聖ウェルダー教・5
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蛇のように蠢く蜘蛛を、芳梅は炎を吐くドラゴンと氷を吐くドラゴンの二匹で止めていた。どこから湧いて来るのか解らない蟲相手に、芳梅は警戒を強める。体内に隠すと言っても無理がある。この気味の悪い仕掛けが解らない以上、蟲を止めさせることはできないだろう。
(こうなったら、実力行使!)
芳梅は合図を出すと氷のドラゴンが翠蘭目掛けて吹雪を浴びせる。
しかしそこに蟲が大量に湧いて阻止されてしまう。
「ッチ」
「蟲の出所が解らないから本体を狙ったのかな?それは正解だけれど、この蟲は私しか守る対象がいない。だからそう簡単にはやられないよ」
翠蘭が指を鳴らすと、今度は蝶が舞い、芳梅に纏わりつく。
「クソ!」
いくら振り払っても蝶は離れてくれない。自分を焼かずに炎でどうにかできるか?そう考えているうちにチクりと痛みが走る。蝶の口が肌を貫通し、血液を飲んでいるのだ。こうなったら、覚悟を決める。
「私に吹雪を浴びせなさい!」
氷のドラゴンは躊躇するが、主人がピンチであることは解ったらしい。吹雪を浴びせると蝶の死骸を芳梅は振り払う。パキパキと蝶が落ちていく。そして芳梅にも霜焼けが何ヶ所かに負う。
「ハァ、ハァ…負けない、負けてたまるか」
「ここで殺されたら、天使だっけ。そいつに身体を明け渡すことができないもんね」
「それだけじゃあないわよ」
芳梅の雰囲気が変わる。
「私は誇り高き虎翼族とミャオイー族の混血…負ける訳にはいかない…死んだ両親に顔向けできない!」
隠し持っていた短刀を水平にし、翠蘭の心臓を狙うが蟲で隠していた太刀で抗戦する。
「自分だけ隠し玉を持っていたつもり?」
「貴女が蟲以外にも武器を持っていることは想定していたわ」
「ねぇ。どうして死にたいの?両親を尊敬しているなら、血を残した方がいいと思うけれど」
喋っている間にも、二人は手を止めず、攻撃を続ける。
「子供は産むわ。いつの日か儀式に選ばれたらね」
脳裏に過ったのは、女と男が馬鍬い、男のみが死に、天使に身体を明け渡す光景だった。女は妊娠をしていたら、赤ん坊を生み、その後天使に身体を渡すのだろう。
「そんな血の残しかた、ご両親はどう思うかな」
「命を繋いでいくのよ!どんな方法だってかまわない!」
「…私の知り合いに、知っている奴に結婚相手が決まっている奴がいるんだ。愛してもいない相手に、高い金で買われてね」
「はぁ?」
芳梅の力が弱まった。足で腹を蹴ると、芳梅は簡単に吹っ飛んでいく。
「痛ッ!」
「でも、知り合いも知り合いで好きな人がいるんだよ」
「そんなの、好きな人と駆け落ちしたほうがいいわよ。私ならそうするわ」
「じゃあ、君も恋愛をしてみたらいいさ。そんな知らない、誰の子かも解らない子供を産むくらいなら、愛したヒトの子供を生めばいい」
翠蘭が話し終わる頃には、芳梅の手は止まっていた。
「そんなことしたら…」
憧れだった。恋をすることが。
しかし、混血と言うだけで虎翼族からも、ミャオイー族からも弾かれて。どの一族にもつま弾きにされた。皆と姿が違うと言われた。差別も受けた。誰からも相手にされず、誰からも蔑まれ、生きる希望なんて無かった。そんな時に手を差し伸べてくれたのがシェルピスだった。彼女の勧めで聖ウェルダー教に入信した。死が救済なのだ。愛しい肉体、だけど憎たらしい肉体…そこからの魂の解放だけを望んでいた。
ここで恋をして、生きる希望を見出してしまったら元も子もない。
愛したヒトの子を聖ウェルダー教に捧げるなんて出来ない。
「無理よ…私の居場所は、ここだけだもの」
「無理じゃあないよ。君が望むなら逃げ場でもなんでもあるんだよ」
翠蘭は一枚の紙を渡す。そこには汐瑠と緋色と住んでいる住所、電話番号が記載されていた。
「脱退するのは簡単だって、噂で聞いたよ」
「…生きる希望を見出したら脱退できるのよ。きっと、シェルピスだから…抜けようとすれば、すぐ抜けられる」
「そう。人の生き死に口を出すほど暇じゃあないんでね。芳梅だっけ。気が向いたら連絡して。いつでも相手になるから」
