10.愛妻弁当から錬金術師へ(二)
店に戻った俺たちは、二階のキッチンに集まった。
そういえば、異世界に来てから、ろくな飯を食ってない。昨日の昼と夜は、エルスが魔法デリバリーで取り寄せた普通のパン。パンを選んだ理由は簡単だ。この世界の食べ物が何か分からないし、下手に冒険して腹を壊したくない。
それに、俺は基本的に引きこもり体質なんだ。転生一日目でこれだけトラブルに巻き込まれたんだから、できれば部屋から出たくない。
『但馬さん、その考えは不健康です』
エルスの声が頭に響く。
『健康的な生活を送らないと——』
『女神は食事しないんだろ?健康とか関係ないじゃん』
『うっ……』
昨夜、俺はようやく自分の部屋で寝ることができた。ペルフィが使った後だから、なんとなくドキドキしながらベッドに入ったんだが——
「ホーリー・クリーン!」
エルスが部屋全体を浄化した瞬間、全てが新品同様になった。シーツの匂いも、枕の凹みも、全部消えた。
夢も希望もないじゃないか。
キッチンは俺の部屋の隣にある。レンジフードみたいなものは見当たらないが、なぜか煙が出ない仕組みらしい。魔法って便利だな。
俺は得意げにコンロに向かって手をかざした。
「ファイアー!」
ボッ!
火が灯った。
「おお、すごいじゃないですか!」
エルスが拍手した。
「昨日、魔法の教本を読んだばかりなのに、もう使えるなんて!」
俺は無言でエルスを見つめた。
そして——
「フレイム・バースト!」
ゴオッ!
「きゃあ!」
エルスの目の前で大きな炎が上がった。慌てて後ずさる。
「な、何するんですか!?」
見ろよ、この世界の魔法体系のいい加減さを。
昨日渡された『初級魔法呪文集』なんて、ただの中二病英語辞典だった。魔法の強さは呪文の中二度で決まる。言えば言うほど恥ずかしい呪文ほど強力になる。
ただし、魔力消費も激しいから、俺みたいな素人は小魔法しか使えないけど。
「ちょっと、遊んでないで料理始めるわよ」
ペルフィが食材を並べ始めた。
まずはコカトリスの幼体の肉。見た目は普通の鶏肉に似ているが、色が深紅で、強烈な腥臭がする。スーパーの特売品しか買えなかった俺には、ちょっと原始的すぎる。
次にグリフォンの卵。
「重っ!」
持ち上げようとしたが、予想以上の重さに手が滑った。
パリン!
「あ!」
床に落ちて割れた卵から、緑色の液体が流れ出した。
「ああああ!!私のお金がああああ!!」
ペルフィが悲鳴を上げた。
「銀貨8枚!!銀貨8枚が床に!!」
彼女は慌てて床に這いつくばり、流れ出た緑色の液体を手ですくおうとした。
「まだ使える!まだ料理に使えるわよ!」
「いや、床に落ちたのはさすがに——」
「8枚よ!?銀貨8枚!!」
ペルフィの目に涙が浮かんでいた。
「ちょ、ちょっと落ち着いて!」
俺は慌てて彼女を宥めた。
「6個買ったんだから、まだ5個残ってるじゃないか!」
「そうですよ!」
エルスも援護した。
「1個あたり1.3枚くらいですから、実質的な損失は——」
「1.3枚でも大金なのよ!」
ペルフィが泣きながら叫んだ。
いや、ちょっと……
なんで卵の中身が緑なんだよ!
『……なあ、エルス。』
心の中で話しかける。
『この食材、ペルフィが払ったよな?俺たちが報酬から引くべき?』
『うーん……』
エルスが考え込む。
『自由意志を尊重すべきです。彼女が自分で払って、払い戻しを求めてないなら、それは彼女の選択です』
『なるほど、さすが女神様』
俺は油断した口調で言った。
『じゃあ、タダ飯ってことだな』
『そういう言い方はやめてください!』
最後に魔猪竜血ソーセージ。包装には謎の紋様が描かれていて、
なんか光ってる。
だい、大丈夫ですよね…?
