GW神隠し事件・一
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『これは、自殺未遂した時の話なんだけど。中学生の時にリストカットした時のことなんだけれど。処置が終わって待合室にいたんです。その時に、看護師さん達が話していたんです。
僕に気づいていたのか、いなかったのかは解らないけど。立ち話をしていたんです』
・・・
「黒岩千鶴って…あの黒岩嘉数の息子じゃん」
「マジ?アイツ結婚できてたんだ」
「確かデキ婚でしょ?あぁ云う奴ほどほいほい子供作っちゃうんだよ」
「偏見じゃん」
二人はクスクスと笑う。
看護師の二人は父を知っていたようで、言葉の含みには嫌味が滲んでいるのが嫌でもわかった。気まずくなり俯く。どうやら、父は良く思われていないのは確かなようだ。
その時丁度、舞姫撫が迎えに来たのか、僕の隣に座りました。
「めぐさんは今、会計を済ませています。終わったら帰りましょう」
マキナの顔が解らない僕のために、彼女は横髪に花のヘアピンを付けてくれていました。このヘアピンを見たら、喜界舞姫撫だと解るように。
――喜界舞姫撫…キカイマキナ。凄い当て字ですよね。地球に来た時、担当監査官にこの名前を貰ったらしいです。本人曰く響きは兎も角、漢字で書きたくないと言っていました――
「マキナ…あのさ」
「なんでしょう」
「俺さ、殴られたり、してたんだ。お腹、蹴られたり。突き飛ばされたり。飛び落ちる…練習させられて。先生に相談してもふざけているだけだから深刻に考えなくていいって言われたんだ。だけど、どうして。大人になったら暴行とかになるのに、子供が殴っても暴行扱いされないの…?」
舞姫撫は真っ黒に塗られた顔で僕を見つめてから、真っ直ぐ正面を向いた。
「千鶴の担任を詳しくは知りませんが、面倒だったのでは?それか、イジメ側に訪ねたとしても『やっていない、ふざけ合っただけ』と言われてしまえばそれ以上介入したくなかったのでしょう。知りませんけど、教師ではないので」
「…そうだね」
「そんな千鶴に覚えておいてほしいんです。イジメた側は、例え千鶴が自殺しても、気にしないで生きていきます。千鶴のことを忘れて、また新しいターゲットを見つけてイジメて笑います。それって、腹が立ちませんか?アイツ等は、傷つきもせず、罪悪感も抱かず生きていくんです」
そんな人間いるのか?と疑問に思った。だって、自分のせいで相手が自殺したって解ったら、辛くなるはずだと当時は思っていました。だからマキナの話も半信半疑で。
「でも、それでも、俺は…」
イジメてきたアイツ等に復讐したいとかじゃなくて、ただもう死にたい一心だった。辛くて、苦しくて、死んだら楽になれると信じて。
「本来ならイジメた側を追放したいですが。千鶴には逃げ場所があります。安心してください。あの家があります。めぐさんも、私もいます」
表情は真っ黒だけど、どこか笑っている様な気がした。
僕は、そんなマキナが好きだった。
舞姫撫は僕の左手を取るとキュッと握りしめた。
「心の傷は誰にも見えません。だから、言葉にしてください。無理なら、手紙でも、メールでもいい。SOSを知らせてください。私達に助けるチャンスをください。今回は、気づけなかった私達のミスです」
その言葉はどんな励ましよりも、心の傷を消毒してくれた気がした。沁みて痛くて、苦しくて。だけど、安心した。
「そこまで自分のことせめないでよ」
・・・
『title:マキナへ
本文:久しぶりです。認識障害が治ってから、毎日が変わりました。誰かと積極的に話してみようと思ったり、友達も出来ました。
今日は美術部に入部してくれた友達の歓迎会をしました。
明日からゴールデンウィークだね。マキナは予定あったりする?友達も紹介したいし、刹那も会いたがっていました。もう俺の症状は気にしなくていいので、遊びに来てください』
携帯の送信ボタンを押す。
五分もしないうちに返信が来る。
『title:Reマキナへ
本文:了解です(*’▽’)久しぶりに会えるの楽しみにしています!
