序章 永遠の別れの春 第一章 何かが始まる夏
序章 永遠の別れの春
――桜が嫌いだ。
勝手に咲いて、勝手に散っていく。
人々は咲いている時も、散っていく時も綺麗だと言う。
人間は始まりを迎えようとしているのに、桜は終わりを迎える。
なんとも身勝手だ、と思えて仕方ない。
――私はいつしか桜が嫌いになった。
桜が満開な頃に殺された幼馴染を思い出してしまうから。
『母さん!!』
『……っ。』
『ノゾミの母さん……死んでる……?』
『ヒロ、リンと一緒にここから逃げろ!誰か助けを呼んでくれ!!』
『分かった。リン!!行くぞ!!』
私は促されても目の前の光景に釘付けで、その場から動くことが出来なかった。
辺り一面は血の海。
母と幼馴染が言い合っているのだが、会話の様子が全く入ってこない。
――どうしよう、どうしよう。ノゾミのお母さんが……!
頭がパニックになっていた一瞬のうちに、
『ノゾミ!!』
もう一人の幼馴染の声で我に返る。
目の前には、母に刺されてたくさんの血が流れている幼馴染の姿。
『あ……あああ……!あああああ――っっ!!』
あまりのショックの出来事で、私は意識を失う。
四年前、中学生に上がる頃の出来事だ。
第一章 何かが始まる夏
(暑い……。)
私は暑さで目を覚ました。
いつのまにか眠ってしまったみたいだ。
プレハブ小屋の中には空調設備など何もないから寝ることは奇跡に近いことなのだが、疲れがそうさせたのだろうか。
「お母さん、行ってきま――す!!」
「行ってらっしゃい。通知表の内容が悪かったから、って寄り道しちゃダメよ。」
「はぁ――い!!」
(通知表……。そっか……明日から夏休み……。今日は終業式か……。)
だとすると、私も準備をしなければ。
あの子が登校したとなると、現在午前七時半頃。
遅刻するかしないか、ギリギリの範囲だった。
適当にシリアルを手で掴み、口の中へ入れる。
噛み砕きながら、洗い流さないシャンプーを手に取り、適当に髪を拭く。
その後着ている服を脱ぎ、洗い流さないボディウォッシュを手に取り、これまた適当に身体に伸ばし、タオルで拭く。
このボディウォッシュはシャンプーとしても使える為、一石二鳥だ。もうすぐバイト代も入るから、買い足しておかないと。
制服に着替え、軽く顔を洗ったら液体ハミガキを口に含ませ、全体に行き渡らせた後、そっと扉を開け静かに吐き出す。
誰からも怒られないように、ここまで来ることはないとは思うが。
歯ブラシで軽く磨いたら、朝のローテーションは終わり。
これで私も高校へ行く。
「……行ってきます。」
誰からも返答はないのだが、呟くように言うのは日課になっていた。
――今日も暑くなりそうだ。
強い日差しが私 黒澤 リンを照らしていた。
いつも通りの道を通って、高校へ着く。
クラスメイトの殆どは、私に無関心だ。
それでいい、私と一緒にいても無意味なのだから。
それに賑やかよりも、静寂が落ち着く……と思っていたのだが、
「おっはよ〜〜リン!!」
座っている私を、挨拶の勢いそのままに後ろから抱き付いた金髪の友人。
それが彼女 白木 千歌の挨拶だった。
過去に何度も指摘したのだが、変わらなかったので以降そのまま受け入れる形になってしまったのだ。
「……おはよ。」
「テンション低っ!明日から夏休みなのに!?」
「夏休みではしゃぐ年齢でもないでしょ。」
「リンってばクールすぎ……!そんなリンも大好きだよ〜〜。」
「……暑い、ウザい。」
こんなクールな対応は建前に過ぎない。
本当は、夏休みなんて来なければいい。居場所のない私は……どこへ行けばいいのだろう?と焦りが出てきたから。
「おっ、朝練が終わって黄色い歓声が聞こえてきたね……。」
気怠かったが、歓声を受ける友人の方を向く。
「はよ、リン、千歌。」
「おはよ、駆。朝練、お疲れ。」
早川 駆。この高校一のイケメンで陸上部のエース。それでいて秀才、父親が医師で実家は診療所。
こんな非の打ち所がない人間を女子が放っておく訳がなく、ファンクラブもある程だ。
本人は何も思っていないのだろうけれど。
「……おはよ、ヒロ。」
「おっはよ〜〜ヒロ!ヒロも朝練、お疲れ様。」
「おはよ。朝から元気だなお前ら……。」
「私は普通。とびきり元気なのは千歌でしょ。」
「え〜〜?私とリンは同じじゃないの!?」
「違う。」
「フラれてやんの。」
「う〜〜。」
駆と同じ陸上部に所属している友人、相楽 大海。
高校入学時に再会した幼馴染だ。
幼稚園から小学校卒業まで一緒に通っていたのだが、訳あって中学入学前に私が転校した。
