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紅月は独り夜を歩く  作者: H.BAKI
始まりの物語
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第五話:静水の町へ

朝、窓の外はもう明るくて、空気にほんのり春の匂いが混じっていた。


村に泊まるのも今日で最後だ。

荷物といっても、僕が持っているのは木剣と小さな袋くらい。

それなのにどこかそわそわしていた。


宿の外に出ると、エリスはもう待っていた。

黒いマントが朝の光を受けて、やわらかく揺れている。


「おはよう、ルシアス」


「……おはよう」


挨拶を交わしただけで、昨日までと同じ安心が胸に戻ってくる。


「準備はいい?」


「うん。これしか持ってないし」


「それなら、出発しましょう。静水の町までは三日。途中に宿はないから、少し歩くわよ」


「……うん、がんばる」


言葉にしたら、背中がすっと伸びた気がした。

歩き出せる。そう思えた。


村の出口には、見張りの男が立っていた。


「もう出るのか、旅人さん」


「ええ。次は東の町へ向かうわ」


「気をつけてな。あっちの道は森を抜けなきゃならない。魔物も出るって話だ」


「大丈夫よ。護衛はいるから」


そう言って、エリスはちらっと僕を見た。


「えっ……あ、うん!」


男は一瞬だけ驚いた顔をしたけれど、すぐに笑ってうなずいた。


「頼もしいな、坊主」


ちょっと照れたけど、悪い気はしなかった。


森の道は、昨日まで剣を振っていた場所よりも、少し深くて静かだった。


エリスは前を歩きながら、ときどき振り返って僕の様子を確かめてくれる。


「疲れたらちゃんと言って。無理は禁物よ」


「うん。今は平気。……昨日まで剣を振ってたから、歩くのはちょっと楽かも」


「そう。剣も旅も、体力が大事。意外と似ているのよ」


「似てる……のかな」


言いながら、僕は笑った。


森には穏やかな光が差し込んでいた。

鳥の声と木のざわめき。木漏れ日が、ゆっくり揺れている。


こんなにきれいだったなんて、知らなかった。


昼前、小さな丘を越えると風に草の匂いが混じった。


エリスが立ち止まり背中越しに言った。


「そろそろお昼にしましょうか」


「うん……! お腹空いたかも」


僕の声に、エリスの肩がかすかに動いた。


「私も……そうね、ちょっとお腹が空いたわ」


その言い方に、ふと胸がざわついた。

エリスの横顔に目をやると、紅い瞳がほんの一瞬、僕の喉元を見た気がした。


「……なに?」


「別に。ただ……少し吸いたくなっただけ。血を」


「またその冗談……!」


そう言ったけど、冗談にしては、少し間があった気がした。


「ふふ。言ってみただけよ」


エリスはすぐに表情を戻して、木陰に腰を下ろし、持っていた包みを開いた。

パンと干し肉、それから果物をいくつか。

村を出る前に宿の親父が持たせてくれたものだった。


「今日は半分だけ。明日は水場がないから調整して食べるのよ。」


「うん」


二人で食べる昼ごはんは簡単だったけど、不思議と落ち着けた。


「エリス、あのさ……」


「なに?」


「ありがとう。旅に連れてってくれて」


僕の言葉に、エリスは一瞬黙ってから、首をかしげた。


「……それ、まだ早くない?」


「え?」


「旅はこれからよ。ちゃんと歩き終わってから感謝しなさい」


「……うん、そうだね」


でも、言いたかった。だから言った。それだけだ。


エリスは何も言わずに、指先で僕の頬をそっとつついた。

それだけでなんだか少し元気になれた。


午後になると、道は少し険しくなった。

崖沿いの細道を抜けたり、ぬかるんだ地面を避けたり、体だけじゃなく頭も使う。


夕方、森を抜けると空が茜色に染まり、紅い月が輪郭を見せ始めていた。


「今日は、ここまでにしましょう」


エリスが言い、近くの木の根元に荷を下ろす。

僕もその隣に腰を下ろした。


「今日は……けっこう歩いたよね」


「静水の町までは、あと二日。でも明日は山を越えるから、もう少し大変よ」


「うん……でも、楽しみかも」


「そう。ならよかった」


火は起こさず、ただ隣に座って空を見ていた。


紅い月は高くて、どこか切なげだったけど、

その光を浴びながら隣にいる人がいるだけで、強くなれる気がした。


「……ねえ、エリス」


「なに?」


「明日も、一緒に歩こうね」


エリスは何も言わず、僕の頭をそっと撫でてくれた。

その手が少しだけ熱を帯びていたのは、気のせいじゃないと思った。


この旅は、きっとまだ始まったばかり。

でも、この歩幅でちゃんと前に進んでいける。そう思えた。


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