第33話:映し鏡の記憶
城の奥――光の届かない小さな間に、その鏡はあった。
高さは子ども一人分ほど。枠は白銀のように輝き、中央には淡く揺れる水面のような“鏡”が据えられている。
それは、何かを映すでもなく、ただ静かに脈動していた。
「これは……」
僕は思わず言葉をこぼした。
「不思議、だね……水でもない、けど……鏡?」
メルフィも僕の横に立ち、小さな瞳をじっと見開いている。
「“追想の鏡”と呼ばれています」
静かな声でソフィティアが言った。
その表情はいつもより少しだけ陰っていた。
「見る者の心に宿る“記憶のかけら”を、過去か未来の映像として映し出すことがあるそうです。確かな理屈は分かっていませんが……この王城に伝わる、最古の魔導遺物のひとつです」
「……未来、も?」
僕は反射的に聞き返した。
ソフィティアは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「はい。ただし――“見る準備”ができていなければ、何も映らないまま、心が乱されるだけとも言われています」
「準備、って……?」
「その答えは、あなた自身にしか分からないのかもしれません」
僕は言葉を失った。
だけど、どうしても目を離せなかった。
鏡の奥に、何かがある。そんな気がして――。
*
気づけば、視界がにじんでいた。
ふわりと、景色が揺れる。
鏡の向こう側が、別の世界に変わっていた。
それは、見知らぬ場所。
重く雲がたれこめた空。焼け落ちた石畳の道。
瓦礫の中を歩く一人の青年。
……いや、どこかで見たことがある。
その顔。銀の短剣を帯びた腰。剣を握る右手。
(……僕だ)
でも、今の僕じゃない。
声変わりを終えた、少し背の高い青年の僕が、そこにいた。
青年の僕は、何かを探すように歩いている。
顔には疲れと焦りがにじみ、どこか哀しげな雰囲気をまとっていた。
その手には、血の跡がついた小さな布が握られていた。
(これは……未来?)
胸が苦しくなる。
気がつけば、視界が再びにじみ、目の前の鏡に戻っていた。
「ルシアス、大丈夫?」
メルフィの声が聞こえる。
彼女の顔が心配そうに近づいていた。
「……うん。ちょっと、くらっとしただけ」
返事をしながらも、心の奥はざわついていた。
(あれは……本当に、僕の未来?)
だとすれば――僕は、何を失うんだろう。
なぜあんな表情をしていたのか、まったくわからなかった。
*
「“追想の鏡”に映るものは、運命の一端とも言われています」
ソフィティアはそっと近づいてきて、静かに言った。
「それを信じるか否かは、貴方次第ですが……映ったものが“確かに存在する未来”である可能性も、否定できません」
「……だったら、僕は」
気づいたら、口が動いていた。
「僕は……あんなふうにはなりたくない。誰かを失うような未来なら、絶対に変えてみせる」
ソフィティアは、少しだけ目を細めてうなずいた。
「それでこそ、ですわ。あなたが“鍵”である理由……少しずつ、分かってきた気がします」
その言葉の意味は、まだ理解できない。
でも――彼女のまなざしは、どこまでも真っ直ぐだった。
「ありがとう、ソフィ」
僕は、彼女に向かって微笑んだ。
隣でメルフィが、なぜか頬をぷくっと膨らませていたけれど――今は、そっとその手を握った。
――未来がどうであれ、今の僕は、誰かを守れる強さが欲しいと思った。
たとえそれが、運命を変える戦いの始まりだとしても――。