めぐさんにもよろしくお伝えください!(^^)!』
今日は茉莉の入部歓迎会を開いた。勿論、前半は部活動をし、後半にちょっとしたお菓子パーティーを開いた。
最終下校時刻の午後七時過ぎに、千鶴達は校門へ向かい道をワイワイと歩いていた。千鶴と夕陽は自転車登校なので、押しながら歩く。
「今日、霜月先輩も来れたら良かったですね」夕陽が何気なく言う。
部員ではないけれど、花緒の恋人の霜月は勝手に現れ、一緒に帰るのが日課みたいになっていた。気さくで、明るくて人当りもいいので、美術部員は鬱陶しいと思わず、寧ろ歓迎している。
「霜月くんも予定があるからね」
花緒が困ったように笑った。
グランドでは、運動部が地面を整備していたり、使用した道具を片づけたりしていた。早くしないとライトスタンドの照明が消えるぞと、顧問が急かす声がする。
平和だな、と思った。シスターペストの事件は実は悪夢で、今が起きている世界で。本当の世界で。嬉しくて、皆の会話に合わせて笑顔になった。
「ちぃちゃんの笑顔、へたっぴ!でも可愛い!」
「うるさいよ」
「ふはは!ぎこちなくても俺達にはちゃーんと黒岩の笑顔は伝わるからなぁ。我々美術部の特権よ」
夕陽がケラケラと嬉しそうに笑う。花緒も「それは同意だね」と言い、千鶴は恥ずかしくて耳が熱くなった。
「あんまり、変なこと…」言わないで、と言おうとした時だった。
ブーブー――千鶴の携帯が振動する。着信は刹那からだ。
「もしもし?」
『あ、千鶴?あともう少しでめぐちゃんち着くんだけど、千鶴は家にいる?』
今日から、刹那が暫く泊まることになっていた。好きなアイドルのライブに行くのに、恵美が住んでいるシェアハウスから通うのが最寄り駅も十分圏内、電車一本で行けるという利便性では最高の立地だった。
それだけじゃあない。千鶴とも、茉莉とも会いたがってくれていたし、マキナにも挨拶がしたいと以前から言っていた。
「ごめん、まだ学校なんでこれから帰るところ。合鍵持ってたよね?中で待っていてよ」
『了解!家に着いたらまた連絡するし、めぐちゃんにも連絡、』
ドサ、という音のあとカシャンと音がする。何かが落ちたような音だった。
「刹那?おい、刹那…?」
携帯の向こうからはカラスが鳴く声や、自転車が走行した音しか返ってこない。
「刹那?刹那!」
「ちぃちゃん、どうしたの?」
和やかな空気から一編、不穏に包まれる。気が付くと、通話は切れていた。
「ど、どうしよ、刹那になんかあったかも!」
「落ち着きなよ。刹那?さんとは最後まで通話はできてたの?」
奈月が前へ立つ。
「えっと、急に黙り込んで、ちょっとしてから…ドサって、物が落ちる音がして、それから、それで、返事がなくなって」
「そ、それって、誘拐じゃ…」
花緒は青ざめる。その言葉に千鶴はふらつき、意識が途切れそうになる。
「落ち着いてください。とりあえず、黒岩は刹那さんの親御さんと連絡は取れるの?北沢さんは恵美さんに連絡してみて」
「りょ、了解です!」
茉莉は指示された通り、急いで恵美に連絡をする。千鶴も、伯母に連絡をする。
すると奈月に手を取られ、駆け出していく。自転車がガシャンと倒れた。
「部長、私達はタクシー捕まえて急いで黒岩の家に向かいます。自転車はどうにかしておいてください」
「え、奈月ちゃん!」
もうどうすればいいか解らず混乱する。とりあえず自転車を起こし、停めなおす。
すると、通話しているはずの茉莉がずっと黙ったままでいることに気が付く。
「北沢さん…?」