高校入学の時に向こうが気づき、私に声をかけてくれたことを覚えている。
「そうだ、リン。これ食べる?また母さんがお節介やいて。練習終わりは食べられないって何度も言っているのに、全然覚えてくれないんだよな。」
そう言って駆が目の前に出してくれたのは、おにぎり。
育ち盛りの息子を気にしての思いやりなのだろうが、駆には余計なようで、いつも私にくれる。
――私の今の境遇がバレているのだろうか。
誰にも勘付かれないようにしているのに。
遠慮しなければいけないと思うのに、毎朝シリアルの私にとっておにぎりは凄く贅沢品で、
「……食べる。」
――結局いつも貰ってしまうのだ。
「いつ見ても、リンの食べっぷりはいいよね〜〜。いっそ清々しいくらいだよ。」
「うっ……エホッ……ゴホッ……!」
千歌の何気ない一言に、咽せてしまう。
一応私も女の子だから気にはしているのだが、やっぱりそう見えてしまうのだろうか。
なかなか咳が止まらない私を心配して、ヒロが声をかけてくれる。
「お、おいっ、大丈夫かよ!?お茶やるから、これで落ち着かせろよ!!」
ヒロがサッとお茶を私の目の前に出してくれて、私は一気に飲む。
――何故だろう、周りの視線を強く感じる……。
「いつも思うけど、リンって無自覚だよね……。」
「天然、やば……。」
千歌とヒロが顔を見合わせ、私に気づかれないようにこそこそと言う。
周りの目を気にして、読唇術を身につけてしまった私にとっては意味のないことなのだが。
「ねぇ、ねぇ、明日からの夏休みどうやって過ごす?」
「俺とヒロは部活だな。インターハイ控えてるし。リンは?」
「……バイト。」
「じゃあ、リンのバイト先たくさん遊びに行こっと。」
「多分毎日は入れてくれないよ。パートの人もいるから。」
「でも普段のシフトと変わらないでしょう?ヒロと駆も連れて行くから!」
「お、おい。俺達を巻き込むなよ。」
「まぁ、練習終わりに行く分にはいいんじゃないか。リンに会えるし。」
「駆も無自覚だよね……?」
「悪気はないんだもんなぁ……。」
「ん?何だって?俺が何?」
「別に〜〜?何もないよ。」
こんな端から見たら普通のような、やり取りも私にとっては奇跡。
――昔は学校が嫌いだった。
一人ぼっちで、周りにいる全員、敵に見えたから。
でも、中学生の途中で千歌と出会い、高校に入学してヒロと再会して、駆と仲良くなって、私の世界は少しずつ変わっていった。
世間を知らない私に新しい知識を教えてくれるし、バイト先にも遊びに来てくれる。
この時間が好きだからこそ、長期休暇は憂鬱だった。
仮初の家も……私には無関心だから。
「じゃあね、リン。また後で遊びに行くね!」
「今日のバイト、17時までだから。ヒロと駆は部活頑張って。」
「おう、変な輩に絡まれないようにリンも気をつけろよ。」
「気をつけるとこ、そこ……?駆の観点は独特だよなぁ……。じゃあな、リン。後でな。」
「うん、ありがと。駆、ヒロ。」
駆とヒロは部活。千歌は二人が終わるまで一時帰宅。私はバイト。
それぞれの行き先へ向かっていった。
今の私にとって、食べることと友人の時間とバイトの時間は現実を考えなくて済む最高の時間だった。
この時間が永遠に続けばいいのに……そう思えるくらいには充実した時間だった。
地元の商店街のパン屋、『憩いのパン屋』が私のバイト先だ。
「……お疲れ様です。」
「あ、リン。お帰り〜〜。」
「どうしたんですか、皆で集まって。」
「これよ、これ。」
パートの新堂さんが指差した先には、きのこ類をふんだんに使ったキッシュとさつまいもを使ったパイ。
秋の新商品を考える時期で、頭を悩ませている最中のようだ。
「そうだ、リン、食べてくれる?」
「え?」
「そうよ〜リンのアドバイス的確だし!」
「まだ販売は先だから、改良の時間もあるしね。」
店長の日下部さんを皮切りに新堂さんともう二人のパート、鳴海さんと加藤さんも口を揃えて言う。
何より、昼食を食べていない私にとっては目の前の試作品はご馳走だった。
「じゃあ……お言葉に甘えて。いただきます。」
まずはキッシュを一口。サクッとした、生地の音が辺りに響く。
「……どう?味が弱い気がするんだけど……。」
新堂さんが控えめに言う。今回の試作品は新堂さんが作ったのだろう。
「確かにきのこの香りは出ていますが、味は弱いですね。きのこだけじゃなくて、ベーコンも入れた方が良いと思います。」
「分かった、早速作ってみるわ。」
「新堂さん、他の準備に響かないようにね。」
「リンちゃん、こっちのパイはどう?」
