第九話:選ばれた剣
朝。
宿の窓から差し込む光が、布団の端に柔らかく落ちていた。
目を開けると、すぐ横にエリスの銀の髪が見えて、少しだけ胸が高鳴った。
昨夜の静けさが、まだ胸の奥に残っていた。
不思議な時間だった――でも、心地よかった。
それ以上の意味を探るのは、今はやめておこうと思った。
彼女が何も言わないのならそれでいい。
宿の朝食は、温かいスープと焼きたてのパンだった。
僕はしっかりと手を合わせて食べ始めたが、ふと横を見ると、エリスの皿はほとんど手つかずのままだった。
「……食べないの?」
「気にしないで。私は、あまり食べなくても平気なの」
それだけ言って、彼女はスープをひと口だけ口にした。
まるで、旅の同伴者として形を整えるためだけに。
そういうところも、やっぱり少し変わっている。
でもそれを変だとは思わなかった。
「今日はどうするの?」
僕が聞くと、エリスは少し考えてから答えた。
「まずは、武器屋へ行きましょう。ちゃんとした剣を持たないと、練習も戦いも効率が悪いわ」
「……うん、わかった」
町の中心にある武器屋は、外から見ただけでも立派だった。
石造りの看板に刻まれた盾と剣の意匠。重たそうな木の扉の奥から、金属の打ち合う音が微かに響いていた。
中に入ると、壁には大小さまざまな剣や槍、斧が並んでいた。
店主の男は無骨な見た目で、言葉は少ないけれど丁寧だった。
僕が色々と剣を手に取ってみても、どうもしっくりこない。
そのとき奥の棚の一角で、一本の剣が目に入った。
飾り気のない、でも細部に手間をかけたような作り。
柄には年月を感じる擦れがあって、どこか懐かしさすらあった。
「……これ、持ってみていい?」
店主が頷いた。
剣に触れた瞬間、手がじんと温かくなった気がした。
「……なんだろ、これ。すごく……落ち着く」
「その剣、少し古いけど作りが丁寧ね」
エリスがそっと近づいて、柄の装飾を静かに見つめた。
「……詳しいんだね?」
「旅と武器は、セットみたいな物だから」
少しだけ遠くを見るような目をしていたけれど、すぐに微笑んだ。
「その剣でいいわ。あなたの手に、よく馴染んでる」
午後。
町の外れにある草原で、僕は新しい剣を振っていた。
木剣よりもずっしりと重く、手に伝わる感触は全然違った。
太陽は高く、風は冷たく、地面は少し湿っていた。
けれど剣を握る手だけは確かに熱を持っていた。
「力任せに振らない。剣の重みを腕で受け止めて」
「う、うん……!」
エリスが横で見守ってくれている。
その視線があるだけで、がんばれる気がした。
夕方、練習を終えて戻る道すがら、僕は剣を眺めながらつぶやいた。
「……これ、ずっと使えるかな」
「大切にすれば応えてくれるわ。剣も人も同じよ」
「応えてくれる、か……」
「ええ。きっと」
宿に帰ったあと、ふと外を眺めると。
部屋の窓から見える紅い月は昨日よりも大きく見えた。
どこか遠くて、でも懐かしく、吸い寄せられるように目が離せなかった。
この剣でエリスのために。
僕はもっと強くなりたい。
心の奥で、そんな声が小さく確かに響いていた。