呼びかけても反応が無く、聞くのに集中していた。思わず花緒は夕陽と顔を見合わせる。
そして「わかりました」とだけ返すと、茉莉は青ざめた笑顔を見せたまま衝撃的な言葉を発した。
「そこら中で、誘拐や失踪が起きているみたいですぅ」
二人は「…へ?」と理解できない状況に、情報処理が出来なかった。
一方、タクシーを拾うと言った奈月だったが、千鶴を背負うと驚異のジャンプ力を魅せ、民家の屋根を華麗に跳ね渡り、最短距離で千鶴宅へ向かう。スピードもかなり出ており、しがみつくので精一杯だった。
「どう?連絡付いた?」
「ずっと話し中ですう!」
刹那も心配だが、自分が振り落とされないかも心配だった。
五分もしないうちに、自宅前に到着する。
猛スピード帰宅に眩暈と足元がふらつくが、刹那の荷物と携帯だけが道端に落ちているのを発見すると意識がクリアになり駆けつける。携帯の履歴には、千鶴以降は母親や父親、祖母からの連絡で溢れかえっていた。
「どうしよう…刹那のだ。刹那、刹那!」
「落ち着いて。まだ近くにいるかもしれない」
「え」
し、と人差し指を口に当て黙るようジェスチャーを見せると、奈月は目を閉じ、耳に神経を研ぎ澄まし、全ての音を拾う勢いで集中する。
車のエンジン音、子供の声、鳥、猫、生活音。そして僅かに、「ヒッ」と短い悲鳴が聞こえた。
「黒岩、家の中にいろ!」
「せ、先輩?!」
奈月は脱兎の如く飛び跳ねると、悲鳴が聞こえた位置を瞬時に判断し、見つける。そこには明らかに宇宙人と、連れ去られようとする地球人がいた。
空気を蹴るように、勢いよく地上へ落ち、宇宙人の目の前に着地する。
「お前、未発展惑星に害を及ぼすとどうなるか知っていますよね?」
しかし宇宙人が答える訳もなく、テレポート機能を使用しようとした瞬間、奈月が見逃す訳も無く強烈な蹴りを入れる。誘拐されそうになった地球人を抱きかかえ、吹き飛んだ宇宙人を捜すが逃げられたようだった。
「…なに、今の奴」
とりあえず、気絶しているこの人間をどうにかしなければならない。奈月は辺りを警戒しつつ、救急車を呼んだ。
それは、不謹慎だが神隠しというにふさわしかった。
従弟の瞬は、私立中学に通っているため電車通学だった。今日は友達の誕生日だったらしく、それを知った瞬は駅のホームにある自販機でジュースを奢ったらしい。
「ついでに俺のも買うわ。乾杯しようぜ」
「じゃあ、白咲が誕生日迎えたら、今度は俺が奢るな!」
友達が嬉しくてジュースを眺めつつ、自販機からガコンとペットボトルが落ちる。
「何にしたの?」
そう尋ね前を向くと、誰もいなかった。残されていたのは学校指定の鞄だけ。自販機の中のジュース。
「白咲?おーい、変なイタズラはやめろよ…。白咲ってば」
自販機の周りを見ても誰もいない。線路を覗いても、落ちていない。友達は怖くなり、急いで駅員に助けを求めた。そこから学校へ連絡が行き、白咲家にも連絡が入った。
そして母親の勘で刹那にも連絡を取った所、出る気配は全くない。やっと出たと思ったら、それは甥っ子の千鶴であった。
「千鶴くん、あのね、瞬が」
『刹那も、いなくなりました。探しても、いないんです』
「へ…」
初めての感覚だった。膝から崩れ落ち、奈落に落ちるような感覚。一日で、しかもたった数分で、我が子が二人も失踪するなんて、夢にも思わなかった。
母親の寿々子は取り乱し、泣きだした。夫は、なんとか自身を奮い立たせ妻の背中をさすった。
「寿々子さん、大丈夫。絶対見つかるから。刹那も瞬も、きっと無事だよ」
