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紅月は独り夜を歩く  作者: H.BAKI
五大大陸と魔界
23/34

第22話: 静かな森と囁かれる名

木漏れ日が降り注ぐ緩やかな坂道。風が枝葉を揺らし、森はどこか穏やかな気配を纏っていた。


エリスが先頭を歩き、僕とメルフィがその後を並んで進んでいる。港町を出てから半日ほどが経ち、道は次第に開けた林から深い森へと変わりつつあった。


「……この森、前に通ったことある?」


僕が何気なく尋ねると、エリスは振り返らずに答えた。


「ええ。昔、この先の都市で一度だけ仕事をしたことがあるの」


「都市って、名前は?」


「――“セレフィア”。〈眠れる古都〉って意味よ。かつては魔術研究の拠点だったけど、今は人も少なくて……静かな町よ」


「セレフィア……」


その響きはどこか懐かしくて、でも聞き慣れない。不思議な感覚が胸に残った。


「その町、今も魔術師が住んでたりするの?」


「どうかしら。少なくとも、研究塔はもう動いてないわね。古文書の保管庫があるくらいかしら」


「はぇ〜……なんだかロマンありますね」


隣でメルフィが小さく笑う。彼女は相変わらず軽装のまま、小さな鞄を両手で抱えて歩いていた。


「でも……この森、ちょっと静かすぎませんか?」


ふと、メルフィが声を落とす。たしかに、鳥の鳴き声すら途切れがちで、風の音ばかりが耳に残る。


「このあたりは“静穏の森”って呼ばれてるわ。昔、結界が張られたらしくて、音や気配が外に漏れにくいの。魔術師たちがこもるには都合のいい場所だったんでしょうね」


「結界……って、まだ残ってるんですか?」


「部分的にね。完全じゃないけど、少なくとも“外からの視線”は避けられるわ」


エリスの言葉に、僕は少し背筋が伸びる思いだった。結界が残っているなんて、それだけでもこの場所がただの森じゃないことがわかる。


「……でも、なんで昔の魔術師はこんなところに集まってたんだろうね」


「……ルシアス、何か気になるの?」


メルフィが小声で問いかけてきた。


「うん。理由がある気がしてさ。たとえば今もその研究の“痕跡”が残ってたり……とか」


「ふふっ、まるで冒険家さんみたいですね」


メルフィが微笑んだとき、森の奥からかすかな水音が聞こえた。


「川があるわ。ちょっと休憩しましょうか」


エリスが立ち止まり、手で草をかき分けると、小さな清流が顔を見せた。澄んだ水が岩肌を滑り、陽にきらめいている。


「うわぁ……きれい」


メルフィがしゃがみ込み、手を水に浸す。


「冷たくて、気持ちいい……」


「少しだけ、ここで昼食にしましょう」


エリスが腰を下ろし、荷物から簡易マットを取り出す。僕たちもそれに倣って腰を落とした。


メルフィが持っていた布包みから、パンと干し肉、少しの果物を取り出して並べる。その所作はすっかり慣れたもので、彼女の世話焼きな一面が垣間見える。


「ルシアス、はい。どうぞ」


「ありがとう」


手渡されたサンドイッチを受け取りながら、僕はちらりとエリスの方を見る。彼女は静かに水面を眺めながら、何かを考えているようだった。


「エリス、どうかしたの?」


「……いえ、ただの直感だけど。この森、誰かに見られてる気がするの」


「えっ……」


メルフィがぴたりと動きを止める。


「魔物の気配はない。でも……“人の視線”って感じかしら。魔術師の残留思念、あるいは……廃墟に住み着いた何者か」


エリスは視線を森の奥に向けた。


「警戒はしておいた方がいいわ」


「う、うん……」


メルフィが少し怯えたようにこちらに寄ってきたので、僕はそっとその肩を抱いた。


「大丈夫だよ。エリスがいれば、きっと平気」


「……ルシアス、ありがと」


ほんの少しだけ、彼女が頬を寄せてくる。


そのとき――。


「……誰かいるの?」


メルフィがつぶやくように言った。


エリスがすぐに立ち上がり、森の茂みに目を向けた。


「……隠れてるつもりかもしれないけど。出てきてもらえる?」


数秒の沈黙のあと、茂みがかさりと揺れた。


現れたのは、ボロボロのローブをまとった老婆だった。髪は灰色に乱れ、瞳は鋭く光っている。


「……お見通しかい。さすがは“夜の女王”」


「……あなた、どうしてそのことを」


エリスの声に、僕も思わず息を呑んだ。


「ふふ……“目”が見えるのさ。お嬢ちゃんの背中に、古き血の残滓がまとわりついてるのがね」


老婆はにやりと笑った。


「安心しな。あたしはもう、過去にすがるほど若くない。ただひとつ、あんたらに伝えたいことがあってね」


「伝えたいこと……?」


「“セレフィアの塔”には、まだ火が灯ってるよ」


その一言を残し、老婆はすっと身を翻して森の奥へと姿を消した。


その場に残ったのは、ざわりと揺れる風と、少し冷たくなった空気。


「……セレフィアの塔?」


「……何かが、動き出してるのかもしれない」


エリスの声は、かすかに震えていた。

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