件名:SOS/前
読んでくださりありがとうございます
『はじめまして、こんにちは。僕は黒岩千鶴と云います。日本人です。地球人です。今日まで色々ありましたが、これが僕の人生です。生きてきた日々です、日記です。片手間にでも読んでください』
『僕の‘病気’は一部の人の顔が認識できない病気でした。一部の人の顔が黒く塗りつぶされてのっぺりとしているんです。どんな表情なのかも解らないです。その一部以外は、ちゃんと顔が解りました。当時は認識障害…と一応診断はされました。でも、両親は信じてくれませんでした。虚言癖扱いされていました。この病気のせいで、中学生の頃イジメに合いました。最悪です』
朝も嫌いだが夜も嫌いだ。
スマホのけたたましいアラームが鳴る。朝だ。
千鶴はアラームを止めると、また二度寝しようと布団をかぶる。今日もまた学校が始まる。
しばらく時間を無視していると、あっという間に家を出る時間を過ぎようとしていた。
「…行かなくちゃ」
左腕から手首にかけて傷つけた跡がズキズキと痛む。たまにある、こういう以前付けた傷が痛むこと。生きている、忘れるな。自分を傷つけた罰だって教えるみたいに。
千鶴が住む家は、叔母の恵美が管理しているシェアハウスだ。シェアハウスと云っても、今は叔母の黒岩恵美と千鶴しか住んでいない。
「おはよう。めぐちゃん、帰って来てる?」
二階にある寝室から降り、リビングを覗くと、夜勤明けの恵美がソファでスーツから着替えず、眼鏡も外さず爆睡していた。
「おかえりなさい」
千鶴は起こさないように、眼鏡を外しテーブルに置いた。
恵美…めぐちゃん。叔母さんと呼ばれるのも嫌なので甥っ子、姪っ子にはめぐちゃんと呼ばせている。年齢は三十一歳。そりゃ叔母さんと呼ばれるのは嫌だろう。
めぐちゃんは所謂キャリアウーマンで、マンションも所有している。
千鶴から見たらめぐちゃんは金持ちだ。不労収入だけでも食べていけるのに仕事までしている。ちゃんと帰宅する日もあれば、夜勤だかで翌日まで帰ってこない日もある。忙しい人。でもちゃんと千鶴を想ってくれている、優しい人。
でも仕事は出来ても料理は死ぬほど大嫌いで、千鶴がこっちに住み始めた三年前は殆ど外食やデリバリー、お惣菜だった。流石に胃袋が死ぬと思った千鶴は祖母に頼んで料理を教わり、今も毎日ではないけど自炊をしている。
朝は時間との闘いなのでコーンフレークで済ます。本来なら朝飯を食う時間も無いが、朝食は取る、と恵美との約束。
「いってきまーす」
引き戸の玄関を開け、静かに出て行く。
自転車に乗り、学校までペダルを必死乞いて漕いだ。
『両親とは一緒に住んでいません。中学校進学を機にめぐちゃんの家に居候しています。父は外面だけ良くて僕の事は無関心でした。母は僕が嫌いで無視していました。必死に良い子になろうとしましたが、認識障害がある以上彼等は僕を息子として受け入れてくれないでしょう。今では僕も彼等が嫌いです』
通っている公立河渕中央高校。
ここは厄介だった。黒い顔を持った生徒がまあまあいる。
だから、千鶴はもう二度と失敗しないために、透明になろうと決めた。
友達も作らない。交友も広げない。必要最低限だけ。ただ、卒業する三年間を静かに待つ。会話も無難に。
だけど、そんな千鶴を悩ませる存在が一人いる。
「ちぃちゃん、おはよう!」
「…おはよう」
元気ハツラツな挨拶をするのは、北沢茉莉。千鶴と同じクラスの女子。
千鶴にとっては危険な存在だった。嫌な顔を見せても、軽くあしらっても、めげずに、と言うか気づいているか怪しいレベルで諦めもせず声を掛けてくる。
顔が黒く塗りつぶされた女の子。
黒髪を二つ結びにしているところまではいい。
だが、現在の女子生徒の制服はセーラー服タイプなのに、何故か昨年度の卒業生までが使用していた旧制服のブレザータイプの制服を着ている。しかもブレザーは着ないでパステルカラーの紫色のトレーナーを着て、ピンクのリボン、ルーズソックスというスタイルで登校する、校則無視する女子だった。
何故か入学してからずっと声をかけ続けてくる。
「ちぃちゃん、昨日の歌番組観た?珍しくMarieが出てたんだよ!」
「あー…アイドル好きなんだ」
「ううん、別に!ちぃちゃんが好きかなと思って」
「俺もあんま…アイドル詳しくないよ」
「ホント?!私と同じだね!」
コイツに関してはどう切り返しても自分にポジティブな方向へシフトする。その思考は羨ましいが、千鶴にとっては面倒だった。
(早く会話を切り上げたい)
「ちぃちゃんは部活動何するか決めた?」
