9. 『授業中、前世の記憶を作文に書きそうになって先生が泣いた件について』
「今日は、“大切なもの”について、紙に書いてみましょう」
国語(というか感性育成)の授業で、先生がそう言った。
「人でもいいし、ものでもいいよ。お父さんやお母さん、ペット、ぬいぐるみ、お気に入りのおやつ──なんでもOKです」
クラスの子たちはみんな、楽しそうにペンを走らせ始めた。
「パパの盾、ぼくが大きくなったら使うんだ〜」
「お城の自室のバスタブ♡」
「推しの騎士様のサイン入りハンカチィィ♡」
そんな中で、僕は紙を見つめたまま、動けなくなっていた。
(……大切なもの)
ミミル、パパ、ママ、園のお友達──
今なら、そう書けるのに。
なのに、手が動かなくなったのは──
「前は、何が欲しかったんだっけ」
ふと、前世のことを思い出してしまった。
──冷たい家。
──父は“お前は政治の駒”と言った。
──母は“私はもっと大事にされてきた”と、僕を睨んだ。
──助けを求めたとき、返ってきたのは“代わりに脱げ”という声だった。
僕は、ずっと“物”だった。
優しい言葉の裏に、代償がある世界で生きていた。
「……大切だったものなんて、なかったよ」
その言葉が、ペン先に乗りかけた、そのとき。
カタン──と音がして、先生が手元の筆箱を落とした。
僕の後ろを通りかかったとき、紙をのぞいたらしい。
「ル、カくん……」
先生は震える声で、僕の机にそっと手を置いた。
次の瞬間、教室が静かになった。
「ルカが、泣きそうな顔してる……」
「な、なんで……ルカが……?」
「せんせい、ルカくんに何か言ったの!?」
ざわざわと園児たちの声が広がる。
ユリウスはすぐに僕の隣に座り、
「先生、これ以上ルカを動揺させるのは、国家に対する侮辱行為です」と真顔で言った。
レオンはそっと僕の手にミミルを戻してくれた。
ノアは、僕の背中をやさしくなでながら、笑わず、ただ言った。
「ルカが、悲しくならないようにしたいんだ。だから……何も言わなくていいよ」
(……ああ)
この子たちは、今の僕を見てくれてる。
「昔どうだったか」じゃなくて、「今、何を大切にしているか」を見てくれてる。
僕は、もう一度紙を見て、改めてペンを取った。
書いたのは、ただひとつの言葉。
「ミミル」
紙を提出したとき、先生は泣きながら僕を抱きしめた。
「ルカくん……ありがとう。大切にしてるの、伝わってきたよ……」
僕はそっとミミルを抱きしめながら、笑った。
「うん。ぼくも、大切にされてるの。……ちゃんと、わかってるよ」
──僕はもう、“ひとりじゃない”。