまたま通りかかっただけ!」
「で、何の話だったんだ?」
「それが……」
ペルフィの顔が暗くなった。
「私が近づいたら、急に黙っちゃって。何も話してないふりされた」
なんでこいつら、何でもかんでもペルフィに隠すんだよ。仲間だろ?
いや、でも考えてみれば、ペルフィの普段の行動見てたら、重要な話は隠したくなるか。さっきみたいに感情的になって魔法ぶっ放すし。ドア蹴り壊すし。
「まあ、お前に言えない事情があるんだろ」
「でも……」
ペルフィが唇を噛んだ。完全に落ち込んでる。肩も落ちてるし、耳まで垂れてる。エルフの耳って感情表現するんだな。
うーん、どうしたものか。
このまま二人を追いかけさせても、多分いい結果にはならないだろう。でも、何もしないのも可哀想だし……
そうだ!適当に心理学っぽいこと言えばいいんだ!エルスもいつもそうしてるし!
「『気分転換優先療法』を実施すべきだ」
「気分転換優先療法?」
ペルフィが顔を上げた。涙で潤んだ瞳が俺を見つめる。
よし、食いついた。騙されやすいな、この子。
「そう、一時的に悩みを忘れて、別の行動に集中することで、精神的なバランスを取り戻すんだ」
完全に今作った。でも、それっぽく聞こえるだろ?俺、天才かもしれない。
「具体的には?」
「さっきの続き、カップル大作戦の練習をしよう」
「……」
ペルフィが俺をじっと見つめた。緑の瞳が細くなる。
やばい、見破られた?
そして——
「ぷっ」
吹き出した。
「あははは!タンタン、本当に偽物のカウンセラーね!」
「に、偽物って……!」
バレてる!完全にバレてる!でも笑ってるからいいか。
「でも……」
ペルフィが微笑んだ。さっきまでの暗い表情が嘘のように明るくなる。
「いいわ。それも悪くないかも」
……まあいい。
まず向かったのは、市場の近くにある公園だった。
石畳の小道を歩いていると、ペルフィが俺の腕をじっと見つめた。
「ねえ、タンタン」
「何だ?」
「カップルって、腕組むわよね?」
「まあ、そうだな」
「レオンが見たら嫉妬するかな……」
ペルフィが恐る恐る俺の腕に手を伸ばした。でも途中で止まる。
「で、でも、タンタンと腕組むのって……なんか変な感じ」
「練習だろ?」
「そ、そうよね!レオンを嫉妬させるための演技!」
彼女は決意したように俺の腕を掴んだ。でもすぐに離した。
「あ、熱い……」
「熱い?」
「い、いや、なんでもない!もう一回!」
今度はしっかりと腕を組んだ。柔らかい感触が伝わってくる。
「ど、どう?カップルっぽい?」
「まあ、そうじゃないか」
「レオンが見たら、きっと——」
彼女が周りをキョロキョロ見回した。
「あ、レオンいない……」
当たり前だろ。
「でも、練習は大事よね!本番でうまくできないと意味ないし!」
そう言いながら、なぜか俺の腕をぎゅっと抱きしめた。
「ちょ、近い」
「カップルなら普通でしょ?レオンに本気だって思わせないと」
顔が赤いけど、必死に演技してる。健気だな。
「見て、あの花!」
ペルフィが花壇を指差した。話題を変えたいらしい。
「綺麗でしょ?」
「ああ」
「もしレオンがここにいたら……」
彼女が俺を見上げた。
「タンタンと私が花を見てるの見て、嫉妬するかな」
「さあな」
試しに言ってみた。
「花より君の方が綺麗だよ」
「!!」
ペルフィの顔が真っ赤になった。
「な、何それ!急に!」
「カップルの演技だろ?こういうこと言うもんじゃないか」
「そ、そうだけど……」
彼女が俯いた。
「タンタンに言われると、なんか……心臓がドキドキして……」
「それは演技に入り込んでるからだろ」
「そ、そうよね!演技!レオンを嫉妬させるための演技!」
でも、腕を組む力が強くなった気がする。
次に向かったのは、異世界のレストランだった。
「ここでデートしてるところ見せたら、レオン絶対嫉妬するわ!」
ペルフィが意気込んでいる。
中に入って、向かい合って座る。
「ねえ、もっと近くに座らない?」
「え?」
「だって、恋人同士なら距離近いでしょ?」
ペルフィが椅子を動かして、俺の隣に座った。肩が触れるくらい近い。
「これくらいなら、レオンも本気だって思うよね」
そう言いながら、なぜか落ち着かない様子でそわそわしている。
メニューを見て、注文して、料理が来た。
「ねえ、タンタン」
「何だ?」
「あーんして」
ペルフィがフォークを持ち上げた。
「カップルはこういうことするでしょ?レオンが見たら——」
「レオンはいないぞ」
「練習よ!本番でできなかったら意味ないじゃない!」
彼女の手が震えている。でも必死にフォークを差し出してくる。
「あーん」
仕方なく口を開けた。
「ど、どう?」
「美味い」
「そ、そう?よかった……」