すると、芳梅の唇が僅かに震える。そして言うのだ。
「私まで…生きる希望を、見出しちゃったじゃない…好きなヒトとキス、してみたい…!」
「出来るよ。だって魅力的なんだから」
「友達も欲しい!ゴジみたいに…」
ゴジみたいに、真っ直ぐな心で、純粋に誰かの生きている姿に惹かれて
「生きていたい…生きたい…」
「泣かないで」
芳梅はワンワンと泣き出した。ずっと、孤独だったのだ。仲間がいつ天使に身体を捧げるのか、不安だった。別に生きる希望なんて無かった。だから、自分がいつ自殺しろと言われるのかも、気にしていなかった。でも、翠蘭という奴に希望があることを教えられた。希望を、夢を抱いた。もう、これ以上ここに居る資格はないと、思ってしまった。
「私の彼女がここに誘拐されたはずなんだよね。知らない?」
「なら、花の栽培所にでもいるんじゃあないかしら。案内するわ」
芳梅は涙を拭くと、立ち上がった。そこにいるのは、もう死ぬ時を待っているだけの女性ではなく、凛と生きることを決めた女性がいた。
「大丈夫?」
「えぇ。泣いたらすっきりしたわ」
二人は花の栽培所に向かい歩き出した。
麗亜と賢太郎は奥の部屋へ入ると、そこには煙草を吸っている亜簾と殴られた痕があるゴジがいた。ゴジはぽろぽろと涙を零している。
「貴方がアレスディア…」
「お前がレイアーローン。俺の妹か。顔は国王に似ているな。余計腹が立ってくる」
亜簾は煙草の火をゴジの肌に押し付ける。
「熱い!」
「止めなさい、亜簾!暴力を振るうなど許さない!」
「そりゃ怒るよな。ベアトリックスにとっちゃか弱くてひ弱、守るべき存在だもんな、ゴジみたいな奴は」
「違う!ヒトとしてよ!」
そう。ヒトとして怒りを露わにしているのだ、と自分に言い聞かせる。いかにも弱そうな彼を、ゴジが可哀想だから、庇護対象だから怒っているのではない。
違う。違う。母のように保守的な考えではない。
「私は貴方の非道を止めに来たの!行くよ、賢太郎!」
「承知」
すると賢太郎は姿を変え、凛々しい馬へと姿を変える。前足を上げ、奮闘の雄叫びを上げる。
「ゴジ、行くぞ」
「う、うん」
ゴジは涙を浮かべたまま体を変化させる。馬と大差ない大きさの鹿となる。角は、木の枝で出来ていた。
麗亜は頭にプレデターαを装着し、ズボンにかけていたバトン程の大きさの棒に振動を与えると、それは三叉槍に変化していく。どうやら亜簾も持っていたようで、同じくプレデターを装着し、武器として薙刀を持つ。麗亜が賢太郎の胴を蹴ると、賢太郎は駆けだした。同じくゴジも、突進するように走り出す。
三叉槍と薙刀が交差する。プレデター同士が打ち合いを始める。
ベアトリックスでは女性の方が力強いが、何故か麗亜より亜簾方が優勢だった。弾かれ、麗亜と賢太郎は後ずさりする。
「大丈夫か、麗亜。いつもらしくないぞ!」
「えぇ。解ってるわ、そんなの」
麗亜は内心動揺していた。思った以上に亜簾が強いのだ。手が震える。恐怖から?違う。力加減が上手く制御できないのだ。
「賢太郎、もう一度行くよ!」
「振り落とされるなよ!」
今度は賢太郎が速度をつける。三叉槍を生かし、薙刀を捉え弾く。そして亜簾の胴体目掛けて石附で打撃を与えようとするが、それよりも早く麗亜の腹に亜簾の石附が突き刺さる。
「ゲホッ!」
そしてすぐに振り回し、賢太郎の首元に穂が斬り入り、血飛沫が舞う。
「大丈夫?!」
「平気だ、このまま続けるぞ」
「っ…行くよ!」
自分が持てる最大限の技を三叉槍にこめて振り回す。穂を捉え、亜簾に向けて攻撃を仕掛けてもゴジ特有の植物が邪魔をして、亜簾を掠めることすらできない。
「麗亜!何を躊躇しているんだ!」
「解ってる!でも、」
麗亜の中にある動揺を読み取るように、亜簾のプレデターαが麗亜の肩に直撃する。
「ぐっ、ああああああ!」
「麗亜!」
麗亜は賢太郎から落馬し、立て続けにプレデターの餌食となる。腹、足と出血が見られた。
(私はただ、母の…国王の言う通りの女性になろうとしただけなのに…!本当になりたい自分を殺してまで、なった姿なのに…!)
