本のススメ
本棚の整理をした。
定期的に選定をして予選落ちになった本は売るなり人にあげてしまう。
そうでもしなければ家の壁を全て本棚にしたって足りなくなるのは分かっている。
物心ついた時から本が好きで漫画も小説も画集も写真集も詩集も好きなのだ。
出来るなら本は手元に置いて何度も読み返したい。当然の欲求だけれど本に埋もれて死んでしまう(本望かも知れない)。
ちなみに家も広くないので壁自体の面積は大してない。
本棚は持ち主の趣味や思考、その人が分かると言うが私の本棚の五分の一は有栖川有栖、恩田陸、北村薫、宮部みゆきなどのミステリー、さらに五分の一は羽海野チカ、末次由紀、CLAMPなどの少女漫画、ジブリの背景画集やはらぺこあおむしの絵本、海や星空の写真集があと五分の一、残りはワンピースだ。
薄い写真アルバムがその中に時々紛れ込ませてある。
二十歳を超えてからはまだ良いが、化粧を覚え始めた高校生の頃の写真は恥ずかしくてせっかく厚化粧して写真に収まっているが今後も人目に晒す気はない。
未熟で背伸びばかりしている過去とは恥ずかしいものだ。
本棚には指定席がある。私はシード権とも呼ぶ。
シード権を持っている本は定期選定の予選には出場しない。
恥ずかしいが捨てる気になれないアルバムも致し方なくシード権を与えている。
シード権を与えられている本とは、わかりやすく言うと整理をしていてつい読み返してしまう本だ。(つまりアルバムもなんだかんだ言いながら読み返す時がある。)
今回も整理しながら、北村薫を久しく読んでいなかったな。と一通り読み返した。それから本屋に行ったら新シリーズが出ていた。
新シリーズと言っても私が気づいていなかっただけで、六年も前に発行されていてすでに全三冊で完結していた。
抜かった、としか言いようがない。
意気揚々と帰って読み倒し、即シード権を与え今までの著作に並べた。
作品の舞台は昭和七年。語り手の花井英子令嬢とお抱え運転手ベッキーさんこと別宮みつ子さんが身近に起きる事件や謎を解く。
英子嬢は上流家庭のお嬢様で御学友の御公家様や華族様とは「ごきげんよう」「この方」と声を掛け合う。
ゆとり世代の自分は親近感が感じられない、などと思ったのは最初だけ。
英子嬢は十代半ばの娘さんならではの清潔さと正直さが魅力的で、何よりミステリーに相応しく好奇心が旺盛だった。
英子嬢の水晶玉の様に磨き抜かれた透明な視点で映し出された物語は、私に見たことも無い当時の銀座や軽井沢を見せてくれた。
北村薫とはこういう人なのだった、と思わせる読後感だった。
実は私に北村薫を薦めたのは有栖川有栖だ(と私は思っている)。
北村薫は本格原理主義者、日本ミステリー界の巨匠であり尊敬して止まないと言うようなことをあとがきで書いていた。
それは読まなくては!と思い本屋に行って見つけたのがスキップ、ターン、リセットの「時と人」三部作だった。
小学生の自分の感想としては面白くなかった。
ファンタジックな内容にも思えたけれど私の中ではホラーに分類された。
花も恥じらう高校生の乙女がいきなり自分と同じ年の娘がいる主婦に「スキップ」してしまうなんて恐ろしい。
ターンに至っては読んでいる最中主人公になった悪夢にうなされた。誰もいなくなった真夏の一日を何度も繰り返すのだ。
気が狂ってしまう。
ここで心が折れてリセットは読もうとしなかった。
有栖川有栖の著書はどれも気に入っていたので
「好みが合うと思っていたけれど勘違いだったのね。」
勝手にがっかりしたりした。
そこに今度は宮部みゆきが北村薫こそは、と言うではないか。
「どこかのだれかもそんなこと言っていたけれどね。あなたまでそんなこと言うなんて。」
拗ねたりもしたが傾倒している作家の勧める本とは極めて魅力的である。
誘惑に勝てず探して見つけたのが覆面作家シリーズだった。「覆面作家はふたりいる」から始まるこちらも三部作だ。
世田谷の豪邸に住む美貌のお嬢様は抜群の推理力と観察眼で推理作家だけでなく探偵までもこなしてしまう。
困ったことに(これが醍醐味なのだが)ひとつビョーキがあって、逆内弁慶なのだ。
家にいる時は内気で思慮深く謎を解く借りてきたネコさんのようなお嬢様が、一歩門の外に出ると大胆、活発に謎を竹割にするサーベルタイガーに豹変してしまう。
おやまあ。こんな人だったのね。
私にとっては北村薫の印象こそ豹変した。
コメディータッチのほのぼのミステリーは面白いなんてものじゃなかった。
その後に読んだ落語家円紫さんとわたしシリーズを読んだ時には落語家はどうやったらなれるのだろうかと考えさせられた。
私が子供だったばっかりに有栖川有栖にはひどいことを言ってしまったが、今となっては大ファンなのだ。ここは子供のしたことと思って快く許して欲しいと思う。
「時と人」三部作も高校生になって読み直した。面白いと感じたし、静かに胸が熱くなった。(悪夢も見たが)
気づけば本棚の指定席にある本は小学生の時から今も面白いと感じる本が並んでいる。
昔読んだ本が今も面白く感じるというのは嬉しいことだ。昔とは違った気持ち、視点で見ても面白いのだ。
なにより比べられるほど昔から本を読んでいたこと、読み続けられる名作に会えていたことが嬉しい。
本屋に行くとまだこんなに読んでいない本があるのかといつも思う(なにせ北村薫の新作の前を六年も通り過ぎていた)。
早く読みたい、もっと読みたいと思うが読み尽くすことはないだろう。
故に、私の本棚は未完成だ。
未熟さや背伸びは恥ずかしいものだが未完成は私にとって清々しい。
未完成とは間違いや無知ではなく、探求心であり向上心だ。
なるほど、本棚とは人そのものだ。