第26話: 灰色の古都と夢の記憶
「なんか、やっぱり……ここ、変だよね」
町の裏通りを歩いていたメルフィが、ぴたりと足を止めた。目を細めて空を見上げる。曇り空の下、風はなく、木々の葉すらも揺れていなかった。まるで、時間だけが止まっているような、不気味な静けさが町を包んでいる。
僕――ルシアスは頷きながら周囲を見渡した。
「昨日の広場……何かがおかしかった。空間が歪んでいたような、そんな気がしたんだ」
「実際、感じたわ。あの“軋み”……あれは自然のものじゃない。誰かが、あるいは“何か”が仕掛けてきてる」
エリスの言葉は静かだが、その瞳は鋭い光を帯びていた。
昨夜、アルメティアの宿で過ごしていたとき、僕は奇妙な夢を見た。赤く染まった空、崩れた塔、そして誰かの声――「繰り返すな」とだけ告げる、低くて優しい声だった。
……。
朝、宿の女将から耳にしたのは、思いがけない言葉だった。
「……五大大陸のうち、この辺りは“灰嶺大陸”とも呼ばれててね。最近、北の方で何か騒ぎがあったらしくて……旅人もすっかり減っちまったよ」
その一言に、エリスの目が細くなる。
「五大大陸……?」
僕が首を傾げると、彼女は少し口を噤んだあと、ため息混じりに言った。
「世界は、五つの大陸に分かれているの。昔はそれぞれに“柱”があった。世界を支える魔術の支柱。けれど、そのうちいくつかは、すでに失われて久しいわ」
「それって……何かに壊されたとか?」
「あるいは、“内側から崩れた”のかもね」
エリスの言葉に、メルフィが身を寄せる。
「それって……この町の異変も関係あるの?」
「可能性はあるわ。でも……確信が持てない。まだ何かが足りないの」
僕たちはそれ以上詮索せず、ひとまず町の中心部へ向かった。
……。
広場には、昨日と同じ石造りの噴水があった。水は澄んでいるが、辺りに人の気配はない。
「やっぱり……誰もいないね」
「町が、生きていないみたい」
メルフィの呟きは、どこか寂しげだった。
そのときだった。
ゴォ……という低い風のうねりのような音が、地の底から響いた。
「今の、聞こえた?」
「……ええ」
エリスが立ち止まり、辺りを見回す。
「結界が動いたわ。これは……誰かが“封じている”」
「封じてる……?」
「中にいる“何か”が、外へ出ないようにね」
僕の背筋に、冷たい汗が流れた。
町の外れにある、古びた祠。数日前に火災があったと噂されていた場所。
「……行ってみよう」
……。
祠は予想以上に荒れていた。扉は焼け焦げ、壁は崩れかけている。
「ここが……何かの封印?」
「ええ、魔力の痕跡が残ってる。昨日までは気づかなかった……」
エリスが手をかざすと、微かに光る紋章が壁に浮かび上がる。それは、セレフィアの塔に刻まれていたものに酷似していた。
「これ、記憶封印に似てる……」
「誰が、こんな場所に?」
「……セレフィアと同じなら、“未来”から来た誰か。あるいは――」
言葉が止まる。
そのとき。
ギギギ……
地下から、何かが這い上がってくるような音が響いた。
「来るわ。メルフィ、下がって」
「う、うん……!」
僕も剣を構え、エリスの隣に立つ。
崩れかけた扉の奥から、黒い霧のようなものが、音もなく這い出してくる。
「これは……魔物じゃない。影?」
「形を持たない存在……実体化した“呪い”かもしれない」
エリスが魔力を練る。赤い光が手のひらに宿ると、空気が張り詰める。
「ルシアス。攻撃しないで。これは……“封印を試す”もの。真正面からぶつかれば、破られる」
「……わかった」
目の前に現れたのは、人の形を模した影。目のような赤い点がこちらを見ていた。
「メルフィ、何があっても僕の後ろに」
「うん……ルシアス、気をつけて……!」
静かに、対峙する三人。
アルメティアの町に、再び不穏な風が吹いた。




