王都へ
ついに、王都へ出発する日となった。
ミサに同行するのは護衛騎士のオーランドのみで、他は安全面を考慮しての留守番だ。
村と王都を行き来する往復の馬車と滞在中の宿泊先は、全てシュバルツ公爵家が担うことになった。
ミサは一日に一本だけある王都行きの辻馬車に乗ればよいと軽く考えていたが、誘拐や襲撃の危険性があるからと却下されてしまう。
迎えにやってきた公爵家の馬車は中がとても広く座席もゆったりで、クッションが驚くほど柔らかかった。 これなら半日かけて王都へ行ってもお尻が痛くなることはまずないだろうと、ミサは心の中で喜んだ。
ミサの向かい側には、オーランドが座っている。
二人が乗っている馬車の前後にはシュバルツ家から派遣された護衛たちが乗った馬車があり、周囲を物々しく警戒していた。
(私の張った結界魔法があるから、ホントは大丈夫なんだけどね……)
ミサの成長と共に、治癒魔法だけでなく結界魔法もかなり進化していた。
彼女が結界魔法を使おうと思ったきっかけは、ロイだ。
全くやる気のない彼の護衛に不安を感じたミサは、神殿で教わった結界魔法を独学で進化させ、自分の身に纏わせてみたのだ。
その効果は、村で酔っ払いに絡まれた時にバチっと弾くほど申し分ないものだった。
気を良くしたミサは、その後、村を囲むように張り巡らせることにも成功する。
結果、外から魔物の侵入を防ぐことができ、村の安全も格段に向上したのだった。
オーランドも引継ぎの時に結界の話は聞いているのだが、ミサを狙っている相手に対しわざと武威を示すことが大事なのだと言う。
敵の戦意を喪失させるとか、云々……とにかく、貴族間の駆け引きは大変なんだなとミサは思った。
◇
約十年ぶりの王都は、相変わらず都会だった。
街を行き交う女性たちが着ている服は色彩豊かで、デザインもおしゃれだ。
仕事着という名の、地味な紺色のワンピースを一年中着ているミサとは大違い。
しかし、前世の時から着飾ることに無頓着だった彼女にとっては、学生服のように毎日着る服に悩まずに済むので、むしろ好都合ではあったが。
今日着ている服は、数着ある仕事着の中でも比較的綺麗な物を孤児院の子供たちが選んでくれた。
◇
王都の中でも、かなり王城に近い場所にある立派な門の前で馬車が止まった。
この正門から遥か遠い場所に洋館があることが、かろうじて目視できる。ここが、オーランドの実家であるシュバルツ公爵家のタウンハウスだ。
ここの敷地だけでも相当なのに、領地にある本邸ならばどのくらいの規模になるのか、ミサには全く想像もつかない。
前世なら、東〇ドーム何個分って言ってるね……と思いながら正門を通り抜け、馬車の窓から手入れの行き届いた庭園を眺めていると、ようやく本館前に着いた。
オーランドのエスコートで馬車から降りる。
本当は今すぐ凝り固まった体をグッと伸ばしたいところだが、とてもそんなことができる雰囲気ではない。従僕や侍女たち同じ制服を着た大勢の男女が一斉に立ち並んでいる様は、なかなかの迫力だ。
集団の真ん中に、優しげな雰囲気をまとった壮年の男性とその傍らに美しい女性がいた。
「初めまして。私はシュバルツ家当主、リーランド・シュバルツと申します。こちらは、妻のエリーナでございます。この度は当家に聖女様をお迎えすることができ、大変光栄でございます」
濃いブロンドの髪を後ろに流し、オーランドと同じ綺麗な碧眼が真っすぐにミサを射抜く。
「シュバルツ公爵様、初めまして。私はミサと申します。平民ですので、私のことはミサとお呼びください。あと、私は聖女では……」
「フフフ……今回、国王陛下が正式に認定されると聞いております。それにしても、お噂通りの方ですね。ますます気に入りました」
リーランドは、オーランド似の凛々しい顔を破顔させる。
やっぱり、イケメンの父はイケメンだな……なんて思ったことは、もちろんミサだけの秘密だ。
