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紅月は独り夜を歩く  作者: H.BAKI
始まりの物語
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第十九話:波の向こうに現る影

朝、潮の香りとともに目を覚ました僕たちは、宿の一室で静かに朝食をとっていた。


テーブルには魚と香草のスープ、焼きたてのパンに柑橘のジャム。

メルフィが早起きして整えた、心のこもった朝の食卓だった。


「……メルフィのごはん、初めて食べたけど……すごく美味しい」


「うふふ、ありがとうございます。元メイドでしたから。こういうことなら、少しはお役に立てるかなって」


エリスも頷きながら、静かにパンをちぎった。


そんな和やかな空気の中、ふとメルフィが手を止めた。


「エリス様……」


「なに?」


「……でも、エリス様。お腹、すいてませんか? よければ……どうぞ、私の身体をお使いください」


そう言って、メルフィはすっと髪をかき上げ、うなじをさらした。

雪のような肌が朝の光に照らされ、静かに浮かび上がる。


「……やめておきなさい」


エリスの声は冷静だった。


「今は、必要ないわ」


「……わたし、そういうの……嫌じゃありませんから」


「その“優しさ”のために、あなたの血を借りたくはないの。必要なときは、ちゃんとそう言うから」


メルフィは一瞬だけ躊躇い、恥ずかしそうに視線を落とした。


「……すみません。前のご主人様には、よく吸っていただいていたので……つい」


エリスは静かに視線を向け、言葉を重ねた。


「ラウヴェンはラウヴェン。私は、あなたの血を“当たり前”にはしない」


そして、少しだけ目を細めて言った。


「それに同性の血は……基本的に好まないものよ。たとえ種族が違ってもね」


「っ……」


思わず僕は手元のカップを落としそうになった。


「……あら。どうしたの、ルシアス?」

「い、いや……なんでも……ないです」


メルフィは唇をかすかに噛みながら、髪をおろして席に戻った。


「……失礼いたしました。」


「気持ちはわかるわ。ラウヴェンも惜しい子を手放したわね......。」


エリスはそう言って、最後のパンを静かに口に運んだ。


そのあと、何気ない口調で付け加える。


「まあ、我慢できなくなったら……ルシアスのを、たっぷり味わわせてもらうわ」


「なっ……」


パンをかじる手が止まり、僕は思わず声を詰まらせた。


メルフィはその言葉に、小さく視線を落とし、ほんの少しだけ残念そうな表情を浮かべた。


「ふふっ、冗談よ。たぶん」


スープの湯気がゆらゆらと揺れる朝。

そこに吸血の痕跡はなく、ただ温かい、少しだけ赤くなった食卓が広がっていた。


――そして、その穏やかな時間は、今日の夜を境に、再び崩れ始めることになる。


日が沈み、港町に夜が訪れた。


浜辺の空気は潮と冷気を孕み、静けさの奥にわずかなざわめきを孕んでいる。

僕たちは、昨日の騒ぎで目撃された“不審な船影”を確かめるため、港の外れへ向かっていた。


「船の動きに合わせて、陸に気配が出入りしている。侵入者がいるのは確かね」


エリスは海風に長い髪をなびかせながら、静かに呟いた。


港の倉庫群の陰――

そこに、数人の影が紛れていた。船乗りのような姿に、しかし明らかに武器を隠している。


「見張り? それとも……」


僕が小声で問うた瞬間だった。


「へえ。ガキと女の組み合わせか。なめられたもんだな」


聞こえよがしの声とともに、ひとりの男が姿を現した。

その後ろから、ぞろぞろと他の連中も現れる。


「この辺りの荷は、俺たちが預かってんのよ。勝手にうろつかれると困るんだわ」


「……海賊ね」


エリスが低く呟くと、相手の表情がわずかに引きつる。


「なんだお前、見えてんのか?」


「見えてるわよ。顔も、気配も、やる気も」


その瞬間、空気が弾けた。

エリスが右手を軽く振るだけで、海賊たちの足元から魔方陣が浮かび上がる。


「動けないっ……!?」


「詠唱すらなかったぞ……!」


一瞬で十数人が拘束された。残る一人――指揮をとっていたらしい少年だけが、跳び退いて間合いを取る。


「ちっ……まさか、マジでやべえのが来たのか」


月明かりに照らされたその少年は、金髪で、まだ若い。

けれど、構えた剣とその目つきは、歴戦のそれだった。


「お前……何者?」


僕が問いかけると、少年は舌打ちしながら剣を掲げる。


「昔は、ちょっとした名があったんだけどな。今はただの流れ者だよ」


次の瞬間、少年は風のように駆けた。

地を滑るように距離を詰め、一気に僕へ切りかかる。


「ルシアス、下がって!」


エリスの声に応え、僕は剣を抜いて迎え撃つ。

鋼のぶつかり合う音が夜の港に響いた。


技の冴えも、力も、明らかに格上だ。

だけど僕は、踏みとどまった。何度も跳ね返されながら、呼吸と間合いを学んでいく。


「……へえ。思ったより、やるじゃねえか」


少年が笑った。その瞬間、隙が生まれる。


「――そこっ!」


エリスの魔力が一閃。

彼の足元から光の杭が伸び、地面ごと縫い止める。


「っぐ……!」


動きを封じられ、彼の剣が床に転がった。


「戦う理由がないなら、やめておきなさい。あなたが死ぬだけよ」


静かな声で告げるエリスに、少年は数秒黙したあと――ふっと肩の力を抜いた。


「……負けた。潔く降りるよ」


その背後で、倒れていた海賊たちが衛兵に拘束されていく。


夜の風が、静かに港を吹き抜けていた。

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