それは呪いのように、ずっと頭の中で流れる。
――「レイア。貴女は女性として強く、凛々しく、美しくありなさい。男を守りなさい。そして支配しなさい。それがこの世界の在りし姿なのだから」
髪も伸ばした。体系だって気にした。母の言う、美しい心を持つよう努力した。だけど、どうだ。実兄にすら負けている。それなのに、ゴジを助けたいなど言えない。賢太郎に乗る資格すらないのではないかと邪念が襲う。
その時だ。麗亜の耳に、救いの声が聞こえてくる。
「麗亜先輩!」
「せ、つなちゃん…!来ちゃだめよ!」
刹那が駆け寄り、麗亜に膝枕をする。
「酷い怪我…止血しないと」
刹那の優しいぬくもりが、傷口に当たる。
…可愛い後輩。素敵な先輩だと思われたくて、立ち振る舞ってきた。そんな自分を尊敬してくれる刹那。これ以上期待を裏切れない。
「戦わなくちゃ…」
「拍子抜けだな。あの女の子供だから手古摺るかと思ったが…あっけなかった」
亜簾がプレデターを翳す。
これ以上良いように言われていいのかと、鼓舞する。自分がどうして弱いのか、解っている。心の中で、鏡の前の自分を見つめる。もう一人の自分が囁いて来る。母の期待を裏切れと。
違う。
違う。私がなりたい、私じゃあない。
「刹那ちゃん…訊いてもいい?」
「なんですか?」
「どんな私でも…好きでいてくれる?」
驚いた表情を見せたあと、刹那は微笑を見せる。そして、麗亜の頬に優しく手を添える。
「私は…受験当日に、緊張のあまり道が解らなくなって、そこで声を掛けてくれた麗亜先輩が大好きなんです。どんな先輩だったとしても、私は先輩が大好きです」
雪の降る日だった。電車の遅延、人混み。そして受験という緊張で、刹那と母は道が解らなくなってしまったのだ。学園祭や説明会で何回も通った道が、まるで別世界のように映っていた。辺りをきょろきょろしていると、声を掛けられた。
「あの、もしかしてマリージャンヌ学院の受験生さんですか?」
「は、はい…そうですが」
「私、そこの学生なのでご案内しますよ。丁度通学の途中ですので」
「あ、ありがとうございます」
そんな麗亜を、刹那は慕った。無事合格したあとも、麗亜を探し出してお礼を言って。そこから交流が始まった。
「お前が変わろうとしても結局は何も変わらないんだよ。そろそろ終わりにしよう」
プレデターがレーザーを撃つ。
「変わるか変われないかは、誰かが決めていいものじゃあないの!自分自身で決めるの!」
刹那が念力を仕掛ける。その瞬間だった。
「うおおおおおおぉ!」
刹那を守るように、誰かが覆いかぶさる。
「麗亜、先輩…?」
「ごめんね、刹那ちゃん…ううん、刹那」
麗亜は骨格、身長が変化し、二メートルを超える背丈になっていた。そして筋肉が付き、勇ましさが増していた。そして三叉槍で長く美しく整えられた髪を、切り落とす。
「今のお前は駄々っ子だ。母親に愛されなかった腹いせをしているだけだ!」
麗亜が突進する。ゴジが木の根を出し阻害するが引きちぎられていく。そしてついに亜簾の懐に侵入すると、そのまま首と腹を持ち、ゴジから引き摺り下ろす。そしてそのまま、床に投げつけた。
「ぐはっ!」
そしてそのままの勢いで亜簾を殴り始める。
「アハハハハ!アッハハハハ!」
その戦闘ぶりは刹那と賢太郎が引く程だった。ゴリゴリと亜簾の骨の音が聞こえてくる。
「まだだ、まだ終わらない!」
次に出たのは、亜簾の腕を引きちぎろうとする。肩の骨が外れた音がした。今の麗亜にとっては、亜簾の腕など細いも同義だった。
「先輩!もう終わりです!」
「刹那、どうして止める?」
「もう、そのヒト、気絶しているからです」
「…、私のこと、嫌いになった?」