鳴海さんがパイを食べるように促す。生地の色もいい色で、食欲を掻き立てるのは間違いなかった。
「美味しいのは間違いないんですけど、キッシュとパイは似たような感じなんですよね。蒸しパンにするか、さつまいもをあんにして入れたらどうですか?」
「そうね……一から見直した方が良さそうね。」
「鳴海さんなら大丈夫ですよ。鳴海さんの作ったパンはいつもヒットしてますから。」
「ちょっと〜!?その言い方、気に食わないんだけど〜!?」
「新堂さんの作ったパンも美味しいですよ。間違いないです。」
「付け加えられたようで、妙に納得いかないな……。」
新堂さんの一言と表情で、周りが一気に笑いに包まれた。
日下部さんがモットーとする、笑顔が絶えなくて働きやすい職場。
愛情溢れた素敵な場所は、私のもう一つの居場所だった。
「リン〜〜遊びに来たよ〜〜!!」
「おっ、来た来た。」
新堂さんの方向を見ると約束通り、ヒロ、駆、千歌が来た。私がシフトの日は必ず来るので、スタッフ全員と顔馴染みなのだ。
「いらっしゃい。ヒロ、駆も部活お疲れ様。」
「リンもお疲れ。今日、混んだか?」
「いつも通り。お客さん来るけど、一気には来ないから。」
「リン、クリームパンあるか?」
「ほら、ヒロくん。お気に入りのクリームパンどうぞ。」
「リンに聞いたのに……。」
「なぁに?私じゃダメだったのかなァ……!?」
「ち……違います……。決して、新堂さんが嫌というわけでは……。」
「はは、冗談だって!!ヒロくんは揶揄い甲斐があるから面白いわぁ〜〜!!」
新堂さんがヒロの背中を思い切り叩く。これはいつもの光景。
「あら、皆いらっしゃい。ゆっくりしていってね。」
「日下部さん!お邪魔してま〜〜す!」
「すみません、今日も来ました。」
「いいのよ、リンを気にしてくれている証拠だから。」
日下部さんも自然と笑顔になる。日下部さんもヒロ達を来るのを楽しみにしていて、皆のお気に入りのパンをこっそり確保しているのはスタッフ内での暗黙の了解だった。
「本当、ここは落ち着くよね。憩いのパン屋って名前が、ピッタリだもん。」
「ありがとう、千歌ちゃん。でもね、ここ閉めようと思っているのよ。」
「え!?」
「マジ?」
「……嘘でしょ。」
――寝耳に水だった。
日下部さんは以前、ここで働くのが生き甲斐と言っていたから。
私にとっても最高の居場所であり、無くなることはないと思っていたから。
「日下部さん、本当なの?」
新堂さんが問いただす口調で聞く。
スタッフ達も知らなかったようで、驚きと戸惑いの雰囲気が漂っていた。
「本当だよ。継いでくれる人が誰もいないし、私もいつまでか分からないからね……。
たたむなら、早めの方がいいんだよ。」
「そんな……。」
確かにそうだ。新堂さん達は家庭があるし、私もまだ子どもだ。
――悔しい。ここは私にとっても、お客さんにとっても憩いの場所のはずだ。
何かないのかと考えるが、頭の中がぐちゃぐちゃで何も思い浮かばない。
「……帰るぞ。」
「え、ちょ……駆!!いきなり、そんなこと言う!?」
「営業時間内だろ、客とはいえ長居すると迷惑だし。」
駆の一言で、現実に引き戻される。
そうだ、今は営業時間。お客さんには気づかれないようにしないといけなかった。
「じゃあな、リン。邪魔したな。」
「ま、また連絡するね!!バイバイ、リン!!」
「し……失礼しましたっ!!」
「う……うん。」
駆達が帰ったことで、再び静寂に包まれる。
他に誰もお客さんがいなかったのが救いだった。
「さぁさ、さっきの話は忘れて、各自持ち場に戻りましょ。」
日下部さんが明るい声で店内を鼓舞する。
私達は消化不良のまま、残りの営業時間を過ごすことになった。
「じゃあ、リン。これが今日の分ね。」
「……ありがとうございます。お疲れ様でした。」
私がシフトに入った日は、余ったパンを貰うのが恒例になっていた。
店側はゴミが減るし、私は貴重は食事が貰える。お互いメリットしか無かった。
だが、今日以上にパンの重みを感じられる日はなかった。
後、どれくらいここで働けるのだろう……せめて高校を卒業するまでは働きたい……。
そう考えながら、重い足取りでスタッフ用のドアを開けた時だった。
「よっ、お疲れ。」
「ヒロ……?」
つい、一時間前に会ったばかりのヒロがいた。
控えめに挨拶をして、終わりかと思っていたのに。
「リン……今から家に来ないか?」
「え……?」
――この一言が全ての始まり。
今まで目を逸らし、蓋をしてきたことに向き合う夏が始まろうとしていた。