[回想] 運命の出会い(前編)
「……あっ、わかりました! オーランドさんの感情の中身が」
ミサがそう言ったとき、オーランドは激しく動揺した。
彼女に醜い心の内を知られてしまった……そう思ったのだ。
「お腹が空いていたから、機嫌が悪かったんですよ! オーランドさんも、さっき言ってましたよね?」
得意げに話すミサに本当のことを打ち明けようか迷ったが、今度こそ嫌われるかと思ったら、やはり口にすることはできなかった。
「昼食の献立がなにか、楽しみですね!」
無邪気に笑うミサに対し、後ろめたい気持ちになる。
レイからミサを守ろうとしたことは事実だが、それは彼の嫉妬心と独占欲からの行動だった。
遠慮なく彼女に近づこうとしてくるアイツが気に入らない……ただ、それだけの理由で相手に喧嘩を売ったのは、護衛騎士としてあるまじき行為だ。
オーランドはミサにそっと視線を向ける。
彼女は真剣に考え事をしているようだが、その内容が今日の昼食の献立の件であることは聞かずとも手に取るようにわかる。
仕事をしているときの、凛々しい表情のミサ。
笑ったり怒ったり泣いたり……感情表現が素直な自然体のミサ。
誰よりも一番近くでずっと見守っていきたい、積年の想いがオーランドの中で日に日に膨れ上がっていく。
それは、護衛騎士として……ではなく、一人の男としての感情だった。
◇
幼い頃から、オーランドにとってミサは特別な人だ。
オーランドが九歳の時、母エリーナが重い病に罹った。
主治医からは投薬やポーションでの完治は難しく、治癒魔法で五分五分の可能性だと言われたのだ。
母を神殿に連れて行き高額な御布施を支払って治癒魔法をかけてもらうこと、それは公爵家であれば至極簡単なことだった。
……父リーランドが『王弟』という立場でなければ。
「相手に、自分の弱みを知られてはいけない」
リーランドは弱みに付け込まれないように、足元を見られないように、常に気を付けて行動していた。
神殿は、貴族出身者の集まりだ。
エリーナの病気を治した見返りに、便宜を図れと言う者が出てくるかもしれない。
本人にその気はなくても、それを知った家族や親類がいつ出てくるとも限らない。
リーランドは情に厚く義理堅い人物で、家族をとても大切にしていた。
人としては尊敬すべき美点だが、貴族としてはそれが欠点となることもある。
受けた恩に報いるため、不本意な要求を呑んでしまうかもしれない。
幸い兄である国王陛下との仲は良好で政権も安定しているが、それを覆そうとする者に夫が利用されてしまうかもしれない……エリーナはそれを一番恐れていた。
そんなある日、エリーナは知人からある噂を聞く。
この王都から馬車で半日程度の場所にあるアルト村に治癒魔法の使い手がいて、まだ幼い少女にもかかわらず多くの人々を救っているというのだ。
しかも、少女は『聖女』と呼ばれているらしい。
噂を聞く限りでは、何とも胡散臭い話だった。
本物の聖女ならば、なぜ王都の神殿におらず田舎町にいるのか。
聖女を詐称する偽物かもしれない。
疑問は次々と思い浮かんだが、悩んだ末にエリーナはアルト村へ行くことを決める。彼女自身も藁にもすがる気持ちだったのかもしれない。
リーランドと長男のガーランドは反対したが、最後は彼女の意思を尊重した。
念のため裕福な商家の奥方と身分を偽り、事情を知るごく少数の家人だけを連れエリーナは村へ向かう。母が心配だったオーランドは、我が儘を言って一緒に付いていった。
これが、運命の出会いに繋がるとも知らずに……
◇
あと少しで村に到着というとき街道に大量の魔物が現れ、他の貴族やオーランドたちの乗った馬車・商人などが襲われた。
まだ真新しい村の治療院には大勢のケガ人が運び込まれていて、その中に、魔物からオーランドを庇い大ケガを負ったエリーナの姿もあった。
彼女の受けた傷は深く、まだ子供のオーランドから見ても到底助からないと理解できるものだった。
こんなことになるのなら、たとえ他の貴族に利用されようとも神殿で治療させたほうが良かったのでは?
自分さえ付いてこなければ、母は大ケガを負うこともなかったのでは?
後悔で涙がこぼれそうになるのを歯を食いしばって耐え、オーランドは母との残り少ない時間を過ごしていた。
少女はすぐにやってきたが、オーランドは諦めていた。
治療は貴族優先が当たり前。まさか、貴族の身分を隠したことが裏目に出るとは思ってもいなかった。
商人に扮しているエリーナの番になるのは一体いつなのか……おそらく、間に合わないだろうと。
少女はケガ人たちを素早く見て回り何かを確認していたが、真っ先にオーランドたちのところへやってきた。
(もしや、私たちが公爵家の人間だと知っているのか?)
「では、治療しますね」
オーランドの心の中の疑問をよそに、少女はすぐに治療に取り掛かった。
彼女の両手から光が溢れ、魔物から受けた傷がみるみるうちに消えて無くなっていく様を、オーランドは瞬きするのも忘れ見入っていた。
淡い水色の髪に、満月のような輝きを放つ金色の瞳を持つ少女。
噂通り『聖女』と呼ぶに相応しい神々しい姿だった。
完全に傷は消えたが、まだ少女は手をかざすことを止めない。
しばらくして虫の息だったエリーナの呼吸は落ち着き、真っ青だった顔に赤みが差す。ようやく生気が戻ってきたと同時に「よしっ!」と声が聞こえたのだ。
母は助かったのだと理解した途端、我慢していた涙が次々と溢れてきた。
「お母さんの体は全て治ったから、もう大丈夫だよ」
泣きじゃくるオーランドの頭を優しく撫でた少女は、次のケガ人のもとに向かった。