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紅月は独り夜を歩く  作者: H.BAKI
始まりの物語
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第十八話:潮の町にて

海の匂いが風に混じり始めたのは、正午を過ぎた頃だった。

舗装された石畳の道が続き、遠くには帆を掲げた船の影も見える。

道を歩くたびに、湿った潮風が髪を揺らした。


「もうすぐ……かな」


「ええ。港町ラデュール。海運と交易の要所で、瘴気の痕跡も薄い場所よ」


エリスの言葉に、僕とメルフィはそろって歩を速めた。


やがて、町の入り口が見えてきた。

活気ある声、魚を焼く匂い、潮風――

森や山とはまったく違う、にぎやかな世界がそこにはあった。


港町ラデュール。

白壁の家々が緩やかな坂に並び、石畳の通りには商人や旅人が行き交っている。

魚市場では威勢のいい掛け声が飛び交い、浜辺では子どもたちが貝殻を拾っていた。


「……なんだか、音が多いですね」


「港町はみんなそうよ。人も物も流れ込むから、何かが起きる場所でもある」


そう言って、エリスはちらりと港の方へ目をやった。

桟橋には、数隻の船が停泊している。が、その数は少なく、どこか空席が目立っているように見えた。


「船、少ないね……?」


「気になるわね。いくつか沈んだって話もあるし」


エリスの目が静かに細められる。


宿は港の坂を少し上ったところにあった。

古びてはいたが清掃が行き届いており、看板には「潮宿つばめ亭」と書かれていた。


「広めのお部屋が空いてまして。お三方ご一緒でよければ」


「それで十分よ。静かに休めるなら問題ないわ」


宿の主人と簡単なやり取りを終え、僕たちは部屋へ案内された。


そこは木の床と白い壁に囲まれた、陽の差すあたたかな空間だった。

三組の布団が並び、窓からは港が一望できる。


「うわ……海、きれい……!」


メルフィが窓辺に立ち、嬉しそうに声を上げた。

その横顔を見ているだけで、なんだかこちらまで和んでしまう。


その夕方、僕たちは少しだけ町を散策することにした。


魚介の燻製を売る露店や、香草を干した民家の前を通りながら歩く。

メルフィは何度も立ち止まっては、小さな声で「かわいい……」や「これって、どう使うんでしょう」とつぶやいていた。


「ねえ、ルシアス。これ……お守りだって」


小さな貝殻に銀糸を通した細工品を、彼女はそっと手に取った。

ひとつだけ買い、僕に差し出してくる。


「旅の無事を祈るんですって。よかったらつけてください」


「ありがとう。……大事にするよ」


照れくさそうに笑いあって、再び歩き出す。

ほんの短い時間だったけれど、どこか大切な記憶になりそうな気がした。


夜。

宿の部屋には波の音が遠くから届き、風が白いカーテンをゆらゆら揺らしていた。


「ふぅ……お風呂、気持ちよかったです」


メルフィが髪を拭きながら肌着で部屋に戻ってくる。

その姿を見て一瞬呼吸が止まった。


僕が布団に腰を下ろすと、彼女はそっと隣に腰を下ろした。


「ルシアス。今日は楽しかったです」


「うん。港の町って、歩いてるだけで新鮮だった」


「わたし……旅の途中に、こんな気持ちになれるなんて思ってませんでした」


少しだけ視線を落とし、メルフィは微笑む。

そのまま、布団の中へと滑り込むように入ってきた。


「え……メルフィ?」


「すみません……ちょっとだけ。くっついてると安心するんです」


僕の腕にそっと寄りかかる彼女。

手は震えていないけど、どこか不安そうだった。


「昼間、あんなに元気だったのに」


「頑張ってたんです。でも……知らない場所はやっぱり、ちょっとだけ怖い」


彼女の声に、僕はそっと毛布をかけ直した。


窓際の椅子では、エリスが本を閉じてこちらをちらりと見た。


「明日は町を少し見て回るわ。船の沈没が続いてるみたい。天候も悪くないのに、原因不明」


「何か、魔物の仕業かも?」


「かもしれないわね。少なくとも自然現象じゃない」


そう言って、彼女はまた静かに目を伏せた。


波の音が、部屋の静けさを包む。


メルフィが僕の腕にそっとしがみついてくる。


「ルシアス……わたし、頑張るから。もし困ったら……頼ってくださいね」


「うん。頼りにしてるよ、メルフィ」


「ふふ……嬉しいです」


彼女は目を閉じ、穏やかな寝息を立て始めた。


その小さなぬくもりが、夜の潮風よりもあたたかく感じられた。

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