昇降口、廊下と教室に向かうまでずっと隣を歩いてくる。
「美術部…」
「へぇ、すごいね!絵描くの好きなんだ」
「…」
歩いていると、教師が声を掛けてくる。顔の黒い教師。生徒だけじゃなく、教師にまでいる。
「黒岩、北沢。あと三分でホームルーム始まるぞ」
「あ、ゆっこ先生!おはよう!」
ゆっこ先生。白百合雪子先生のあだ名。千鶴達一年四組の副担任。数学教師。ロングヘアで、塗りつぶされた顔に眼鏡をかけた異様な佇まいに千鶴は見える。
「すぐ行きます」
千鶴は俯いて逃げるように後にした。
『僕は三回自殺未遂をしました。
一回目は小六の時。母から産まなきゃよかったと言われました。だから腹いせに首を吊りました。妹に見つかって、祖母が助けてくれました。
二回目は中一の時。顔が認識できないことを知られ、試されました。彼は顔が黒で塗りつぶされていました。そこからイジメの対象になりました。辛くて、リストカットをしました。めぐちゃんに見つかって怒られました。
三回目は中三の時。不登校を知った父が良き父親である証拠を見せようとして無理矢理学校に連れて行こうとしました。体を傷つけるのが怖くて、処方されていた薬を全部飲みました。マンションの更新のために来た住居者が異変に気づいて救急車を呼んでくれました。父は逃げました』
『僕のせいで家族は離散しました。妹は祖母と暮らしています。両親はどこかで暮らしているはずです』
『僕は自分が嫌いだし、悪意がある人も、正義を押し付ける人も嫌いです』
『もう誰かと関わりたくない』
『優しい世界で生きていきたい』
・・・
気が付くと、千鶴は知らない場所にいた。
黒一色の一室に、作り物の星のランプがいっぱい吊るされている。床は水浸し。ゆらゆらとランプの灯りを反射している。そして部屋の中心には円形で深堀された箇所があり、その中に器が沢山漂っていて、ぶつかってはカラコロカラコロ、コローン…コローンと美しい音を響かせていた。
部屋の向こうには、背を向けた、発色の良い水色の髪をした少女が立っている。長い髪、毛先にいくにつれピンク色をしている不思議な髪の毛。頭部から触覚みたいな長いものが出ている。肌の色はイルカみたいな鼠色。白いキャミワンピを着て、どこまでも続いている様な天井を眺めている。
「…北沢?」
なんで彼女を北沢と思ったのかは解らない。でも、北沢茉莉だと千鶴は思った。
「あれ、ちぃちゃん。なんでここにいるの?」
千鶴の存在に気づいた北沢が振り返る。顔はやはり黒い。
「いや、俺も解んない…」
「そっか!」
明るい声が返って来る。
(あぁ、夢か)
千鶴は納得する。夢だと解ったら緊張がほどける。言いたい事、ここで発散させてもらおう。
「北沢は、なんで俺につきまとうの」
「え?友達になりたいからだよ」
「…北沢は他にも友達いるじゃん」
「私はちぃちゃんと友達になりたいの。だって、ちぃちゃん×私の事×××××じゃん」
「は?」
「覚えてないの?」
「いや…うん」
「×××のリボンが××っていうのも、ちぃちゃんが教えてくれたんだよ」
「え、俺達××××あるの?」
「あるよ。だから、もう一度×××××××に来たんだよ」
北沢が手を差し伸べる。
「ちぃちゃん。そのためにここに来たんだよ。だから、友達になろう。私の×が××××)てもいい、×××××から、試さないから、君と友達になりたい」
千鶴の視野にノイズが走る。
北沢の顔にモザイクが走り、ブチブチと画面が荒れるようになる。その荒い隙間から、顔が見えそうになる。
「北沢…?」
見えた顔は、深緑の眼球と、やけに長い下顎から生えた牙の…
「待って、北沢!お前、一体何者なんだよ!」
手を伸ばし、北沢に駆け寄ろうとするが踏み出せない。
「ちぃちゃんの大声、初めて聞いた」
・・・・
「千鶴!」
千鶴はガクンと大きく船を漕ぐと、意識を取り戻す。
「千鶴!また風呂で寝てるの?!死ぬよ!」
すりガラスの向こうから、ドンドンと叩く音と大声がした。
どうやら入浴中に寝落ちしたらしい。
「あ、起きた、起きました」
「起きたじゃないわよ。気をつけてよー」
めぐちゃんだ。呆れと心配の声色で千鶴を気に掛けると、洗面所から出て行く。
千鶴は湯船に口元まで浸かる。夢をみていたと思うけど、内容が思い出せない。
(いつもろくな夢見ないし…。いつも殺される夢だし。化物に追いかけられる夢だし。忘れてていいや…)
ただ、お風呂で寝ていたはずなのに、足の裏が冷えている気がして、やたら熱く感じた。
毎日怯えて過ごす学校生活はとても疲弊する。
とっても嫌な時間。
