聖女様の治癒魔法
お昼の時間になったが、患者はあと一人残っている。
神官から何かを耳打ちされたグレドが「治療の前に、一度休憩を取った方が良い」とミサに告げていると、ふいに治癒室のドアが開き、キーファーと大勢の神官たちを引き連れたベルーゼが入ってきた。
急に部屋の人口密度が高くなり、圧迫感が半端ではない。
「患者があと一人と聞いて、まだ次期聖女様のお力を見ていない者たちを連れてきたのだが、見学させてもらってもいいだろうか?」
「中にこれだけ人がいますと、患者さんが緊張されたり、嫌がられたりするのではないかと……」
ベルーゼの申し出に、ミサは難色を示す。
この世界では重要視されていないようだが、病名やケガの種類も患者の個人情報だ。
大勢の人たちに知られるのは患者本人も嫌ではないかと、ミサは暗に告げた。
「では、患者が許可すればよろしいのか?」
「はい。ただし、相手が平民だからと言って強要することは……」
「心配無用。御布施はいらないと言えば、喜んで協力するだろう。特に彼ならば」
ベルーゼの口角が上がりニヤリと笑ったことに、ミサは気づかなかった。
「神殿長、おそれながら申し上げます。聖女様は、ここまで一度も休憩を取られておりません。どうか治療は、昼食後にお願いいたします」
「次期聖女様、グレドがあのように申しておりますが、どうされますか?」
「患者さんを待たせたくないので、すぐに治療します」
「聖女様! しかし、次の患者は……」
「グレド、次期聖女様がいいと仰っているのだ。おまえは余計な口を挟むな!」
「……申し訳ございません」
グレドは口を引き結ぶと、そのまま俯いた。
◇
見学希望者が多数のため、特別に貴族用の広い治療室で行うことになった。
ミサが再び最初の部屋に戻ると、もうすでに準備が整えられている。
患者も待機しているようで、遠巻きに神官たちが取り囲んでいる様子が見えた。
彼らの間を抜け患者に近づいたミサは、思わず目を見開く。
そこには、右腕は二の腕から、左足は膝下から失われている若い男性が力なくベッドに横たわっていた。傍らには、同年代の男性と少年も付き添っている。
ミサは、付き添いの彼らから話を聞くことにした。
「こんにちは。かなりひどいケガですが、何があったのでしょうか?」
「俺は、ギル。この国で冒険者をしている者だ。ケガ人は相棒のレイ。こいつはレイの弟のシン。俺たちは、半年ほど前から辺境伯領で見つかった迷宮に行っていたんだが……」
ギルの話によると、半年前から迷宮攻略をしていた三人は目当ての宝を手に入れ意気揚々と帰路についていたとき、突然魔物に襲われレイがひどいケガを負ってしまったとのこと。
手持ちのポーションで何とか命は助かり、街に戻ってきたのが一昨日。それから宝を換金して治療費を捻出し、今日ここへ治療にやってきたのだった。
「兄ちゃんは、俺を庇ってケガをしたんだ。だから……お願いします! 兄ちゃんのケガを治してください!!」
「さっき金はいらないと言われたが、レイの体を元通りにしてくれるのなら、きちんと金は払う! だから頼む!!」
「事情はわかりました。では、レイさんのケガを見せてもらいますね」
弟のシンが不安そうにミサを見つめている。
日焼けした肌にがっしりとした体躯で立派な一人前の冒険者に見えるが、おそらく年齢はミサよりも下なのだろう。
少し幼さの残るダークグレーの瞳を安心させたくて、ミサは大丈夫だよと微笑んだ。
「……あんたに、俺のケガは治せるのか?」
ケガの状況を確認していると、ずっと天井を見つめたままだったレイがぽつりと呟いた。
「あんただけ、他の神官と着ている服が違う。治療に金はいらないと言われたが、それは、あんたがまだ見習いだからか?」
「私は見習いではありませんし、この神殿の神官でもありません。ですが、治療はきちんとさせていただきますよ」
「本当か? 信じていいのか?」
シンと同じダークグレーの瞳が、真っすぐにミサを射抜く。
それに目を逸らさず、ミサは大きく頷いた。
腕と足の同時再生はかなりの魔力を消費するため、ミサは目を閉じ意識を集中させる。
