02話 はじめての奴隷
城を後にしたリュウはとある場所へと向かっていた。
目的地へと向かう道すがら、リュウはふと周囲を見渡す。
舗装の行き届いた道。見るからに値が張りそうな品物が陳列された店。煌びやかな装飾を身につけ行き交う人々。
リュウが歩いているのは、貴族街だ。そこを歩きながら、リュウはあの事件のことを思い出していた。騎士団を追放されるきっかけとなった苦々しい事件を。
そんな想いが表情に出ていたのだろうか。さっきからリュウとすれ違う人々はその顔を見ると、怯えたようにそそくさと去っていってしまう。
居心地の悪さを覚えたリュウは足早にそこを通り抜けた。
貴族街を出たリュウは下町のとある店へと入った。
扉を開けるとそこは別世界のように空気が淀んでいて、普通の人間なら顔をしかめたくなるだろう。だが、リュウは顔色一つ変えることなく店内へと踏み入った。
それをすぐに察知したのか、中から薄気味悪い笑みを浮かべた老人が近付いてくる。
「これはこれは。珍しいお客様が来ましたな。騎士殿、いえ元騎士殿がこの奴隷商に何用ですかな」
しゃがれた声の老人の言う通り、ここは奴隷を扱う店だ。
それにしても耳の早いことだ、とリュウは内心驚いていた。リュウが騎士団からの除名を言い渡されたのはつい先刻。一体それをどこで聞きつけたやら。
だが、その疑問は口に出さずに、リュウは代わりにここへ来た目的を告げる。
「ギルドをつくりたい。そのために仲間を集めに来た」
「ほう、ギルドと。ちなみにギルドをつくる理由をお伺いしても?」
奴隷商はそのくぐもった声と共に、値踏みするような目を向けてくる。
「構わない。俺は騎士団を追放されたが、それでもこの剣は国に捧げると誓った。だから俺なりに人々を助けるためにギルドをつくるつもりだ」
「……噂に違わぬお人のご様子。それでは、しばし中にてお待ちを」
奴隷商が進めるままに中へと足を進め、小部屋へと通された。
少し準備があると出ていった奴隷商を待つ間、リュウはギルドについて考える。
ギルドとは、王政権下から独立した組合である。その多くは市民から寄せられる相談や依頼を受け、それをこなす代わりに報酬を得る。依頼の種類も様々で、人探しや物資の運搬から魔獣の討伐まで多岐にわたる。
その端は下町の治安を守るための自治組織だったようだが、今では数え切れないほどのギルドが存在している。
ギルドはいくつかの条件の下、基本的に誰でも設立することができるが、その条件の一つに二人以上というものがある。これは、冷やかしでのギルドづくりを防ぐためのものであり、別の側面で言えば連帯責任である。
こと戦闘においては、そうそう遅れを取ることはないという自負のあるリュウであっても、人数が足りないと言われればどうしようもない。そこで、リュウは奴隷商を尋ねたのだった。
そんなことを考えていると、奴隷商が部屋へと戻ってき、後ろを三人の女性が続いて入ってきた。
一人目は人間。歳は二十代半ばごろといった様子で、歩くたびに茶色がかった髪と豊満な胸元が揺れている。
二人目は獣人。まだあどけなさの残る顔つきで、肩までかかる銀髪は曇りひとつない銀世界を思わせる。何より特徴的なのは、人間とは異なる頭の上からぴょこんと跳ねた獣の耳だ。
そして最後はエルフだ。すらっとした手足、腰まで伸びる長い金髪、鋭く尖った耳は、まさにその特徴を捉えていた。
よくもまあ、多種多様な種族がいるものだ、とリュウは内心思う。
三人はみすぼらしい服、というより布切れに身を包み、その手には枷ががっちりとはめられている。
三人がリュウの目の前で並んだところで、奴隷商は口を開いた。
「リュウ様の目的からこの三人を連れて参りました。後は一人ずつ能力や契約条件を聞いて、ご自身で決められるのが良いかと」
「契約条件?」
「えぇ。ご存知ありませんか?」
奴隷商は尋ねてくるが、生憎リュウは奴隷を扱ったことがない。リュウが首を振ると、奴隷商は説明を始めた。
「奴隷との契約には様々な条件がございます。例えば時間や身の安全に関するものですね」
「契約条件はどうやって決まってるんだ?」
「その者が犯した罪の度合いによります。軽犯罪や借金などであれば、基本的には危険な場所への同行は不可、拘束時間も短い。しかし、重犯罪を犯したものは、身の安全も保証されず、時間もすべてを拘束される、といった具合でございましょうか」
