第30話:王都の朝と姫
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
まぶたの裏がじわりと温かくなり、僕はゆっくりと目を開ける。
「……ん」
ふわふわの枕、やわらかい毛布。身を沈めるベッドの心地よさに、もう一度まどろみそうになる。
そのとき、隣から小さな寝息が聞こえた。
目を向ければ、メルフィが僕の腕に抱きつくようにして眠っている。その顔は穏やかで、まるで子猫のように安心しきっていた。
反対側に目をやると、エリスが椅子に腰かけ、静かに僕を見つめていた。銀色の髪が朝の光に揺れ、赤い瞳がどこか柔らかく細められている。
「……おはよう、ルシアス」
囁くような声。それだけで胸がどきりとした。
「昨夜は……その、ありがとう……」
「あら、何のことかしら?」
エリスは唇に指を添えて微笑んだ。その微笑みの奥には、かすかな疲労が見え隠れしている。
(……やっぱり、無理してる。限界が近いのかもしれない)
僕はそっとベッドから起き上がり、静かに身支度を整えた。
──
セントリアの朝は騒がしく、にぎやかだった。
街の中心部に近い宿から出ると、すぐに目に入ったのは王都を象徴する巨大な塔と、その向こうにそびえる白亜の王城。
「……すごい」
立ち尽くす僕の背中から、小さな声が響いた。
「昨日の夜よりも、もっと賑やか……なんか、夢みたい」
メルフィが目を輝かせている。彼女の手を取ると、エリスもやがて後ろから歩いてきた。
「セントリアは、オルディア大陸の中心。王都であり、すべての情報と権力の交差点。……ここで動けば、世界が揺れるわ」
「……動く?」
エリスの言葉に、思わず聞き返す。
「王の呼び出しよ。セントリア王が、貴方たちに会いたいと言ってきたわ」
突然のことだった。
僕はもちろん、メルフィもきょとんとしていたが、エリスの顔はわずかに険しかった。
「王って……本当に、あの?」
「ええ。昔からの付き合い。……ちょっと因縁があるのよ」
彼女の言葉には、かすかな棘が混ざっていた。
──
セントリア王城は、まるで天空に浮かぶ神殿のようだった。
純白の大理石、金の柱、魔導の光が差し込む空間。そして、天井近くまで届くステンドグラスには、歴代の王と戦士たちの物語が刻まれていた。
その玉座の間に入ったとき――
「ほう……なるほど。あの“紅き月”と共に現れたという少年が……」
王は重々しい声で語った。
年の頃は五十手前、厳格そうな顔立ちに、軍服めいた王装束をまとった男――彼が、セントリア王だった。
しかしその瞳にはどこか、気さくさと、深い悔いのようなものが滲んでいた。
「……久しいな、エリス。こうして会うのは……十数年ぶりか?」
「ええ、ギルバート」
その名前を口にした瞬間、玉座の間の空気が揺れたように感じた。
「……私に、頭を下げるつもり?」
「頭など、何度でも下げよう。あの頃、私には“選ぶこと”しかできなかった。お前にあれほどの汚れ仕事を背負わせたこと――ずっと、悔いていた」
エリスは一歩も引かずに見つめ返す。
「言葉よりも行動よ。ギルバート」
「……それでも、お前がここに戻ってくれただけで、私には十分だ」
セントリア王の声には、確かな誠意があった。エリスも、どこか目を伏せたように見えた。
そして――その隣に現れたのが、彼女だった。
「父上。遅れてごめんなさい。今日の式典の準備で……」
まるで光が差し込んだかのように、柔らかくも気品ある声が響いた。
そこに立っていたのは、青と白のドレスをまとった一人の少女。
年の頃は十六。輝くような金色の髪に、透き通るような肌。蒼い瞳は涼しげで、それでいてどこか憂いを帯びていた。
「あなたが……ルシアス様、ですね。初めまして。私はソフィティア・セントリアと申します」
その声音は凛としていて、けれどどこか恥じらいを含んでいた。
(……綺麗な人だ)
思わず見惚れてしまう僕を、メルフィがむっとした表情で見上げた。
「ふぅん……」
(え、なに?)
心の声が聞こえてきそうで、僕は慌てて視線を逸らす。
「父上、ルシアス様の旅路には、王家として最大限の支援をお約束しましょう。彼が“鍵”となるなら、私たちもまた動くべきです」
「ソフィティア……」
王は目を細め、娘の言葉を噛み締めるようにうなずいた。
(“鍵”……?)
その言葉に、僕は胸の奥にひっかかる感覚を覚えた。
けれど今は、まだその意味を知らない。
――物語は、確かに大きく動き出していた。




