治療院
「痛い! もう少し、優しくしてくれんか……」
「もう! 大の大人が何を言ってるんですか!!」
治療院の建物に入ると、消毒液の臭いと共にいつもの怒声が聞こえてきた。
声の主は、近所に住むスティーブン老人と治癒士のサラだ。
「こんにちは、スティーブンさん。今日はどこをケガされたんですか?」
「ああ、ミサちゃん聞いてくれよ……庭仕事をしていたら、剪定ばさみで手を切ってしまってね……ああ、痛い痛い」
「はい、処置は終わりましたので、スティーブンさんは即刻お帰りください」
話をしている彼を無視して、サラはさっさと帰宅を促す。
スティーブンは数年前に妻を亡くしてからずっと一人暮らしをしており、家に話し相手がいないのが寂しいのか、ほぼ毎日治療院へ顔を出す常連客ならぬ常連患者だ。
「スティーブンさん、今度お時間のある時に、子供たちへ庭木の手入れの仕方を教えてもらえませんか? 孤児院の庭の手入れを自分たちでできれば、庭も綺麗になりますから」
「そんなことならお安いご用だ! では、さっそく準備に取り掛かるとしよう」
あれだけ家に帰ることを渋っていたスティーブンがあっという間にいなくなると、治療の後片付けをしていたサラが大きなため息を吐いた。
「ミサちゃんは優しすぎるわ。大したケガではないのなら来てはダメだと言わないと、他の人の治療の邪魔になるもの……」
「サラちゃんの言う通り、私も他の患者さんがいたら帰ってもらっているわよ」
納得できないと言わんばかりに頬を膨らませているサラの前に、ミサは飴を差し出す。
「はい、疲れたときは甘いものを食べて休憩しましょう」
「やった! ありがとー、ミサちゃん大好き!」
「私も、サラちゃん大好き!」
甘い物を見た途端、上機嫌になる現金なサラをミサは微笑ましく眺める。
二人で楽しそうに抱き合っていると、じっとこちらを見つめるオーランドと目が合った。
サラも、同じように彼を見つめ返している。
「オーランド君も、せっかくだからお姉さんたちの輪に入る?」
「いいえ、私は結構です」
「なんなら、私の場所を譲ろうか?」
「……いいえ」
「今、一瞬迷ったよね? 遠慮しなくても、いいのよ?」
「サラ嬢がそこまで言われるのであれば、代わってください。人のご厚意は素直に受け取らなければ……ミサ様も、そう思われますよね?」
「全然、思いません!」
間髪入れず、ミサはオーランドへ突っ込んだ。
真顔で冗談を言ったり、他人の冗談を真に受けたり……世間知らずのお坊ちゃまの行動に、調子が狂わされてばかりのミサであった。
「ミサちゃんも別に減るものでもないんだから、少しくらい許してあげればいいのにね~」
二人を交互に眺めたあとつまらなさそうに呟いたサラは、治療院で治癒士として働く二十二歳。
彼女は五年前、幼なじみであるルイスの紹介でこの村にやってきた。
ミサは詳しい話は尋ねていないが、本人曰く、落ちぶれ男爵家の三女とのこと。
家のために二十も歳の離れた貴族の後妻として嫁がされそうになったサラは家出し、光属性持ちだったためミサと一緒に治療院で働くことになった。
超現実主義者のサラは、結婚に対し全く夢を持っていない。
「ミサちゃんは魔力量も多いから、あなたの光属性の力は別格なのよ。でも、私みたいに下位貴族の女が中途半端な光属性を持っていると、子供を産むための道具にされちゃうだけなのよね……」
いろんな属性の中でも光属性は治癒魔法や結界魔法が使えることで、この世界ではかなり重要視されている。
子供は両親から属性を受け継ぎやすいと言われているため、光属性を持たない男性貴族はそれを持つ女性を求める傾向にあるようだ。
ミサが幼い頃に誘拐されそうになったのも、サラが無理やり嫁がされそうになったのも、全て同じ理由と考えられる。
飴を食べ終えたサラは、ようやく落ち着いた。
「ねえ、来週からしばらくの間、王都へ滞在するって本当?」
「うん。以前から王都の神殿へ来るように要請は受けていたんだけど、多忙を理由にずっと断っていたんだ。でも今回、アレが来ちゃったから……」
「さすがに、国王陛下からのお招きは無視できないもんね。でも、貴族であっても、そうそう国王陛下へ謁見なんてできないのよ。やっぱり、ミサちゃんはすごいわ!」
サラはすごいと褒めてくれるが、ミサ自身は全然嬉しくない。
都会に憧れはあるが、それは人の話とお土産だけで十分なのだ。
ミサの希望は、ずっと田舎に引きこもっていること。これは、前世の暮らしでもあまり変わらないことだが。
「いつ戻れるのかわからないから、さっきのスティーブンさんの件をサラちゃんに頼みたいの。マーサ先生には話を通しておくから、日程の調整だけお願いできないかな?」
「わかったわ。スティーブンさんに治療の邪魔をされないお手伝いなら、いつでも喜んで! あっ、そういえば……」
サラは、ちらりとオーランドの方を見る。
「……村の人から要望が出てるのよ。自分たちもオーランド君に剣術を習いたいって。ほら、孤児院の子供たちが教えてもらっていることが、村中に広まっちゃったから」
先日の大会を観戦した孤児院の男の子の一人が、将来騎士になりたいと言い出した。
実は、前回のルイスのときにも同じような声は上がっていたのだが、「護衛騎士の仕事ではない」との理由で、そのときは騎士団から許可が下りなかった。
今回もダメ元でお伺いをたてたところ、ロイが副団長権限で各方面に手を回し許可をもぎ取ってきたのだ。
さっそく孤児院の庭で子供用の木刀を持った子供たちがオーランドから指導を受け、ミサも一緒に素振りの練習をした。
女の子たちも目を輝かせていたので、これから授業の一環として取り入れるのも良いかもしれないとマーサと話し合っている。
その様子を村の人に目撃され、あっという間に話が広まったようだ。
「う~ん、さすがに子供たち以外に指導するのは許可が下りないと思う。ただ、この間の剣術指導大会みたいに、その日限りの娯楽行事扱いなら大丈夫かな? どちらにせよ、私たちが王都から戻ってきてからまた考えましょう」
「そうね、まずは無事に王都訪問を乗り切ることが重要だもの」
サラが、さきほどとは違いキリっとした表情でオーランドを見据える。
「オーランド君、王都では護衛騎士としての役割をきちんと果たしてきてね。あなたの大事なミサ様が他所の貴族に拐かされないように、しっかり頼むわよ!」
「はい、サラ嬢。この剣に誓って、ミサ様には何人たりとも指一本触れさせません!」
「…………」
至って真剣なやり取りをしている二人を、ミサは唖然と見つめる。
先日のロイといい、今日のサラやオーランドまで……本当に、王都ってどれだけ危険な場所なのだろうかと、訪問前から戦々恐々としてしまうミサだった。