めぐちゃんと相談して高校に行けるようなら通って卒業はしたほうがいいとアドバイスを貰った。
唯一安心できる時間が部活動だった。美術室に行くと、中学校でお世話になった先輩、三年生で美術部部長・綾川花緒がいる。
花緒は千鶴が不登校になっても気にかけてくれて、シェアハウスにまで遊びに来てくれて一緒に絵を描いたりして過ごした仲だった。
そんな花緒が通い、めぐちゃんの母校である河渕中央高校に進学を決めたのだ。
「黒岩くん、今日も来てくれたんだ!いつも美術部だけどいいの?他の部活も見たりしなくて」
「そうだぞ、黒岩。今仮入部期間なんだし」
花緒と一緒にいるのは、二年生の東雲夕陽。彼は美術部だが双子の兄はサッカー部でレギュラーに入ってる。
「いえ、入学前から美術部一択でいましたから」
「一途だなぁ」夕陽が嬉しそうに笑う。
この表情が解る人達は安心する。何より優しくしてくれる。
美術部は居やすい。二人、顔が黒い先輩がいるけど。
一人は二年生・卯川奈月がいるが、彼女は千鶴に気が付くと手を振り挨拶するだけで、あとは黙々とキャンバスに向かって描いている。
もう一人は部員ではないが、花緒の恋人で利根霜月がたまに遊びに来るが、彼は千鶴に友好的に過ごした後は花緒と喋ったり、害を加える様子はないのでそっとしている。髪をピンクに染めていて怖そうだけど、めっちゃ優しく接してくれる。深入りもしてこない。
だから、まだ安心できる。
必要以上関わってこない彼等に。
「なぁ、黒岩!俺と朝陽の顔ってそんなにそっくりだと思うか?」
「え」
花緒と夕陽が窓辺で手招きをする。
千鶴が向かうと、グランドでサッカーをしている兄の朝陽を指す。
「私は瓜二つだと思うんだけどな」
「俺はそうは思わないですけど。な、黒岩はどっちだと思う?」
「それは…」
『僕は自分の意見を言うのが苦手です。幼い頃から、一生懸命話しかけようとすると母が遮るように父や妹と話し始めるからです。意見を言っても、否定されます。邪険にされます』
『だから意見を言うのは苦手です。自分が正しいのか解らない』
『顔が解らないなら、なおさら』
朝陽の顔は黒い。夕陽と双子のはずなのに、黒塗りの顔をしている。
嫌な汗を掻く。
何て答えれば正解だ。似ている?似ていない?どっちだ。
(そんな質問されてもわかんない…)
なら、張本人の考えに合わせるのが一番だ。
「に、似てない、かも…です」
「ほら!黒岩はよく見てますよ」
「えー、マジかぁ。黒岩くんはすごいなぁ。私には同じ顔が二人いるようにしか見えない」
「い、いえ」
「私も似てないに一票。クラスの皆は瓜二つっていうけど」奈月が挙手する。
「え、奈月ちゃんも?!」
「あはは!こんど真作と贋作見極め対決とかしてみますか?」
「え~、やめてよ。部長としての威厳が損なわれそう」
部員がワイワイとはしゃいでいる。
(本当にそっくりなんだ)
(どうしたらこの障害は治るんだろう)
『この時、初めて黒い顔の人達の素顔が見たいと思いました』
部活動終了の時刻が近づく。
千鶴達は片づけ終わり、各々の鞄を持つと美術室の電気を消した。
「あれ、どうしたの?」
先に廊下に出た奈月が立ち止まり、下を向いている。
「どうしました?」
「あ、ちぃちゃん!」
「…北沢、なんでこんな所に座ってんの。ていうか、恥ずかしいからまずは立ってよ」
「なになに?黒岩くんの友達?」
花緒も美術室から出てくる。
「はい!北沢茉莉って言います。一緒に帰ろうと思って待っていました」
「北沢さんかぁ…黒岩くんのこと、よろしくね」
花緒が優しく微笑んだ。中学時代の千鶴を知っているから、友達がいたことに安心したのだろう。千鶴は否定したかったが、し辛い雰囲気になってしまった。
「黒岩、お友達をあんま待たせるなよ」
「え、あ…」
千鶴の様子を見ていた夕陽が、言葉を続ける。
「女子と二人っきりで帰るのが恥ずかしいなら同行してやるぞ」
茶化しているように聞こえるが、北沢の事を傷つけず、千鶴を助太刀する言葉だ。
ここで「お願いします」と答えれば一件落着だし、千鶴も気まずい思いをしなくて済む。お喋りな北沢も飽きずに済む。
だけど。
――君と××になりたい
忘れかけていた夢が断片的に脳裏を過る。
「だ、大丈夫です…」
「そっか。気をつけて帰れよ。なんか変質者が出没するらしいから」
自転車置き場に寄り、自転車を押しながら二人は歩く。
北沢は徒歩。
「…北沢の家って、どっち方面?地元民、とか?」
「え?家?家ねぇ…あっちかな?多分ちぃちゃんの家の方角と近いかも」
(方角と近い…とは?)方向が近い、ではなくて?