「無責任にそんなこと言わないでよ!」
「こういう時だから、僕の言葉を信じてほしいな。それに、僕達両親が子供の帰りを一番に待っていないと、二人が泣いちゃうよ」
夫の言葉に、徐々に冷静さを取り戻していく。夫は上着を羽織ると、出かける準備をする。
「母さん、僕は刹那と瞬を捜しに行くから。入れ違いにならないように、母さんと寿々子さんはここで待っていてほしい。恵美さんと連絡取りながら僕がどちらに向かうか相談するよ」
「まって、私も行く!」
「寿々子さんは、もう少し落ち着いてから。ね?母さん、代わりに警察に連絡しておいて」
そう言い残し、夫は車に乗り込むと、早速恵美に連絡を入れた。
ここで立地を整理したいと思う。
公立河渕中央高校は都市に近い場所に建てられている。隣市の薇市からも多数の在校生がいる。
白咲刹那、及び瞬姉弟の自宅は河渕市にあるが、河渕駅からも、都市部からも離れているためか広い土地を持った家庭が多い地域に住んでいる。
白咲家も例に漏れず広い敷地に祖母宅と刹那が住む自宅の二件が立っており、庭に――と呼んでいいのか解らないくらい広い――毎年大きな鯉登を綱に結び泳がせているくらいだ。
そして千鶴が住む薇市。都心に近い事もありベッドタウンである。それ以外特にない、以上。駅から比較的近い場所に千鶴が住むシェアハウスがある。花緒は勿論、中学は違うが夕陽も同市出身である。
千鶴は叔母の寿々子と連絡を取り終わると、呆然としコンクリートの地面を見つめていた。
いつも通りの日常だったはずなのに。
部活から帰ったら、刹那がいるはずだったのに。
今までこんな事件に巻き込まれることなんてなかった。街灯もあるし、人通りも多少ある。いつも一人で遊びに来ても平気だったのに。
これからどうすればいい?どうすれば…
「黒岩、外で突っ立っていると危ないよ。家の中に入りなって言ったじゃん」
急に飛び出していった奈月がまたも突然戻って来た。一瞬ドキッと心臓が悪く鳴るが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「ぁ…奈月先輩。あの、今までどこに」
「拉致されそうになった人間を助けに行ってた」
「それって、刹那達を攫った犯人と同じ…?」
「可能性は高いかもね」
千鶴が言葉を続けようとすると丁度、千鶴の自転車に乗った花緒と、夕陽とニケツして登場した茉莉がシェアハウス前に止まる。
「黒岩くん、自転車届けるついでに、一緒に従姉さんのこと捜すの手伝うよ」
「俺も朝陽に頼んでサッカー部にも声かけしてもらってきた。つうか、北沢がチャリ乗れないって…今時レアケースだろ。お蔭でパトカーが頻繁に走ってる中ビビりながら漕いで来たわ」
「えへへ、あざます」
茉莉は照れ笑いをした。そして思い出したように口を開く。
「めぐちゃん達も今捜索してるって。なんか、全国で大変らしいよ」
「全国で…?」
とりあえず、全員で家の中に入りテレビを点ける。すると、どこのニュース番組も一連の失踪事件ばかりを報道していた。
『全国各地で失踪事件が続出しています』
千鶴、茉莉。残りの三人に別れて刹那を捜す。
恵美からも着信があり、本来なら家に帰らせたかったようだが、千鶴達の意思を尊重してくれ、午後十時に帰宅する約束で捜索を手伝わせてもらった。
夕陽が言っていた通り、パトカーは市内を巡回し、警察が聞き込みをしている場面によく出くわした。途中、早く帰るよう注意もされたが適当に返事をして捜し続けた。
