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紅月は独り夜を歩く  作者: H.BAKI
五大大陸と魔界
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第33話:映し鏡の記憶

城の奥――光の届かない小さな間に、その鏡はあった。


高さは子ども一人分ほど。枠は白銀のように輝き、中央には淡く揺れる水面のような“鏡”が据えられている。

それは、何かを映すでもなく、ただ静かに脈動していた。


「これは……」


僕は思わず言葉をこぼした。


「不思議、だね……水でもない、けど……鏡?」


メルフィも僕の横に立ち、小さな瞳をじっと見開いている。


「“追想の鏡”と呼ばれています」


静かな声でソフィティアが言った。

その表情はいつもより少しだけ陰っていた。


「見る者の心に宿る“記憶のかけら”を、過去か未来の映像として映し出すことがあるそうです。確かな理屈は分かっていませんが……この王城に伝わる、最古の魔導遺物のひとつです」


「……未来、も?」


僕は反射的に聞き返した。

ソフィティアは、ほんの少しだけ目を伏せた。


「はい。ただし――“見る準備”ができていなければ、何も映らないまま、心が乱されるだけとも言われています」


「準備、って……?」


「その答えは、あなた自身にしか分からないのかもしれません」


僕は言葉を失った。


だけど、どうしても目を離せなかった。

鏡の奥に、何かがある。そんな気がして――。


 



 


気づけば、視界がにじんでいた。


ふわりと、景色が揺れる。

鏡の向こう側が、別の世界に変わっていた。


それは、見知らぬ場所。

重く雲がたれこめた空。焼け落ちた石畳の道。

瓦礫の中を歩く一人の青年。


……いや、どこかで見たことがある。


その顔。銀の短剣を帯びた腰。剣を握る右手。


(……僕だ)


でも、今の僕じゃない。

声変わりを終えた、少し背の高い青年の僕が、そこにいた。


青年の僕は、何かを探すように歩いている。

顔には疲れと焦りがにじみ、どこか哀しげな雰囲気をまとっていた。


その手には、血の跡がついた小さな布が握られていた。


(これは……未来?)


胸が苦しくなる。


気がつけば、視界が再びにじみ、目の前の鏡に戻っていた。


「ルシアス、大丈夫?」


メルフィの声が聞こえる。

彼女の顔が心配そうに近づいていた。


「……うん。ちょっと、くらっとしただけ」


返事をしながらも、心の奥はざわついていた。


(あれは……本当に、僕の未来?)


だとすれば――僕は、何を失うんだろう。

なぜあんな表情をしていたのか、まったくわからなかった。


 



 


「“追想の鏡”に映るものは、運命の一端とも言われています」


ソフィティアはそっと近づいてきて、静かに言った。


「それを信じるか否かは、貴方次第ですが……映ったものが“確かに存在する未来”である可能性も、否定できません」


「……だったら、僕は」


気づいたら、口が動いていた。


「僕は……あんなふうにはなりたくない。誰かを失うような未来なら、絶対に変えてみせる」


ソフィティアは、少しだけ目を細めてうなずいた。


「それでこそ、ですわ。あなたが“鍵”である理由……少しずつ、分かってきた気がします」


その言葉の意味は、まだ理解できない。

でも――彼女のまなざしは、どこまでも真っ直ぐだった。


「ありがとう、ソフィ」


僕は、彼女に向かって微笑んだ。


隣でメルフィが、なぜか頬をぷくっと膨らませていたけれど――今は、そっとその手を握った。


 


――未来がどうであれ、今の僕は、誰かを守れる強さが欲しいと思った。


たとえそれが、運命を変える戦いの始まりだとしても――。

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