なぜか嬉しそうだ。
「じゃあ、タンタンも私に」
「え?」
「お返し!カップルならお互いにするでしょ?」
結局、俺も彼女に食べさせることになった。
「あーん」
ペルフィが口を開ける。唇がつやつやして——
「美味しい……」
彼女が幸せそうに微笑んだ。
「なんか、本当のデートみたい」
「演技だろ」
「そ、そうよね!演技!レオンのための!」
でも顔は赤いままだ。
食事の後、街を歩いた。
「手、繋ごう」
ペルフィが突然言い出した。
「カップルは手を繋ぐものでしょ?」
「まあ、そうだな」
彼女が俺の手を取った。温かくて、柔らかくて、少し震えている。
「レオンがこれ見たら、どう思うかな」
「知らん」
「きっと悔しがるわ!」
そう言いながら、指を絡めてきた。
「恋人繋ぎ!これならもっと効果的!」
「お、おい」
「何?演技でしょ?」
でも、手に力が入っている。まるで離したくないみたいに。
「ねえ、タンタン」
「ん?」
「今日……ありがとう」
ペルフィが微笑んだ。
「レオンのこと考えてたら落ち込んじゃうけど、タンタンといると、なんか楽しい」
「そうか」
「でも!」
彼女が慌てて付け加えた。
「勘違いしないでよ!私はレオンが好きなんだから!タンタンはただの……その……」
「分かってる」
「本当に?」
「ああ」
ペルフィが安心したような、でもちょっと複雑な表情をした。
アクセサリー屋の前を通りかかった時、ペルフィが立ち止まった。
「見て、この小さなペンダント」
ショーケースの中に、葉っぱの形をした緑色の石のネックレスがあった。細い銀の鎖に、精巧な細工が施されている。
エルフってこういうの好きなんだよな。前世で読んだラノベでも、エルフはいつも自然モチーフのアクセサリーつけてた。ベタすぎるだろと思ってたけど、本当にそうなのか。
「綺麗でしょ?」
「ああ、お前に似合いそうだな」
言ってから、しまったと思った。
ペルフィが振り返った。頬がほんのり赤い。
「え?タンタン……まさか買ってくれるの?」
彼女は慌てたように手を振った。でも、期待に満ちた目をしている。
「べ、別にいいわよ!これは練習だし!私が好きなのはレオンだし!」
そう言いながら、なぜかじっと俺を見つめている。
「い、いくらタンタンがイケメンでも、私の心は動かないから!絶対に!」
なのに、なんでそんなに期待してるんだよ。
「買わない」
「……だよねー!」
……
……
「お、おかえりなさい……」
エルスの声が低い。でも、なんか震えてる?
「二人で、楽しそうでしたね」
「あ、あの……」
「ペルフィさんと、仲良くデートですか」
エルスが微笑んだ。でも目が笑ってない。
「いや、これは作戦の一環で——」
「作戦でしたね。私が提案した作戦」
そうだった。これ、元々エルスのアイデアだった。
「なのに……」
エルスが俯いた。
「なのに、私は店番……一人で……」
あれ?もしかして……
「客も来ないし……暇だし……」
エルスが上目遣いで俺を見た。
「でも、仕方ないですよね。作戦ですから。私が提案したんですから」
なんか罪悪感が……
「楽しかったんでしょうね、二人で」
「いや、別に——」
「腕組んで歩いてましたよね」
見てたのか!
「あーんとかしてましたよね」
どこまで見てたんだ!
「でも、いいんです。作戦ですから」
エルスが無理やり笑顔を作った。
「私は、ただの……ただの……」
何だこの空気。めちゃくちゃ気まずい。
「あ、そうだ、エルス」
俺は必死に話題を変えようとした。
「今日一日、店番ありがとう」
「え?」
「大変だったろ?一人で」
「あ……べ、別に……」
エルスの顔が少し赤くなった。
「それくらい、当然です」
「それに、運営資金も——」
あ。
しまった。
「運営資金?」
エルスが首を傾げた。
「何の話ですか?」
墓穴掘った。完全に墓穴掘った。
「いや、その……」
「まさか……」
エルスの顔色が変わった。
彼女は慌てて光る繭のところに走った。必死に中を探る。
そして——
「きゃああああ!」
「私の私房銭が!!」
「ご、ごめん」
「これ、店の最後の資金なんですよ!?」
「本当にごめん」
「但馬さんのバカ!」
その夜。
なぜかペルフィはまだ店にいた。
「タコちゃんと寝る〜」
完全に居候だ。
俺は昨夜のこともあるし、また一階のソファで寝ることにした。
エルスはまだ怒ってて、繭の中でぶつぶつ文句を言っている。
深夜。
みんな寝静まった頃——
コンコン。
控えめなノック音。
誰だ、こんな時間に。
扉を開けると、そこには疲れ切った顔のレオンが立っていた。
「すみません……」
彼の声は掠れていた。
「こんな時間に申し訳ない。でも、相談したいことがあって」