どこを捜してもいない。公園、最寄り駅、刹那が好きなカフェ店。心当たりがある場所は
携帯のアラームが鳴る。午後十時を知らせるアラームだ。
「…帰ろうか」
「うん」
茉莉が元気無く答えた。
家に戻ると、めぐちゃんの車ではない軽自動車が停まっていた。先輩のうちの誰かの親が迎えに来たのだろうか。玄関先で話し声が聞こえる。千鶴は、その声に聞き覚えがあった。絶対に忘れない声。思わず駆け出し、玄関へ走る。
「マキナ?!」
そう呼ばれ振り向く女性は、喜界舞姫撫だった。両横髪に花のヘアピン。そして何より驚いたのは、能面みたいに張り付いた無表情さだった。この前会った、東十条と良いレベルで戦える表情筋の死に具合。
「千鶴、よく私だって解りましたね」
「わかるよ。だって、声とか、ヘアピンとか」
メールではよく顔文字や絵文字を乱用してきていたので、表情豊かなのかと思っていたが、それは誤解だったらしい。表情で意思表示が難しい分、絵文字を使って感情を示してくれていたのだ。それがわかった時、千鶴は嬉しさと、勝手に幻想を抱いていた事を恥じた。
「黒岩くん、マキナさんが私達のこと送って行ってくださることになったの」
花緒が差す先に先程の軽自動車があった。あれはマキナの車だったようだ。
「綾川さん達は責任を持って送ります。茉莉さんはこのままシェアハウスに泊まっていってくださいとめぐさんからの伝言です」
「りょかいっす~」
「黒岩くん、不純異性交遊はダメだからね!」花緒がメッと指を出す。
「しません、決して。神に誓って、絶対しない」
断固拒否の千鶴を見て、夕陽と奈月が「そこまで拒まなくても」「北沢の気持ち次第だなぁ」とか好きかって言っている。
車に花緒達が乗る込む中、奈月が千鶴の下にやってきた。
「私は帰ったあとも捜すから。黒岩と北沢はゆっくり休みな」
「ありがとう、ございます」
そして車へ乗ると、出発しエンジン音は次第に小さくなり、聞こえなくなった。
「家、入ろうか」
「うん。お邪魔します」
リビングも、自室も朝のままだ。流し台には朝食の皿。脱ぎっぱなしのパジャマ…恵美が遅刻ギリギリだったのかもしれない。こんな光景を見たら、刹那はしょうがないな、と言い片づけ始める。そんな子だ。
ソファの横に刹那が持って来ていた荷物と携帯を置く。
まず、風呂を淹れて、茉莉を入らせて、もうこんな時間だから出前を取って、それから空いている部屋に来客用の布団を準備して、それから、それから。
心臓がドクドクと嫌な音を立て始める。緊張し、息が苦しくなってくる。
「ちぃちゃん。私ピザ食べたいな」
「え、ピザ…?」
「うん。チーズがビヨーンってなるピザ」
「じゃあ、注文しよっか」
茉莉の夕飯リクエストのお蔭で、さっきまでの嫌なモヤモヤが少し落ち着いた。
届いた出来立てのピザを食べ、風呂に入る。
茉莉には恵美が来ているジャージを渡した。明日着る私服は、刹那がもう着ないと言って置いていったパーカーとスカートで大丈夫だろう。
就寝しようとリビングを後にしたときには、時刻は既に午前一時を過ぎていた。
「遅くなっちゃったね。ちゃんと起きられるかなぁ」
「明日も捜そうと思うんだ。寝坊しても大丈夫だから、その…手伝って、もらってもいい?」
千鶴の頼みごとに、茉莉は目を輝かせた。そして何回も頷く。
「もちろん!もちろんだよ!」
茉莉は思いっきり千鶴の背中を叩いた。その反動で千鶴は前のめりになりそのまま床に顔面を強打した。
「大丈夫?」
「だいじょうぶ…鼻血も出てないから」
相変わらず馬鹿力だ。
