前編
気晴らしに、短編を書いてみました。
ひらり、ひらり。
薄桃色の花弁が、宙を舞う。
桜並木。
見上げれば、蒼空にポッカリと薄桃の雲が浮かんでいるかのよう。
「……何、ぼんやりしてんだよ。沙羅」
ボカンと、頭に衝撃が走った。
痛みで涙目になりつつ、振り返る。
「っつ……。殴んないでよ、樹」
樹は私と同じ年で、それこそ生まれた時からずっと一緒に育って来た男だ。
「なら、手を動かせ。とっととノルマをこなさないと、評価に響くぞ」
「そんなこと、言われなくても分かってるわよ」
樹をひと睨みしつつ呟いてから、種まきを再開した。
……疲れた。
体を伸ばしつつ、帰路に着く。
途中、村で唯一の店に立ち寄った。
あまり大きくない店には、食材から日用品まで所狭しと並んでいる。
その中から幾つか日用品を手に取って、カウンターに置いた。
「切符三枚」
財布から配給切符を三枚出して渡し、代わりに商品を受け取って店を出る。
そのまま、今度は食堂に向かった。
街の殆どの人が利用するから混み合っているせいで、いつも混み合っている。
人の波を掻き分けてプレートを取ると、適当に空いてる席で食べた。
そして、今度こそ家に帰る。
三畳一間の狭い、部屋。
買ってきたばかりの日用品を適当に置いて、布団の上にゴロリと横になった。
「沙羅ー?帰って来てるの?」
ドンドン、と扉を叩く音と共に聞き慣れた声が聞こえて来る。
「結衣、そんなに怒鳴らなくても聞こえるって」
扉を開けた先には、思った通りの女がいた。
私より二つ年上だけど、可愛らしい顔立ちだからか幼く見える。
「あ、ごめんごめん。……沙羅、一緒にお風呂に行かない?」
「はいはい。支度するから、ちょっと待ってて」
それからタオルと着替えを持って、結衣と共に大浴場に向かった。
「……最近帰りが遅いみたいだけど、運命の人が見つかったの?」
一瞬、思考が停止する。
お風呂でぼんやりとした頭には、結衣の言葉はすぐに入ってこなかった。
「……単に、ノルマが終わらなくて遅くなっただけだよ」
「そっかー……。まあ、そうだよね。沙羅には樹くんがいるし」
「樹は、そんなんじゃないって」
「えぇ?でも沙羅と樹くん、いつも一緒にいない?」
「単に同じ歳で、一緒にいる時間が多いだけ」
「……ま、そういうことにしておくよ。それにしても、羨ましいなあ。私にも、早く運命の人が現れないかなあ」
樹との関係を否定すれば否定するほど深みに嵌る気がして、否定することを諦めた。
「まだ早いんじゃない?……結衣、十八でしょ」
「もう、十八だよ。今年中には相手を見つけないと……いつ、終わりが来るか分からないでしょう?」
結衣は笑って言っていたけれども、その言葉は私の心を的確に抉る。
……そうか、もう春か。
昼間に桜を見たけれども、結衣の言葉で急に実感が湧いた。
「結衣なら、すぐに見つかるよ」
心にもないことを言って、微笑む。
ちゃんと笑えているのか、自分でも分からない。
「そっかなあ?そうだと良いな」
けれども結衣はそれに気がつくことなく、柔らかく微笑んでいた。
風呂を上がって、暫く自室でのんびりとする。
そして村が寝静まった頃に、部屋を抜け出して村外れまで走った。
この村は、前後左右山に囲まれている。
その内の一つの山の麓で、足を止めた。
夜の山は、怖い。
村も電気が消されているから真っ暗だけれども、山は闇そのものだ。
近づけば村の中と変わらないけれども、遠目には真っ暗なシルエットが圧倒的な存在感を放っていた。
そのせいか、夜に景色を眺めると閉塞感を強く感じる。
まるで、牢獄のようだとすら。
実際、この村は牢獄のようなものかもしれないが。
木々の間を、進んでいく。
何度も来たことがあるから、足取りに迷いはない。
目印を見つけ、置いてある本を幾つか手に取ってから更に先に進む。
そうして辿り着いた水場で、腰を下ろす。
持ってきた火種で小枝に火をつけ、焚き火を作った。
それから、やっと本を読み始める。
……ああ、楽しい。
好きなだけ、本を読めたら良いのに。
そんなことを思いながら夢中になって本を読んでいると、背後から物音が聞こえてきた。
……誰か、来たのか。それとも、動物が寄ってきたのか。
どちらかまでは分からないけれども、すぐに息を殺して静かにその場を離れる。
けれども、現れた人物を目にしてすぐに警戒体勢を解いた。
「やっぱり、今日も来ていたか」
「それはこっちの台詞だよ、樹」
「俺は、お前がここに来てるかなと思って来たの。別に、本……だっけ?そんなもんに、興味はねえよ」