なるほど、とリュウは相槌を打つ。
納得したリュウの様子を見て、「それでは……」と奴隷商が連れてきた三人の説明を始めようとするが、リュウはそれを手で制した。
そのまま三人の奴隷に向かってリュウは言い放つ。
「俺はリュウ・ハインケルだ。ギルドをつくるためにここに来た。この中の誰か一人に俺と同じギルドに入ってもらいたい。望む者はいるか?」
リュウの言葉を聞いた三人はしばし思案した。
少しして、茶髪の人間の女性が口を開いた。
「それって、身の危険もあるってことかしら」
ギルドの依頼に危険はつきものだ。当然の質問だろう。
リュウはそれに答える。
「戦闘は基本的に俺一人が引き受ける。俺が頼みたいのは情報収集や補給、後方支援だ。前線よりは危険が少ないだろうが、完全に安全という訳でもない」
「一人で引き受けるって、それはさすがに無茶……。って、あなたもしかして、さっきリュウ・ハインケルって言った……?」
茶髪の女性が何かを思い出した風に口にした疑問に、リュウはそうだと首肯する。
その様子を残り二人の奴隷は首を傾げて見守っていた。二人はリュウの名前に聞き覚えがないようだ。
だが、そんなことはお構いなしに茶髪の女性は目を丸くして捲し立てた。
「嘘!? 信じられない。リュウ・ハインケルっていえば、確かひと月前に騎士団の隊長に任命が発表されたはずだけれど……。それがどうしてこんなところに……?」
「騎士団ならついさっき追放された」
さらりと言いのけたその言葉に女性は「はぁ!?」と声を荒げる。
次いで頭を抱えながら、つぶやくように女性は漏らす。
「何をどうしたら騎士隊長様が騎士団を追放されるなんてことになるのよ……」
リュウが騎士団を追放されたことはそう遠くない未来に、国中に広まるであろう。
別段隠すようなことでもないため、リュウはその出来事について語り始めた。
「俺が隊長に任命された日、一人の獣人の子どもが貴族街に迷い込んだんだ。その子は出口を探すために街を歩き回って、そこで一人の貴族にぶつかった。ぶつかられた貴族はその子のみすぼらしい様子を見て、その子を足蹴にしたんだ」
「当然ね。貴族街を下町の人間なんかが歩いてたら、貴族様にとってはおもしろくないもの」
その日のことを思い出すように、リュウは天井を見上げながら語り続ける。
「偶然そこを歩いていた俺は、その子を支えて、貴族に謝罪するように求めた」
「……あなた、もしかしてバカ?」
「だが貴族はそれに応じず、近衛兵を呼んで、俺を取り囲んだ。だから俺は屋敷ごとその貴族を吹き飛ばした」
「バカだこの人!!」
心底信じられないといった様子で茶髪の女性が大きく声を上げた。残り二人の奴隷もこの話は信じられないといった様子で唖然としている。
「安心しろ。屋敷を吹き飛ばしたといっても人的被害は出していない」
「そういう問題じゃないと思うけれど……」
「そういう訳で俺は騎士団を追放された」
「よく追放されるだけで済んだわね……」
呆れたようにつぶやいた女性。
だが、何かを納得したように頷くと、リュウの顔をまじまじと眺めた。
「なるほどね。確かに元騎士隊長様ならどんな依頼も容易いでしょうね。なにせ『国の双璧』とまで言われた一人だもの。……ねぇ、リュウ様。私と契約しない? 借金のカタに連れてこられて本当は不安だったの。……リュウ様が望むなら、何でも言うこと聞いちゃう。夜のお世話でも」
突然甘えるような猫撫で声を出す女性。
前屈みになり、首元を指で掴んで、その胸をリュウに見せつけるように体をくねらせる。
あまりの態度の切り替わり方に驚くリュウだったが、何にしても受けてくれるというのならありがたい。
だが、リュウには一つ気になった部分があった。
「それは助かる。ところで、一つ聞きたいことがあるんだが良いか?」
「リュウ様の頼みなら何でもどうぞ」
「夜のお世話とは何だ」
「「「え」」」
真剣な顔で尋ねるリュウを、まわりはポカンとした表情で見つめる。
常に余裕綽々と言った様子の奴隷商でさえも呆気に取られた様子で口を開いていた。
だが一人、リュウを誘惑しようとする茶髪の女性だけはすぐに平静を取り戻した。
「リュ、リュウ様は私を試されているのですね……? 顔に似つかず意地悪なお方です。それを女の口から言わせるなんて。……赤ちゃんをつくることですよ♡」