「では、身内だけの時は『ミサさん』と呼ばせていただきます。私のことは『リーランド』いえ、気は早いが『お義父さま』でも……」
「父上!」
ミサの後ろで静かに控えていたはずのオーランドが、血相を変えて会話に割り込んできた。
村ではほとんど見かけないオーランドの焦った姿に、ミサは目を見張る。
じとりと睨み付けるような視線を送るオーランドと、気まずそうに目を逸らすリーランド。
そんな二人を見て、夫人が楽しそうに笑っている。
仲の良い家族の姿に、ミサはほっこりした。
「ふふふ……では、わたくしは娘だと思って『ミサちゃん』と呼ばせていただきますね。ミサちゃん、わたくしのことは『エリーナ』と呼んでくださいませ」
「はい。リーランド様、エリーナ様、よろしくお願いいたします」
「ミサ様、私の兄ガーランドは只今領地におりまして、後日改めてご挨拶させていただきます」
オーランドには、四つ上の兄がいる。
ミサが話を聞いている感じでは、こちらも兄弟仲は良さそうだ。
緊張しながらも どうにか挨拶を終えたミサは、ようやく肩の荷を下ろしたのだった。
◇
オーランドに案内され、滞在する部屋へ向かう。
屋敷の中は城と言ってもいいくらいの広さで、ミサ一人なら確実に迷子になりそうだ。
「ミサ様、先ほどは父が大変失礼しました」
隣を歩くオーランドが少し赤い顔で謝罪をしているが、何のことかわからないミサは首をかしげてしまった。
「えっと……リーランド様から失礼なことをされた記憶はないのですが……」
「自分のことを、その……『お義父さま』と呼べと」
「ああ、そのことですか。私は逆に、王弟様なのに気さくな方だと親近感を持ちましたよ。エリーナ様からも娘のように思っていただいて、嬉しかったですから」
「そう思っていただけたなら、良かったです。その……ミサ様が『嬉しかった』ということは、つまりそういう関係になっても良いということですか?」
「ははは……平民の私が公爵家の一員になるなんて、天地がひっくり返ったとしてもあり得ない話ですよね」
「天地がひっくり返っても……あり得ない」
オーランドの言葉を軽く笑い飛ばしたミサと、ミサの言葉にショックを受けるオーランド。
二人の前を歩いていた年配の侍女は、澄ました顔を維持させるのに必死だ。
案内されたのは、壁紙や絨毯・カーテンにいたるまでグリーン系統でまとめられた落ち着きのあるとても広い部屋。天蓋付きのベッドやソファーセットも置いてある、豪華な客室だった。
部屋の窓からは、綺麗な庭園を臨むことができる。
もう日は暮れてしまったが、所々に置かれたランタンの灯りで幻想的な景色となっていた。
(滞在中に、ぜひ庭を拝見させてもらおう!)
前世なら間違いなく入場料を取られるであろう立派な庭園を、一度も見ずに帰るのはもったいない。
ミサは『王都でやりたいことリスト』にさっそく書き加えたのだった。
シュバルツ家は、ミサ付きの侍女も用意していた。メリルという先ほどの女性で、彼女はオーランドの乳母をしていたこともあるベテランだ。
ミサは前世は庶民・現世でも平民なので、身の回りのことは一通りできる。
しかし、部屋を一歩出ると迷子になりそうな広い屋敷を案内をしてくれる人がいるのは大変有り難い。
今日は夜明け前に村を出発し夕方近くに王都へ到着したので、この日はミサがゆっくり休めるようにとオーランドが部屋で食事が取れるよう手配していた。
夕食を堪能したあと一人で湯浴みをしようとしたミサをメリルが許さず、頭の上からつま先まで丁寧に洗われてしまった。
小さい頃ならまだしも、大人になってから他人に体を洗われるなんて死ぬほど恥ずかしいのだが、なぜ貴族の方たちは平気なのだろうか?……ミサの素朴な疑問だ。
入浴後の香油マッサージは、長時間馬車に乗って強張っていた体がほぐれとても気持ちが良い。
危うく寝落ちしそうになるのを必死に堪えたミサは、用意されていた着心地の良いネグリジェとふかふかの寝具に、その夜はあっという間に眠りについたのだった。