「なら、私の邪魔はしないでよね」
さっさと元いた場所に戻り、読みかけの本を再び手に取る。
樹は本当に興味がないのか、私の横に腰を下ろして静かにしていた。
「……そんなの、読めたからって何になるんだよ」
「面白いよ。外の世界のこととか、色んなことを知ることができる。……樹も読めば良いのに」
「ごめんだね。字が読めたからって、何になるんだ?俺たちは日々のノルマをこなせば、それで生活ができる。むしろ、ノルマをこなすのに不要な知識だろ」
「そんなことないよ。知ったことは、きっと無駄にはならない。……漫画?だっけ。絵付きの本から読み始めると、分かり易いからオススメ」
「そのやる気と集中力、日中にも活かせば良いのにな……」
「最低限、やらなきゃいけないことをやっていたら、それで良いでしょ」
「まあ、そうだけどさ……」
ポチャン、と水に何かが落ちる音がした。
どうやら、樹が石を投げたようだ。
「……ねえ、樹。外の世界って、本当に死の世界なのかな?」
私たちが、生まれた頃から聞かされる話。
村の外……山を越えた先には、昔、村と同じように多くの人が住んでいたらしい。
けれども、皆、死んだ。
死んで、外の世界は死の世界になってしまったらしい。
村は聖なる山に守られているおかげで、無事だったそうだ。
それでも村の外に出てしまうと、守りが届かなくなるらしくて、すぐに死んでしまうらしい。
「そうなんだろ。村長がそう言うんだから」
「村長は、外の世界を見てきたのかな?」
「外に出たら、村長でも死ぬだろう」
「……じゃあ、なんで村長は外の世界が死の世界だって知ってるんだろう?」
「さあな。村長は、長生きだから。俺たちが知らないことも、きっと多く知っているんだろう」
「……そうなのかなあ……」
一冊読み終えて、次の本を手に取る。
それは、樹に勧めた漫画という絵付きの本だった。
内容は、高校生?という役職にある女の子が、高校に行く話。
どうやら高校は、皆が同じ服を着て、本を読む場所らしい。
絵の中には色んな道具が出てきていて、それらが何なのかはよく分からない。
けれども……こんな凄いものが沢山ある外の世界が、何故、死の世界になってしまったのだろうか。
「何で、外の世界って死の世界になっちゃったんだろうね。戦争とかいう人と人の殺し合いがあったのかな。それとも、厄介な流行り病が発生したのかな」
「さあ、な」
「……樹は、知りたくないの?」
「別に」
「私は知りたいよ。外の世界が、どうなってるのか。本当に、死の世界なの?何で死の世界になったの?今も、死の世界なの?知って、外の世界に行きたいよ。ううん、知るために外の世界に出たい」
「知るために外に出たいって……それで死の世界だったら、どうするんだよ?!お前、死ぬんだぞ?ここで平和に暮らしてた方が良いじゃんか」
「変わらないよ!ここにいたって、私たちは大人になれない。いつ来るか分からない廃棄の日に怯えながら、与えられたノルマをただこなして暮らすなんて……そんなの死んでるのと同じだよ。樹は、良いの?樹だって、遅くともあと四年で廃棄されるんだよ?」
私たちは、大人になれない。
二十歳になる歳に、死ぬ。ううん、殺される。
大半の村人は、そう。
大人になれるのは、一部の偉い人たちとその家族だけ。
村が山に囲まれているから、土地には限りがある。
食糧を生産するための土地も、人が住むための土地も。
だから新たな世代に譲るために、大人になる歳に殺される。
村を導くための知恵を受け継ぐ、張譲人と呼ばれる特定の一族以外は、皆。
それなのに、何故か皆は子どもを残すことを望む。
私は、それが理解できない。
子どもを産めば、乳離れをするタイミングで必ず親は殺される。
人口が増えた分、減らさなければならないから。
子どもが生まれたタイミングによっては、廃棄の日は早まると言うのに。
それでも、この異性との間に子どもができるのなら、死んでも良い。
だから、子どもを作る相手は運命の人。
……そんな相手に出会えることが、幸せなのだと人は言う。
……馬鹿馬鹿しい。
そんなラブロマンスのような甘い物語で包んでも、最期は死ぬということに変わりないのに。
何で、誰も諦められるのだろう。
何で、誰も抗わないのだろう。
「それは……」
私は、怖い。
迫り来る、死が。
「私は、死にたくないよ……っ!死んだように生きたくもないよ。生きて、生き抜きたいんだよ……」
溢れた感情が、涙となって頬を伝った。
けれども、樹はただ拳を握り締めて口を閉ざしていた。