第十四話:記録の中の影
峠を越える前に立ち寄った村――小規模ながらも、静かに佇むその場所は、山の瘴気を観測するために築かれた記録地だった。
霧が薄く立ち込める朝。
村の小道を歩く足音が、しんとした空気に溶けていた。
「今日は戦わないの?」
ふと尋ねた僕に、エリスは歩を緩めずに答える。
「情報が先。あの魔物――ダスクリーパーは偶然じゃない。何かの痕跡があるはずよ」
「どこに?」
「この村、もともと瘴気の観測点だったの。昔の記録が残っているかもしれないわ」
視線の先、村の外れにぽつんと佇む石造りの建物。
教会のようでいて、何かが違う。僕たちは無言で扉を押し開けた。
中はひんやりとしていた。
湿った紙と埃の匂い。並ぶ棚には、古びた書物が静かに眠っている。
「……こんな場所があるなんて」
「表向きは閉鎖されてるの。私の通行印があれば入れるわ」
エリスが見せた金属製の印章には、見たことのない紋が刻まれていた。
「それ、何の……」
「昔の所属先のものよ。詳しくは言えないけれど」
聞き返す隙も与えず、エリスは書棚へ向かって歩き出した。
僕たちは黙々と記録をめくる。
脆くなった紙が指先にふれるたび、歴史の重みを感じた。
やがて、エリスの手が止まる。
「……これね」
百年以上前の報告書。
『外縁封域における魔力揺らぎと暗黒晶体の記録』とあった。
「暗黒晶体……瘴気石のこと?」
「可能性は高いわ。けど――見て」
肝心な記述が破り取られていた。
「誰かが……持ち去った?」
「あるいは、隠したのかもね。でも、これだけでも価値はある」
エリスが記された地形条件や発生傾向を指し示す。
僕は図鑑にその内容を写し取った。
自分の目で見て、自分の手で記す――
初めて“記録する側”に立ったような感覚があった。
「この記録以降、暗黒晶体の報告は一件もない」
エリスが補足目録を指差す。
「封じたのか、忘れさせたのか……。ルシアス、“歴史から消された記録”って、どう思う?」
「怖い。でも、知らないままでいる方がもっと怖い」
「……君は、強いわ」
彼女は穏やかに微笑んだ。
僕はその横顔を見ながら、ふと思った。
(“瘴気石”という言葉も、誰かが後から与えた名前なのかもしれない)
(本当の名前が、どこかに埋もれている)
その日の午後、僕たちは峠へ向けて出発した。
「この先を越えれば、“マルヴェ村”よ。瘴気の流れが集まる場所――ちょっと厄介な村」
エリスの言葉に、僕は小さく息を呑む。
記録を背にして、次の地へ。
図鑑の重みが、確かに僕の手に残っていた。




