魔獣接近中
071
翌朝、メレデクヘーギ侯爵は戦闘能力のない住人たちを護衛しながらポラーニを去った。
残留防衛隊は60名。
フェヘールと白樺救護団の4名は直接戦闘にはかかわらないから、実際の兵力は55名となる。
指揮はコチシュ隊長。
「マズいねぇ……」
周囲の気配を探りながら言う。
森の奥に無数としかいいようのない魔獣が集まっていた。
まだ、こっちに移動してこないようだが、どうやらポラーニの住人の脱出はかろうじて間に合ったというべきだろう。
「わたくし、自分が小石になったような気分。大洪水をせき止めるようと小石が60個、さて、この流れは変わるでしょうか? みたいな」
フェヘールは遠くを眺めながら絶望気味な言葉を紡ぐ。
苦笑いしか出ない。
「僕としては最初から流れが変わって、こっちにこないで欲しいけど」
「まあ、まだ動き出してないし、必ずこっちにくるというものはではないから」
「スタンピードって、どうやって進行方向が決まるの? やっぱり人間のいるところ?」
「基本的にはダンジョンからあふれた魔獣が暴走するのだから、決まったルールはないわね。あえていえば先頭が進む方向に、後の魔獣も続くだけ。基本的に360度すべての方向に魔獣は進むけど、切り立った崖みたいなところにダンジョンの入り口がある場合は前方向だけしか進めない。うまくいけば、こっちにくるのは少ないかもしれないし、ここで殲滅するか、追い返すとか、麓の街にいかない方向にずらすことができればお父さまたちは問題なく下山できて、メレデクヘーギ侯爵領にも損害はなくなるわけだけど」
「南方向にだけはいかせないようにすれば勝ちか?」
「お父さまが援軍を連れてくるまで時間を稼いでもいいけど」
「追い返すのは無理でも、東か西にそらすのならできるだろう」
自分で言っておきながら、あんまりできる気はしないかったりするんだけど。
森の奥からする魔獣の気配は1000や2000じゃない。
万まで達しているか、満たないとしても、それに近いと思う。
しかも、それが全部という保証もなかったりする。
追加でどんどんダンジョンから魔獣があふれてくる可能性も充分にあるわけで、10000程度というのは最低数だ。
「樽を運べ!」
コチシュ隊長が指示を出した。
まだ魔獣は森の奥から少ししか動いていないので、昨日の続きで、森側の門周辺の木を切ったり、櫓や塹壕の補強工事をするのかと思ったら、もうそれは終わりにするらしい。
「魔獣がここに迫ってきたタイミングで森を焼く」
運ぶように命じた樽は油が入っているようだった。
いまのところ風向きは北だから、こっちに延焼しないだろうし、煙が流れてくることすらなさそうなので、とても効果的でいい作戦だ。
フェヘールと別れて、僕も樽を運ぶのを手伝う。
ドラム缶ほどのサイズの頑丈な木樽で、中は油で満たされているから、当然1人で持ち上げられるものではない。
前後に長い棒をつけて、担架でも運ぶようにした。
本当なら前後左右に棒をつけて、御神輿でも担ぐようにすればもっと楽に運べたんだと思うけど、それだと狭い門をくぐることができないので、かわりに棒を長くして前に2人、後ろに2人の4人体制で運んだけど、それでもかなり重かった。
この世界、まだ鉱物油を広く利用できるほど科学技術が高くないので、豆やヒマワリの種などから抽出した植物油と、魔獣の脂肪などの動物油だけなので、揮発性は低いし、大爆発を起こしたりもしないが、森を焼くにはかなり役立つだろう。
あちらこちらに樽を設置し、他にも炭などポラーニにある燃えやすいものを集められるだけ集めて森に運ぶ。
そんな準備をしているところに、だんだん魔獣の気配が濃くなっていった。
同時にポラーニのほうからカンカンカンと音がする。
物見櫓の鐘を連打しているのだ――魔獣が迫る!
みんなでポラーニに急いで戻る。
数人、松明を持った騎士は森に残り、火を放つタイミングをはかっていた。
どんどん魔獣の群れが近づいてくる。
その先頭が500メートルほどになったとき、ふたたび物見櫓の鐘が激しく打ち鳴らされた。
しばらく薄く煙っていた空がすぐに白くなる。
火を放った騎士たちが戻ってきて、門の前の塹壕に飛び込んでいった。
「これで逃げてくれればいいんだけど」
低レベルの魔獣はたいてい動物と同じく火を怖がるから、燃えている森を避けてくれればスタンピードの進行コースが西か東にそれることになる。
群れの主流からはぐれた魔獣の掃討戦だけですむのなら、とても楽だし、助かるけど。
「狂ったように突っ込んできますから、あまり期待しないほうがよろしい」
コチシュ隊長が僕の独り言を拾って返事してくれた。
僕は剣士なので本当なら最前線の塹壕か、せめて門のあたりに配置してもらいたかったけど、隊長と一緒に物見櫓の担当となったのだ。
これでも王子なので、なるべく死ににくいところに置く形にしたのだろう。
「焼け死ぬとしても?」
「この程度の火で焼け死ぬ弱い魔獣なら、そのままきたところで簡単に倒せます」
「大型の魔獣もいますね」
「ミノタウロスやサイクロプスは厄介です、あとドラゴンも」
「ドラゴン多過ぎでしょう、このあたり」
「稼げますよ」
「それはそう」
手に入れたミドガルドの鱗を商人のところに持ち込むと、天秤にかけられ、反対側に金塊を乗せて釣り合ったところが買い取り価格だった。
しかもはじめて龍種と戦った記念に鱗を1枚残しておきたいから計算し直して欲しいと頼むと、初討伐おめでとうございますと祝ってくれただけでなく、ご祝儀として買い取り価格はそのままにしてくれたのだ。
そんなんで商売になってしまうのだから、ドラゴン種の素材は稀少で、利幅もあるのだろう――まあ、その商人はファルカシュ子爵領にポラーニが編入されたことを知っていたらしいので、いい表現を使うなら将来を見越しての投資、悪くいえば賄賂的なものだったのかもしれないけど。
こんな話をしている間にも森に放った火が激しく燃え広がり、黒々とした煙が視界をふさぐ。
完全に気配で探知するしかない状況になった。
「魔獣の群れが燃えてる森に突入しましたが……」
「やはり勢いは止まりませんね」
僕の言葉を受けて、コチシュ隊長が続ける。
「ちゃんと戦って勝てと神様か誰かが言ってるみたいですね」
「武人としては、それがあるべき姿でしょう」
そして、コチシュ隊長が部下に命令を出した。
「もうすぐ接敵する。魔法、弓の準備!」
結構たくさんの人に読んでもらえているようで、とても嬉しいです。
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