「それじゃ、おやすみ!また明日」
「おやすみ」
自室で独り。カチコチと秒針がやけに五月蠅い。こんなに煩わしかっただろうか。眠れない。今こうして眠りに着こうとしている間にも、刹那と瞬はどこかに連れ去られて、最悪…
「…大丈夫」
千鶴は胸元に手を当て、気持ちを落ち着かせると、着替え、玄関を出ようとする。しかし
脳裏にシスターペストに襲われた光景がフラッシュバックする。奈月は、犯人は宇宙人だと言っていた。またあんな酷い目に、惨い目にあったら?今度こそ死ぬかもしれない。
ここで立ち尽くして、発作を起こしそうになる自分に嫌気が差した。大嫌いだった、こんな自分が。悔しいのに。あと一歩で外に出て、走ってしまえばいいだけなのに。それが出来ない。どんどん黒い靄が心を蝕んでいく。墨汁のように滲み、黒くなり、ついに爆発する。
「クソ!クソ!」
大声を出し、千鶴は頭に血が上っていた。ドタバタと部屋に戻ると、カッターを出し左腕を何回も何回も切り付けていく。左腕には、ケロイド状になった傷や古傷が残っていた。そこに、新しい傷が出来、鮮血が流れる。
傷みを自覚した時には、後悔しても遅かった。こんなバカなことをしてもどうにもならないのに。刹那と瞬が帰ってくるわけじゃないのに。誰かが助けてくれる訳でもないのに。
なのに、傷が多ければ多い程安心した。これだけ苦しいんだと目視出来て、余計悲しくなった。虚しくて、悔しくて、情けなくて。何も出来ない自分が嫌で涙が出てくる。
「ちぃちゃん」
「茉莉…」
咄嗟に左腕を隠した。しかし、見られていたようで、茉莉がそっと左手を握り、傷をまじまじと見つめる。また、秒針の音だけが大きく聞こえる。
観念した千鶴がゆっくりと喋る。
「茉莉も…怒る?」
「怒る?どうして?これはちぃちゃんの苦しみの数値でしょ?」
垂れていく血を、茉莉の親指が拭う。
「ちぃちゃん、教えて。ちぃちゃんはどうしたいの?それが出来なくて苦しんでいるんだよね?だから教えて。ちぃちゃんは今、何がしたいの?」
「…それは」
言い淀んでいると、茉莉が左腕にカッターの刃を当てる。
「待って、言う!言うから!」
「本当だね?」
そう言うと、茉莉はゴミ箱の上にカッターを持っていくと握り潰した。プラスチックはボロボロに、刃はバッキバキに折れていた。それを見て、言わないと今度は自分の骨がバキバキになると思い、千鶴は必死に喋り出す。
「俺は…刹那と瞬を助けたい。外に出ようとしても、暗い中出ていくとまたシスターペストの時みたいに、襲われるんじゃないかって怖くて、足が竦んで…そんな自分がダサくて嫌だ!助けたいのに、俺が逃げて、馬鹿みたい…」
「じゃあ、私を頼ってよ!友達なんだから!」
思わず目を見開いた。どうして、友達がいて、一緒にいてくれるだけでこんなに力強く思えるのだろう。ふと、千鶴は何かを思い出したように制服のポケットを漁り出した。
左腕には、傷の箇所にだけベタベタに絆創膏が貼られていた。
千鶴と茉莉は自転車にニケツし、夜中の薇市を駆け巡る。
「めぐちゃんに知られたら大目玉食らうね!」
「それも承知だよ!きっと、家にいたまま朝を迎えたら後悔する気がする」
二人は行く先も決めず、自転車を走らせる。
「ありがとう、茉莉。着いてきてくれて」
「あたぼうよ」
ニュースの影響もあってか、普段より町が静かな気がした。なんでもいいから手がかりを、そして怪しい宇宙人を捜しに自転車を漕いだ。
『これがのちに言われる、ゴールデンウィーク神隠し事件の始まりでした』