「嫌いになんかなりません。かっこいいですよ、先輩。でも、ちょっとやりすぎ…ですね…」
すると、落ち着いたのか麗亜は元の姿に戻っていく。
「ごめんね、刹那。嫌な思い、させちゃって」
「いえ。先輩が道を踏み外しそうになったら、私が止めますから。先輩は、先輩のなりたい自分になってください」
「刹那…!」
麗亜は足を引きずりながら刹那を抱きしめた。そして今まで我慢していたものが崩れ落ち、涙となって体から出ていく。
「うっ、うぅ…ありがとう、ありがとうね」
「麗亜先輩…」
賢太郎もゴジも元の姿に戻っていた。ゴジは、つられてなのか、負けたからなのか解らないが、泣いていた。
亜簾が目を覚ましたのは、すぐの事だった。殴られて、頭蓋骨に罅、肋骨が折れていることに、激痛が走る。
「…負けたのか。結局ベアトリックスの男は勝てないのか」
「貴方を、兄と呼んでいいのか解らない。でも、貴方が今していることは母の思考と同じことをしていると、私は思った」
「あの女と、同じ?」
「自分より弱い立場の子を、いいように扱っていた。暴力も振るっていた。鏡写しのようにね」
麗亜と、亜簾の母親である国王は、保守的な考えを持つものだった。男は女の所有物であり、家庭を守るべきもの、子供を立派に育て上げ、女を立てること。それが出来なければ、殴られても仕方ないと。
「私はそんな世間を変えたくて、家出をしたの。難しいかもしれないけれど、平等に近い世の中にしたくてね」
「…そうかよ」
そう言うと、亜簾は目を瞑り黙った。
「あ、あの!」
大声を張り上げたのはゴジだった。よく見ると、パーカーの下には無数の痣が見える。亜簾に相当殴られていたらしい。そんな彼が、おずおずと麗亜の前に歩いて来る。
「君は…」
「亜簾の馬役になっていました。それより、千鶴っていう子を亜簾が誘拐してきたんです。僕、その子を助けたいんです!」
「千鶴のこと、知っているの?!私の従弟なの、お願い、どこにいるか解るなら教えて!」
刹那がゴジの手を取ると、ゴジは力強く頷いた。
「多分、シェルピスの部屋にいると思う」
「急ぎましょう」
麗亜と賢太郎は自分の手当を終わらせるとゴジに案内され艦内を走り出す。
「…ゴジさん、ですっけ。ゴジさんも自殺…志願者なんですか?」
刹那が尋ねる。しかしゴジは笑って返した。
「前はね。でも、千鶴と出会って、体育祭っていうのを見てから、生きるのも悪くないなって思ってね。だからシェルピスにも言ったんだ。生きてみたいって」
自殺未遂ばかり起こし、希死念慮でなんども死のうとしていた千鶴が、知らないうちに誰かに影響を与えていたことを知り、刹那は呆気にとられたのが正直だった。
「そう、なんだ…千鶴が、きっかけで…なんか、実感湧かないや」
「僕夢が出来たんだ!千鶴と友達になりたいんだ」
「きっとなれるよ。千鶴も悪い奴じゃあないからね」
ゴジは、ニカッと笑い、とてもいい顔付きになる。
「ここだよ」
シェルピスが滞在しているであろう部屋に辿り着く。ゴジは扉の横にある認証番号を入れる機器に番号を打ち込むが、開かない。
「可笑しいな…いつもなら開くはずなのに」
「しっ!聞き耳を立ててみて」
賢太郎に言われ、刹那とゴジは扉に耳を当てて聞いてみる。すると中から何かがぶつかり合っている騒音が聞こえてくる。
「誰かと戦っているんだ」
「千鶴…!きっと茉莉ちゃん達が戦っているんだ」
刹那は念力でどうにか開けようとするが、扉はビクともしなかった。
「開かない、どうしよう」
「落ち着いて。もしシェルピスと茉莉が戦っているなら、千鶴はまだ無事のはず」
麗亜に宥められ、刹那は一度深呼吸をする。
この扉が開いたとき、どんな光景が待っているのか。気が気でなかった。