まあ……とりあえず、料理を始めましょう。
まずは厚焼き玉子から。
「ペルフィ、卵を割って」
「はい」
グリフォンの卵を割ると、緑色の液体がボウルに注がれた。なぜか卵同士が引き合うように動き、粘度が異常に高い。しかも、微かに光ってる。
「砂糖と出汁を入れて……」
俺は適当に白い粉を掴んで投入した。塩だろう、たぶん。
かき混ぜると、卵液がさらに粘っこくなった。箸に絡みつくように動く。まるで生きてるみたいだ。
……いや、気のせいだ。
うん。きっと気のせい。
フライパンに流し込むと、ジュワッという音と共に、卵液が蠢き始めた。
「なんか……動いてない?」
「気のせいですよ」
エルスが笑顔で言うが、明らかに引きつってる。
何層にも重ねて焼き上げた厚焼き玉子は、なぜか脈打つような動きをしていた。
これ、食べ物か?
まあ、いいか。次は唐揚げ。
コカトリスの肉を一口大に切る。断面から赤い汁が滴る。
「醤油で下味を……」
黒い液体を肉にかける。醤油っぽい匂いはするが、妙に粘度が高い。
「片栗粉をまぶして……」
白い粉を振りかける。片栗粉のはずだが、なんか結晶みたいにキラキラしてる。
油に入れると、激しい音と共に泡が立った。そして、硫黄のような臭いが漂い始める。
「くさっ!」
「窓開けて!」
慌てて換気すると、揚がった唐揚げが皿の上で微かに震えていた。
箸でつつくと、カチンと金属音がした。
石みたいに硬い!
「最後は私がやります!」
エルスが張り切って言った。
「タコさんウインナー、作りたかったんです!」
「いや、危険な予感が——」
「大丈夫です!」
エルスは魔法のナイフを取り出し、ソーセージに切り込みを入れ始めた。
「楽しい〜♪」
嬉しそうに切り込みを入れるエルス。だが、切った瞬間から、ソーセージが不気味に脈動し始めた。
「あれ?」
「おい、それヤバくない?」
「き、気のせいですよ」
茹でるために鍋に入れると——
ブクブクブク!
激しく泡立ち、ソーセージが暴れ始めた。まるで生き物のように鍋の中で跳ね回る。
「きゃあ!」
「抑えろ!蓋しろ!」
なんとか茹で上がったソーセージは、皿の上でクネクネと動いていた。触手のように。
「これ……タコさんって言うより……」
「本物のタコみたいですね」
いや、タコより気持ち悪い!
でも、ペルフィは満足そうだった。
「完璧!これなら隊長も喜ぶわ!」
彼女は三つの料理を弁当箱に詰め始めた。
厚焼き玉子をまず入れる。すると、玉子が自分から動いて、弁当箱の底に広がった。
唐揚げを入れると、玉子がそれを包み込むように蠢く。
最後にタコさんウインナーを入れた瞬間——
ピカッ!
弁当箱全体が光り始めた。
「えっ?」
蓋がガタガタと震え始める。中から何かが出ようとしているかのように。
「ちょ、ちょっと……」
俺が止める間もなく、エルスが興味深そうに蓋を開けた。
「どうなってるのかな〜?」
パカッ。
「「「ぎゃああああああああ!!!」」」
弁当箱の中には、もはや料理はなかった。
黄色いゼリー状の何かが、石のように硬い塊を包み込み、その中心から数本の触手が伸びている。
それは、ゆっくりと弁当箱から這い出そうとしていた。
グチャ……グチャ……
粘液質の音を立てながら、その生物——いや、合成獣が動く。
「な、なんじゃこりゃああああ!」
俺は頭を抱えた。
「料理作ってたはずなのに!なんで生物が誕生してるんだよ!」
『あ、あの……』
エルスが青ざめた顔で言った。
『もしかして、高級食材に残留してた魔力が、調理過程で融合して……』
「先に言えよ!」
グニャア……
合成獣が不気味な音を立てながら、完全に弁当箱から這い出た。
大きさは猫くらい。黄色い体から石のような突起が生え、触手を振り回している。
「こ、これをレオンに渡すの?」
ペルフィが震え声で言った。
「無理だろ!」
「でも、愛情は込めたわよ!」
「愛情じゃなくて呪いだろこれ!」
グルルル……
合成獣が唸り声を上げた。
そして、ゆっくりとこちらを向いた。
目はない。だが、確実にこちらを認識している。
「あ、あの!」
エルスが慌てて説明し始めた。
「これはですね、高級食材に含まれる残留魔力が調理過程で相互作用を起こして、生命エネルギーの循環構造を形成し、さらに竜血の支配欲求が触媒となって自律行動を——」
「「逃げろおおおお!!」」




