06話 リュウ vs ミュッセ
ギルド本部正面広間にて、リュウとミュッセは向かい合って対峙していた。
あたりには、どこからか噂を聞きつけたのか、リュウたちをぐるっと囲むようにギャラリーが形成されている。
「おいおいEランクの新人が本当にあのミュッセに挑むのかよ、死ぬぞ」
「公開処刑だな、かわいそうに」
「ミュッセー! 手加減してやれよー!」
そんな見世物を楽しむために集まってきた中に、一人リーナだけは真剣な表情で手を重ね合わせ祈るようにリュウのことを見つめている。
そんな心配そうな顔をするな、とリュウは笑って視線だけリーナに投げかけた。
すると正面から、痺れを切らしたようにミュッセが組んでいた腕を解いた。
「そろそろいい? 今なら謝れば許してあげるけど」
「あぁ、いつでもいいぞ。勝負の条件はどうする?」
「ふん。あくまでやる気なのね。いいわ、けちょんけちょんにしてあげる。勝負は相手に参ったって言わせれば勝ちね」
わかった、とリュウは頷く。
広場の中央からお互い一歩、二歩と足を進め、十歩目のところで動きを止めた。
振り返れば、ミュッセと目が合う。
見つめ合う視線の先、不意に一枚の木の葉が舞い散り、二人の視線は途切れる。
それが合図だった。
ミュッセは勢いよく石畳の地面を蹴り上げると、一気に開いた距離を詰めた。
その勢いに乗ったまま、腰に下げた鞘からショートソードを抜刀する。
錆一つない銀色の刀身は、太陽の光を反射してまるで光を纏っているかのようだ。
そのままミュッセの剣は一直線にリュウの首へと向かい、横薙ぎにしようとする。
おそらくミュッセはリュウの首元に剣身を突きつけ、参ったと言わせるつもりなのだろう。
――なめられたものだ。
リュウは心の中でそう呟くと同時、右手の人差し指を一本立て、剣と首元の間に突き出す。
突き出された指を見て、驚いた表情を見せるミュッセだったが、既にその勢いは止めることができず、このまま行けばリュウの指は切断されてしまう。
その距離は一瞬で縮み、ついにリュウの指とミュッセの剣が接触し――
リュウは指一本で、その剣を受け止めていた。
一瞬の静寂。
その瞬間、まるで世界が止まったかのようにミュッセは「なっ……」と驚いた表情で固まった。始まる前まであれほど騒がしかったギャラリーも、ミュッセの剣が指一本で止められていることに絶句する。
最初に意識を取り戻したのは、ミュッセだった。
ミュッセはすぐに地面を蹴り、リュウとの距離を取る。
「あり、えない……アタシの一撃が止められるなんて……それも、素手で……」
自身の手元に目を落とすミュッセだったが、その先にあるのは紛れもなく切れ味鋭い剣だ。
だが、間違いなくそれはリュウに止められた。
何の加護も持たないはずのただの人間に。
ショックを受けたままのミュッセに、リュウは言い放つ。
「殺す気で来い。お前の剣では、俺に傷一つつけられない」
その一言にミュッセの表情が変わる。
それはただの模擬戦から、命のかかった真剣な戦闘への意識の切り替わりだった。
「……いいわ。どうやらアンタはただのEランクってわけじゃなさそうだし、アタシも本気でいくッ!」
そう宣言したミュッセの瞳は鋭くリュウのことを捉えている。それはあるいは、ミュッセの持つ鋭い剣よりもなおプレッシャーを放っていた。
悪くない、さすがはAランクというだけのことはある。リュウはその重圧を受けて、ミュッセのことをそう評した。
ミュッセは指先で剣をなぞるようにつぶやく。
「逆巻く海、轟く雷鳴、閉ざす光芒
空は翳り、地は嘆く
朽ちゆく者に安寧を、荒ぶ者に粛清を
起きなさいッ! 『清水乙女』」
瞬間、ミュッセの銀色の刀身が美しい蒼へと色付いていく。
まるで海が刀の形をしているような剣。
周囲の誰かが、思わず息を飲んだ。
さっきまでの剣とはまるで存在感が違う。広場そのものを飲み込むようなその圧迫感に息を忘れてしまいそうになる。
「アタシの加護は『水刃の加護』、剣と水の魔法を融合させることができる。いくわよ……っ! 『水牢』」
ミュッセが地面に剣を突き立てると、そこから五本の鉤爪のようにリュウの方へと地を這う水が迫ってくる。
それはリュウの周りを正五角形に囲むと、その頂点から水柱が天へ向かって伸びた。
「ほう、これは……」
「えぇ、それはただの水じゃない。高速で振動する水の刃よ」