妖艶な笑みを浮かべて、上目遣いでリュウに向けて言い放つ。
だが、リュウはその視線を受けても動じることなく、疑問を重ねた。
「赤ちゃんとはコウノトリが運んでくるのではないのか?」
「「「「え」」」」
真剣な表情で問いただすリュウ。
さしもの大人の余裕を見せるその女性すらも、今度は言葉を続けることができなかった。
部屋の中を妙な空気が漂う。
その沈黙を破ったのは、額に冷や汗を流した奴隷商だった。
「ど、どうやら元騎士殿は中々純粋なご様子。……それで、この娘にされますかな」
それが露骨な話題逸らしであることは誰の目にも明らかであったが、リュウも本来の目的の方が重要だと思い返り、「そうだな……」と顎に手を当てる。
そのとき、これまで口を開いてこなかった獣人の少女が手を挙げた。
「あの……、一つ聞いても良いですか?」
不安そうに獣の耳を震わせながら、控えめに少女は口を開いた。
おそらくこの中で一番年齢の低い少女だからこそ、これほど緊張しているのだろう。
リュウは震える少女の代わりに、奴隷商に向かって横目で視線を送ると、奴隷商はその意図を察して少女の素性を説明する。
「この娘は三人の中で唯一、絶対服従の契約に縛られております。契約者の言うことは、文字通り何でも言うことを聞くでしょう。それが例え、自らを危険に晒す行為でも。ひひひ」
「こんな小さな子が一番重い罪を背負っているということか。一体どんな罪を?」
「そちらの茶髪の娘が借金、そちらのエルフが窃盗に対し、この娘の罪は貴族に対する反抗ですな。道で轢かれるところの人間の子どもを助け、馬車に乗っていた貴族に抗議したところ、牢獄送りと絶対服従の契約を」
どこかで聞いたような話にリュウは辟易したように、「また貴族か」と漏らす。
獣人の少女はリュウと奴隷商のやりとりが一区切りしたところで、おずおずと疑問を口にした。
「騎士様は貴族がお嫌いなんですか?」
それはあるいは、疑問というよりも少女の願望に近いものだったのかもしれない。
真っ直ぐにリュウを見つめるその瞳は一片の曇りもなく輝いている。
少女が望む答えを何となくリュウは察したが、それでもこの問いかけに偽りで返してはならないと思った。
間違った思いを伝えないように、リュウは自分の中で思考を整理し、ゆっくりと口を開く。
「まず俺はもう騎士じゃないが……、まあそれはいい。俺は別に貴族が嫌いと言う訳ではない。才ある物が国を治め、民を導くことは、この国に住むすべての人々にとって必要なことだと俺は思う」
「そう、ですか……」
答えを聞いた少女の獣の耳は、すっかり元気をなくしたように半分に折れる。
半ば予想していたこととはいえ、がっくりと肩を落とす少女の姿を見て、リュウの心がちくりと痛んだ。
少女は期待を裏切られたからか、まるで咎めるかのように口の中で呟く。
「ならどうして、獣人の子を助けたんですか」
その問いは答えを期待したものではなかったかもしれない。
だが、リュウは堂々と胸を張って、少女に向かって口を開く。
「それなら簡単だ。俺はこの剣をこの国に住む全ての人々に捧げた。それは貴族も、下町の人間も、奴隷も関係ない。もちろん人も、獣人も。その一方が虐げられると言うのなら、俺の剣はそれを許さない」
少女の言葉に正面から堂々と返答するリュウ。
するとさっきまで力なく倒れかかっていた少女の獣の耳がピンと立ち上がった。
俯いてもじもじと何かを考える少女。
不意にその顔が上がり、少女より背の高いリュウの顔を真っ直ぐと見た。その顔は強い決意に満ちている。
「騎士様、わたしと契約してくれませんか。剣も魔法も上手くなくて騎士様の足を引っ張ってしまうかもしれませんけど……。それでも! わたしの仲間を助けてくれた騎士様の力になりたいんです!」
少女の真っ直ぐな告白を、リュウはとても眩しく感じた。
あるいはそれは、かつての自分を思い出していたからかもしれない。
柄にもなく運命という言葉を思い浮かべてしまう。
リュウは口角をあげて、少女と向き直った。
「良いだろう。名前は?」
「わたしはリーナ。リーナ・クーニングです」
名前を告げた少女に対して、リュウは手を差し伸ばした。
「なら、リーナ。今日からお前は俺のものだ」
自分に向けて差し伸べられた手に、リーナは小さな手を重ね合わせた。
その耳は、ピンと跳ねていた。