一度深呼吸をすると、さっそく治療に取り掛かった。
(腕と足以外にも、気になる箇所があるんだよね……)
レイの体に両手をかざし一気に魔力を押し出すと、手のひらから光が溢れレイの体を幕のように覆っていく。
全体に行き渡ったのを確認すると、ミサは『綺麗に治れ!!』と念を送った。
「おい、嘘だろ……」
「……信じられない」
「ああ、神よ……私は奇跡を目撃しております」
誰とも知れぬ呟きを発端として、ざわざわと周囲が騒がしくなってきた頃、治療は終わった。
「それでは、ゆっくり起き上がってください」
レイは、しっかりと両手を使って起き上がる。
目に涙をいっぱい溜めたシンが勢いよくレイに抱きつき、ギルもそれに続く。
「体に異常がないようなら、立ち上がってください」
いつまでも抱きついている二人の頭をポンポンと軽く叩いたレイは、支えられながら立ち上がる。
特にふらつきもなく自分の足でしっかりと立っているレイに、問題は見られない。
「レイさん……目はいかがですか?」
「あんたは気づいていたのか、俺の左目がほとんど見えていないことに……」
「ええ、左目だけ焦点が合っていませんでしたからね」
レイがミサを見据えた時、どこか違和感を覚えた。
だから、注意深く観察し気づくことができたのだ。
彼らの信頼にこたえることができたミサは安堵すると、ホッと息を吐く。
抱き合って喜んでいる三人をニコニコしながら眺めていたら、目の前にスッとポーション瓶が差し出された。
「キーファー様……」
「はい、これはミサへの差し入れ。さすがの君でも、そろそろ魔力が厳しいでしょう?」
たしかに倒れるまではいかないが、貧血を起こした時のように多少くらくらしている。
栓を開け一応中身を確認したオーランドから受け取ると、ミサは一気に飲み干す。
ちょうど喉も渇いており、美味しく飲むことができた。
「ありがとうございます、キーファー様」
「いやいや、こちらこそ……ミサに大感謝だよ。本当にありがとう!」
盛大にお礼を言われたミサだが、特に感謝されるようなことは何もしていない。
「今の若い神官たちはすぐに己の現状に満足してしまって、日々の鍛錬を怠ってしまうんだ。それが残念でね……ミサから少し刺激を与えてもらおうと、ベルーゼ殿の行動をあえて止めなかったんだ」
首をかしげたミサから視線を動かし、周囲で活発に意見を交わしている神官たちへキーファーは優しいまなざしを向ける。
「そのせいで、ミサに負担をかけてしまったことを大変申し訳なく思っている」
「負担だなんて……キーファー様のお役に立てたのであれば、本望です」
幼い平民の自分を自ら教え導き、孤児院へ帰りたいという望みまで叶えてくれたキーファーに、少しでも恩返しができたのであれば嬉しいとミサは思う。
「ただ、少し刺激が強すぎたかもしれないね。この様子だと、騎士団に続き神殿にもできてしまいそうだ……」
「あの、キーファー様。何ができる……」
質問しようとしたミサの前に、ベルーゼが現れる。
「……本日はご苦労であった。私は仕事があるので、これで失礼する」
見るからに不満そうな表情で不機嫌な様を隠しもしていない彼は、さっさと踵を返すと部屋を出ていく。
隣にいたグレドもミサに声をかけようとしたが、ベルーゼに呼ばれたようで、会釈だけすると足早に行ってしまった。 残っていた神官たちも、ぞろぞろとあとに続く。
周りに促されたキーファーは「ミサ、またね!」と言い残し去っていき、部屋にはミサとオーランドだけが残される。
「……では、ミサ様、我々も帰りましょうか?」
「はい。お腹が空いたので、早くご飯が食べたいです」
ミサがお腹を押さえながら言うと、オーランドが吹き出す。
「先ほど、お菓子を召し上がられたばかりなのに……でも、実は私もです」
「残っていたクッキーを、持って帰りたかったな……」
紅茶と一緒にお茶菓子は食べたが、とっくの昔に消化されていてミサの胃の中はからっぽだ。
自分の願望を口にすると、反応するようにお腹がグーと大きな音を立てた。