「今夜は星が綺麗ですなぁ」
「星…」
星と云ってもここは埼玉でベッドタウン。星なんてあってもポツンポツンとしかない。
綺麗だと思うけど、息を止まるほどではない。
(星…星のランプ)
「北沢の家って、星のランプとか飾ってたりするの?」
「え?!ちぃちゃんエスパー?!あ、違う。あー、私じゃなくて、お姉ちゃんが飾っている」
君と××になりたいんだ
「お姉さん、いるんだ」
「うん。お兄ちゃんもいるよ、三姉弟」
(ここは、自分の兄妹の有無を言って合わせるべき…か?)
「俺は妹が一人、いる」
「うん、知ってる」
「え」
高校に入学してから、誰にも家族構成を教えていないのに、何故北沢が妹の存在を知っているのか。恐怖でしかない。
(え…どうするべき)
話題を変えよう。
「ずっと疑問だったんだけど、なんで俺に話しかけてくれるの…?」
(チョイス間違えた)
「それは愚問だよ。ちぃちゃんと友達になりたいからだよ。ただそれだけ」
君と友達になりたいんだ
「なんで友達になりたいの?俺より面白くて、優しい人とか沢山いるじゃん」
「友達は選べって言うじゃん。私は選んでるんだよ、自分の気持ちに従って。黒岩千鶴という地球人と友達になりたいって。ちぃちゃんがどんなヒトでも、私は楽しいよ」
「…今も楽しいの?」
「今も。一緒に帰れて、お喋りできてウキウキ上機嫌!」
ピースサインをし、声で判断するなら、きっと楽しいんだろう。
だけど、表情が解らない。哀しい事に。
千鶴は悩み、唸り、首を傾げ、一つの結果というか、決意をする。
「ん?ちぃちゃん急にどうしたの?!」
自転車を止め、リュックからルーズリーフを一枚取り出し、教科書を台にしてボールペンで走り書きをする。書き終わると北沢に渡す。
「これ、明日になったら読んで。それでこれからのこと決めて…」
「…わかった」
北沢はそっと折りたたまれたルーズリーフを受け取った。
「俺、ここ左に曲がるけど、北沢は?」
「え?あ、私は真っ直ぐ!じゃあまた明日ね!ちぃちゃん!」
大きく手を振り走っていく北沢を見て、千鶴は小さく手を振った。
また明日。
明日、北沢は声をかけてくれるのだろうか。
『この時僕は、彼女に贈った手紙にこう綴りました。
俺は北沢の顔が解らない。黒く塗りつぶされていて、どんな表情をしているか解らない。だから、察してあげることも出来ないし、不機嫌でも、泣いていることも、嬉しそうに笑っていても気づかない。一緒に笑ってあげられないかもしれない。
それでもいいなら、俺と友達になってください
もし受け入れられないなら、その時は諦めてください。
ごめんなさい』
どうしてこんな事を北沢にしたためたのか自分でも解らなかった。
信じる、とかではないけれど。何故か北沢は自分を試すようなことはしない気がした。
(どうして北沢なら大丈夫だと思えたんだろう。変なの)
自転車に跨り、漕ぎだす。
車一台が通れるだけの狭い道を走行する。
建物に挟まれているのに、街灯の一つもない。曲がり角にあるだけ。
男だけれど、夜にここを通るのはいつも怖かった。何か潜んでいそうで。
ふと、背後に気配を感じた。物凄く近くに、誰かが居た気がした。
ブレーキを握り、バッと振り向くが誰もいなかった。
「…考えすぎか」
夕陽が変な事いうから、肝が冷える。
「早く帰ろ…」
ペダルを踏み込もうと前方を見ると、先の街灯したに、ペストマスクをした「何か」がこちらを覗いていた。
怖すぎて、息が止まった。