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紅月は独り夜を歩く  作者: H.BAKI
始まりの物語
13/34

第十三話:手の届かない距離

北東の空は薄く曇り、風が山の匂いを運んでいた。


「……こっちで間違いないの?」


馬車の荷台に揺られながら、僕――ルシアスは隣に座るエリスに尋ねた。


「ええ。ラウヴェンの話だと、同じ瘴気の気配が、この先の村で確認されたって」


エリスは地図を折り畳みながら、軽く首を傾ける。


「まだ確証はないけど、瘴気石と同じ波動なら、無視はできないわ」


瘴気を帯びた宝石。ラウヴェンの屋敷でエリスが受け取ったそれは、明らかに“普通の魔石”ではなかった。

ただの魔物の力ではなく、もっと深い、重い何かが込められているような気配――。


「やっぱり……あの石、危ないものなんだよね?」


「そうね。“ただの魔力”じゃないもの」


エリスはそれ以上を語らず、視線を前へ向けた。

僕は小さくうなずいて、剣の柄にそっと手を置いた。


山道を抜けた先、小さな村が霧の中に姿を現した。


村は静かだった。建物の影に人の気配はあるものの、通りは閑散としていた。


「人が……出歩いてない?」


「夜中に魔物が現れるって話があるの。村の外れの森で、何かが目撃されたって」


宿に荷物を預けると、僕たちはそのまま村の北端――森の入り口へと向かった。


森は思ったより深く、湿った土と苔の匂いが鼻をかすめる。


「エリス、ここ……なんだか空気が」


「瘴気が少しだけ残ってる。注意して」


足音を潜めて進む。

すると、奥の茂みから、低い唸り声が響いた。


「……来る」


木々の間から現れたのは、漆黒の甲殻に覆われた魔物――二足歩行で、体高は人間の倍以上。

背中から突き出す棘と、紫に濁った眼。


《ダスクリーパー|ランク:D|夜行性。瘴気の濃い地に現れ、群れでの奇襲を得意とする。毒性の爪を持つ》


図鑑で見たことがある。でも、目の前に現れると、まるで別物のように見えた。


「僕がやる……!」


「待って。これは――」


僕は聞こえないふりをして、剣を抜いた。

身体が強張る。でも、逃げたくなかった。


「はああっ!」


一閃。刃は確かに届いた……はずだった。

だが、甲殻は予想以上に硬く、剣が弾かれる。


「っ……!」


魔物が腕を振るう。避けきれず、空気を裂いた衝撃が体を揺らした。

その爪先が、わずかに僕の腕をかすめた。


「……っ!」


地面に転がり、肺から息が漏れる。じわりと広がる熱に、僕は眉をひそめた。


(少し……当たった……?)


歯を食いしばって立ち上がる。でも、足が震えていた。


魔物は低く唸り、今度は跳びかかってきた――


その瞬間だった。

鋭く空気が裂けた。


「もういいわ、下がって」


淡く輝く魔法陣が、エリスの足元に広がる。

周囲の温度が下がったような錯覚とともに、空気が凍りついた。


詠唱もなく放たれた光の槍が、音もなく魔物の額を貫いた。


ダスクリーパーは断末魔も上げぬまま、その場に崩れ落ちる。


「……!」


僕は息を呑んだまま、動けずにいた。


エリスはゆっくりと近づき、倒れた魔物を一瞥する。


「今のルシアスには、まだ早い相手ね。」


その言葉は責めるようではなかった。

けれど、それが返って僕の胸に刺さった。


「……ごめん。」


「気持ちは嬉しい。でも無茶は無謀とは違うわ」


淡々とした声だった。だけど、そこには確かな優しさがあった。


「それに......ルシアス、腕、見せて」


「え……ああ、さっき……少しかすっただけだよ」


エリスは僕の袖をめくり、傷を見つけるとそっと腕を引き寄せた。


「あの魔物には爪に毒があるの。放っておいたら動けなくなるわよ」


言葉が終わる前に、エリスは静かに顔を近づけた。

唇が傷口に触れ、わずかに吸うような圧がかかる。


「……っ」


僕は驚きながらも、そのまま動けなかった。


やがて、彼女はそっと唇を離し、口元に手を添える。


「っ......これで大丈夫。毒はもう残ってない」


「ありがとう……吸ってくれたの、毒のため……だよね」


「ええ。でも――」


一拍の沈黙のあと、エリスは静かに続けた。


「本当は、もう少しルシアスの血も吸いたかったかも」


それだけを残し、彼女はすっと立ち上がる。

冗談なのか本気なのか――僕には、わからなかった。


(……全然、歯が立たなかった)


目の前で魔物を倒すエリスの姿が、遠く見えた。


(もっと、強くなりたい)


はっきりと、そう思った。


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