03話 初夜
奴隷商の店を出たリュウとリーナは、今日の宿に来ていた。
リーナを選んだ後、リュウはすぐに奴隷商に金貨を払い、契約主を奴隷商から自分へと移し替えた。
手と手を重ね合い、お互いの体の中を走るマナ、つまり魔法の源を交換することで契約は完了する。
体の中を他人のマナが流れる感覚に慣れていないのか、リーナは「ん……っ」と声を漏らしていた。
そうして契約を終え、店を出る頃にはすっかり陽も落ちてしまっていた。
本格的にギルドをはじめるのは明日からでいいだろうというリュウの判断で、今は宿の広間で、リュウとリーナは料理を挟んで座っているところだ。
リーナは目の前に積まれた山盛りの料理を前に目を輝かせている。
「わたし、こんなたくさんの料理を見るのはじめてです。本当にこれを食べてもいいんですか……?」
じゅるっと音が聞こえてきそうなほど、リーナは期待を膨らませている。
リュウがそれに頷き返すと、リーナは手元にあったナイフとフォークを掴んで、勢いよく食べ始めた。
そんなリーナの様子を見て、リュウは笑っていた。
「リーナは年はいくつだ?」
「わたしは今年で十六です。騎士様はおいくつでしょうか?」
「俺は十八だ」
リュウの歳を聞いたリーナは、「……十八で知らないなんて……そんなことあるの……?」などと小さく自問自答していた。
リュウは良い機会だと思い、互いのことを知るためにさらに尋ねる。
「リーナは奴隷になる前は何をやってたんだ?」
「わたしは幼い頃親に捨てられて、それからはずっと森に潜って食べられるものを探したり、薬草を採ったりしていました。いつ飢えても、いつ魔獣に襲われて死んでもおかしくない。そんな最低な毎日でした。……だから、こんな美味しい料理ははじめてです!」
さらっと暗い過去を語るリーナに、リュウは顔をしかめた。
この国で獣人の位は決して高いものとは言えない。獣人というだけで、就ける職に制限があったり、賃金に格差があったりなどは日常茶飯事だ。法としてそれを規制するようなものはなく、各組織の裁量に任せられているというのが現状だ。
リーナの境遇も辛いものではあるが、決して珍しいものではないのだろう。
リュウはこれまで騎士団として、主に魔獣の討伐にあたってきた。それがこの国に住むすべての人々を守ることだだと信じて。
来る日も来る日も魔獣と向き合ってきたその日々が間違っていたとは思えない。
だが、魔獣以外に脅かされる人も存在しているということを、今更ながらリュウは実感していた。
「そういえば、俺からも聞いてなかったな。リーナはどうして危険を冒してまで、人間の子どもを助けたんだ? 色々と思うところもあったんじゃないのか」
今のこの国は決して獣人に優しい国とは言えない。
それでもリーナが、車に轢かれそうな人間の子を助けた理由は気になった。騎士であるリュウならともかく。
リーナは勢いよく動かしていた手を止め、考えるように顎に指を当てた。
「確かにひどいこともいっぱいされましたし、ひどいこともいっぱい言われました。けど、だから見捨てて良いってことにはならないというか……。うーん、あらためて聞かれると難しいですね」
探り探り言葉を紡ぎながら、えへへと照れを隠すように笑うリーナ。
そんなリーナを見て、リュウは何故か心が熱くなっていた。その理由をリュウは上手く言語化できなかったが、何となくそこにリュウが理想とする世界があるような、そんな気がしていた。
リュウはふっと微笑み、つぶやいた。
「やっぱりリーナを選んで良かった」
「き、騎士様……、どうしたんですか? 急に……」
独り言としてつぶやいたつもりだったが、獣人のリーナは人間よりも耳が良いらしく、それを聞き漏らさずにいた。その証拠に、リーナの銀色の獣耳がぴくぴくと動いている。
居心地が悪くなったリュウは、咄嗟に別の方向へと話題を向ける。
「そういえば、その騎士様ってのはやめてくれ。俺はもう騎士じゃないからな」
「なら、何とお呼びすれば?」
「リュウ、でいい」
「そんな恐れ多いです!」
ぶんぶんと手を振るリーナ。
リュウが困ったように頭を掻くと、リーナも意を決して上目遣いでおずおずとつぶやいた。
「では……、マスターとお呼びしても、いいですか」
「まだ固いが……。まあ、騎士様よりはマシか」
そうしてぎこちないながらも呼び方が定まったところで、リュウとリーナはあらためて見つめ合った。
「これからよろしくな、リーナ」
「はい、マスター」
* * * * * * * * * *
食事を終えたリュウとリーナは寝室へと戻っていた。
部屋へ入るなり、明日に向けた準備を淡々と行うリュウとは対照的に、リーナは扉の前で手を合わせてもじもじしている。
そのまましばらくの時間が流れた後、リーナは意を決したように口を開いた。
「……そ、そのマスター。同じ部屋ということは、つまり、そういうこと……ですか?」
剣の手入れをしながらリュウは横目にその歯切れの悪い姿を見る。
そういうこと、とはつまりどういうことだろうと一瞬考えた後、すぐに答えに行き着く。
――あぁ、金を節約して同じ部屋にしたことを言っているのか。節約は基本だからな。
「そういうことだ」
堂々と答えるリュウに、リーナの頬がかぁーっと赤く染まっていく。
リーナは俯きながら、より一層体をくねらせる。
「その、わたしこういうことははじめてで……」
「そういえば俺もはじめてだな」
騎士団に所属していた頃は、基本的に騎士団の宿舎で寝泊りしていた。また、遠征のときも野営や遠征先の騎士団保有の宿舎に泊まることがほとんどだ。今日のような一般的な宿に泊まることははじめてだった。
その答えを聞いたリーナは、「やっぱりはじめてなんだ……えへへ……」と妙な笑みを浮かべていた。
その後も何故か微妙に噛み合わない会話が続き、
「マスター、この部屋の壁薄いですよね。その、音とか大丈夫……ですか?」
「俺は隣で剣の打ち合いがあっても、まったく気にならないぞ(戦場で休めるときに休むのは基本だからな)」
「大胆すぎます!」
まだまだ噛み合わない会話は続く。
「わたしまだちゃんと水浴びできていなくて……」
「気にするな、むしろそういう追い詰められた状況にこそ自分の殻を破ることができるものだ」
「いやらしい……」
そんなやりとりをしていると、リュウもすべての準備を終え、満足げに人心地着いた。扉の前でずっと立っているリーナに「そろそろ寝るか」と声をかけ、蝋の明かりを消す。
リュウが布団に入ると、しばらくして衣ずれの音が聞こえた。
リーナは一歩ずつベッドへと近づいていき。
自分にあてがわれたベッドではなくリュウの眠るベッドへと潜り込んだ。
リュウは背中を掴む小さな手と首にあたる体温の高い獣耳に困惑する。
――リーナはなぜ二つベッドがあるのに、わざわざ俺のベッドに入ってきたのだろうか。
だが、数々の修羅場をくぐってきたリュウはすぐに思考を整理し答えを導き出す。
――おそらく獣人の中では、俺の知らないそういう文化があるのだろう。異文化に口を出すのはよくないな。
そう結論付けたリュウは、特に何も言うことなくそのまま眠りに落ちるのだった。
翌朝、何故か寝不足気味のリーナは、寝起きのせいかぷんぷんと不機嫌さをあらわにしていた。