第四話:剣とふたりの距離
朝。
白い霧がまだ村の屋根を包んでいたけど、昨日より寒さは和らいでいた。
僕はゆっくりと起きて、木剣を抱えて外へ出た。
昨日、エリスに剣の構えを教わってから、ずっと体が熱っぽい。
腕や肩は痛いけど、それでもまた......振りたくなった。
向かったのは、村の広場の裏。
畑の先にある、草の生えたちょっとした空き地。
そこにエリスが立っていた。
「……もう来てたんだ」
「ええ。君が来ると思ってたから」
「そっか。……なんか、落ち着かなくて」
「正しい反応ね。剣を振り始めた人間は、大抵そうよ」
エリスの返事は、相変わらず淡々としてたけど、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。
「昨日、千回振れば入口だって言ってたでしょ。だから、今日の目標は千回」
「……本気なの?」
「やってみないとわかんないけど、できるとこまでやる」
僕は剣を構えて、足を開いて力をこめた。
「いち、に、さん……」
風を切る音が耳に残って、すぐに肩にずしんとした重さがのしかかってきた。
「腕がぷるぷるする……。」
「まだ七百回残ってるわね」
「あの、励ましの言葉とかは……。」
「剣に必要なのは技術と継続。それに、ちょっとの負けず嫌い」
「……はい」
言いながら、内心ちょっと悔しかった。
でも、嫌な気持ちじゃなかった。
エリスがちゃんと見てくれてる気がして、僕はもう十回振った。
......。
五百を超えたところで、一度休憩をもらった。
井戸のそばで腰を下ろすと、エリスが水をくんでくれた。
「冷たいわよ。少しずつ飲みなさい」
「うん、ありがとう」
喉に流れた水はびっくりするほど冷たくて、でもすごく気持ちよかった。
「こんなに体力使うんだね。……思ってたよりきつい」
「思ってる以上に全身を使うものなのよ。しかも、今は“覚えながら”振ってる」
「そっか。考えながらだと...その分疲れるんだ」
「そういうこと」
会話のテンポはゆっくりだったけど、それが僕にはちょうどよかった。
「エリスも、最初はきつかった?」
「ええ。私も昔、誰かに“千回振れば入口”って教わったの」
「へえ……誰?」
「昔の知り合いよ。素直で真面目で、まっすぐな人だったわ」
「へえ...いい人なんだ。」
「ふふ……どうかしらね」
エリスは遠くを見た。
その瞳の奥に、少しだけ懐かしさみたいなものがにじんでいた。
......。
午後。
もう一度剣を握って、残り三百回に挑んだ。
六百回あたりで腕が限界に近づいて、七百を超えたころには足までぐらついてた。
でも、エリスは何も言わず、黙って横で見ていた。
何も言われないことで、逆に「がんばらなきゃ」と思えた。
最終的に、今日は八百でエリスに止められて終わった。
悔しさもあったけど、それ以上に「続けたい」って気持ちが残っていた。
......。
宿に戻ると、エリスがふと窓辺に座っていた。
空はもう茜色に染まっていて、雲の合間から紅い月が顔を出していた。
「……明日も、剣の練習していい?」
「もちろん。君が続けたいなら、私は止めないわ」
「よかった。……ちょっとずつだけど、振るのが好きになってきた」
「それはいい兆候よ。剣を“嫌いじゃない”と思えるなら、もう続けられる」
「エリスは、剣が好き?」
「好き……かどうかはわからない。でも、“教えてもらった人”のことを思い出すから、嫌いじゃないわ」
「その人、今は?」
「……もう、いないわ」
そう言ったエリスの声は、少しだけ静かだった。
だから僕も、何も言わなかった。
ただ、剣を胸に抱いて、窓の外を一緒に見上げた。
紅い月が、昨日よりも少しだけ近くに見えた。
たぶん、気のせいじゃないと思う。