その水柱の一本に舞い散る木の葉が触れた瞬間、それは跡形もなく粉々に砕け散る。
「これでもう、アンタはそこから逃げられない」
「もともと逃げるつもりもないがな」
「減らず口を……ッ!」
ミュッセは最初の突進のときと同じように地面を蹴り、凄まじい勢いでリュウに迫る。先刻と違うのは、その青く染まった剣だ。
水柱に囚われたままのリュウに向かって、その刃を振り下ろす。
リュウは先ほどと同じように、今度は手を開いてそれを受け止め、剣を掴む。
その瞬間。
――掴んだはずの剣が、水となってリュウの手をすり抜けた。
この戦いではじめてリュウは驚きに目を開いた。
ミュッセはそれを見て、満足げに笑う。
「『水影刃』。勝った……ッ!」
どうやらそれは剣を一瞬で水に変換し、さらに水を一瞬で剣に変換する技のようだった。
当然、水は掴むことができず、それは防ぐことのできない絶対の一太刀だ。
躱す以外に方法はないが、今のリュウは水柱で逃げることもできない。
ミュッセの必勝の形。
その剣が、リュウの体を切り裂く。
――ことはなかった。
「そ、んな……ッ!」
ミュッセの技で剣に戻って放たれた一太刀は、確かにリュウの胴体を捉えた。
だが、ミュッセの剣はリュウの体を切り裂くことはなく、逆に折れてしまった。
驚きに距離を取ることもなく、その場に膝から崩れ落ちるミュッセ。
そんなミュッセにリュウは言葉を掛ける。
「これで負けを認めたか?」
「っ……! アタシはまだ、負けてなんか……っ!」
刃が折られ、なお負けを認めないミュッセの意気込みにリュウは口元を綻ばせる。
それは自分の訓練時代と重なって見えたからだ。負けを認めず、常に高みを目指す姿勢は、いつかその人を強くする。
だが、この場ではミュッセに負けを認めさせる必要がある。
リュウは右手をミュッセの顔を覆うように突き出した。
「な、なにを……っ?」
リュウはぼそりとつぶやく。
「『竜爪』」
言葉と同時、リュウの体の中に眠る竜の力が右手へと宿り、それはあたかも本物の竜の爪のように変化していく。
地面に膝をついたままのミュッセは、その爪の重圧で手足をぴくりとも動かせない。それは手足だけでなく、視線すらも拘束する。
一歩動けば、粉々に引き裂かれる。そんな戦慄が彼女に走っているのだろう。
ミュッセの体は、その恐怖により息をするのも忘れて完全に硬直してしまっている。
これ以上は危険だと判断し、リュウは竜爪を解除した。
それはまさに刹那の時間。
周囲から見ている人間には、竜の爪が形成されたこともわからない。対峙しているものだけが、まばたきよりも短い時間それを見ていた。
竜爪の重圧から解放された途端、ミュッセの頬を冷や汗が流れる。
「ア、アタシの負けよ……」
その一瞬で力の差を感じ取ったのだろう。
ミュッセはまだ茫然自失としたまま、それだけを絞り出した。
それを見た周囲からは驚きの声が漏れる。
「オ、オイ。今、ミュッセが負けを認めるって......」
「はぁ!? 何でだよ。あの新人が右手をかざしただけなのに何で……?」
「けど、ミュッセの最初の一撃も素手で受け止めてたし、もしかして本当はあの新人すごいんじゃ」
ざわつくギャラリーの中、一人泣きそうになりながらリーナがリュウを見ていた。
その顔には笑みが浮かべられていたが、それは喜びというよりもリュウが傷を負わなかったことに対する安堵の顔だ。
止まぬ戸惑いの中、ミュッセだけが地面に倒れ込んだまま、リュウに問いかけた。
「アンタ、竜族だったの……?」
「いや違う。俺は純粋な人間だ」
「けど、さっきのは……。いいえ、負けた方があれこれ言ってもしかたないわね。ギルドは力が絶対だもの。……一つだけ聞かせて、アンタの名前」
リュウが見せた竜の力を問いかけようとするが、ミュッセは首を振って自分を諫め、その代わりに名前を尋ねる。
「リュウだ。リュウ・ハインケル」
「リュウ・ハインケル……? ……そう、そうだったの。アンタが……。どおりで……」
ミュッセはその名を聞いて、一瞬だけ驚いたような表情を浮かべ、それから得心がいったという様子を見せた。
どうやらリュウの名前を知っていたようだ。
ともあれ、これで完全決着だ。
リュウがその場を後にしようとしたそのとき、一言だけ、ミュッセはこぼした。
「……『神に捨てられし子』」
その言葉は喧騒によってかき消され、リュウ以外には届かなかった。
ど、どこかで見たような詠唱が・・・!