立つ鳥、跡を……?
追分みぃは本当に汚い奴だ。
物理的にって話ではない。一見すれば、長い前髪を留める淡いピンクのピンが良く似合う、色白で華奢なただの女の子なんだから。むしろ、顔立ちだけなら美人の部類だろう。教室の隅でひとり本を読んでいる光景が想像できる。後輩曰く、やはり男子人気も高いらしい。腹立たしいことに。
……いや、物理的にも汚い部分はあったな。
この前の足を揉めと言ってきた日は、わざわざ同じ靴下を3日間履いていたらしい。病気になってしまえばよかったのに。
結局、私の舌先が足裏に触れることはなく、「心意気は合格です」とか訳の分からないことを抜かしていた。わざわざそんな言い方するところからして、性根が腐っている。
そもそも、今にして思えばあいつは私の弱みを握るために普段から虎視眈々と待ち伏せしていたに違いない。じゃなかったら、部活のランニングにわざわざスマホを携帯し、私の後を追う意味がない。
普段は大人しく、目立たないようにしているのも、きっと警戒されないためだったんだ。
これまでもそうやって、自分の気に食わない人間を陰湿な方法で陥れてきたんだろう。
いったい、なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。
私が少し厳しくしたから? 私のことが人間的に嫌いだから? それにしたって、ここまでのことをされる覚えはない!
私はそうやってあいつへ恨みを反芻することで、なんとか正気を保とうとしていた。
ギィっ!
と何かが軋んだ音がした。
私は咄嗟にその方向にスマホのライトを向ける。
開け放たれたドアの向こうにぼうっとした輪郭の机や椅子が見えるが、動く影はなにもない。
「し、知ってたわよ。誰もいないって……!」
私は自分に言い聞かせるように呟く。というより、何か聞き知った音で耳を埋めておかないと気が狂いそうだ。
冷え冷えとした空っぽの空気が、私から体温を奪っていく。そのせいで身震いするのを、誰かに背筋を撫でられたからなんじゃないかとか考え始めて、さらに悪寒を呼び寄せる。どつぼだ。
しかもそのせいか、トイレに行きたくなってくる。
でも夜の校舎のトイレは、廃病院や山奥のトンネルと並んで、一生のうちで絶対に行きたくない場所の筆頭だ。
身体を震わせてそれを我慢し、もう一度ライトを廊下に向け直す。鈍色に光る床が、いかにも夜の学校って感じがして、イヤだ。
とはいえ廊下の最奥の濃い影に光を当てるのは、もっとイヤだった。なにか見てはいけないものが、そこにいそうな気がして。
だから私はなるべく視線を落として、足元だけを見て進んだ。
こんなことになったのは、もちろんあの汚い追分みぃのせいだ。
夏休みの最終日、私たち女バド部はとあるテーマパークに繰り出した。名目はない。敢えて言うなら夏休みの部活お疲れ様会だろうが、特に理由がなくても集まれるのが学生なんだろうと思う。
私たちが行ったのは、黒々したネズミが歌って踊って出迎えてくれる、良く知られたテーマパークだ。
部の後輩に弱みを握られて脅迫まがいのことをされている私が遊びに行く気分になれるかは心配していたが、あの足舐めの日以降、追分みぃから無茶な要求をされることがぱったりとなくなって、私はこのまま平穏な日々に戻れるかもと思い始めていた。
だから当日はなんの気負いもなしに、普通の女子高生相賀みあとして、はしゃいでいた。
思えばこれはあいつの罠だったのだ。
ジェットコースターや海賊船を模した巨大ブランコなど、あらかたの目玉アトラクションを回ってひと段落ついたころ、次はどこに行こうか、となった。
テーマパーク限定のポップコーンをみんなで回し食いしているなか、一人がお化け屋敷を提案した。
相場の3倍はするそのバカみたいに高いポップコーンを食みながら、こりゃ現代の錬金術だとか益体のないことを考えていた私は、「いや、私お化け屋敷とか、暗いところ本当にダメなんだよね~」と何の気なしに告白してしまった。
その瞬間、はっと気が付いて追分みぃの姿を探す。
輪の一番外でぽつねんとしていたあいつは、私と目が合うと、笑いはじめた。
クスクス、クスクス、と。
ブーンッ!!
「ひぁああ!」
手で持っていたスマホが鳴動して、私は現実に引き戻されると同時に、思わず放り投げそうになった。
「なんでいきなり鳴るの!」
苛立ち紛れに怒鳴りながら、画面を確認する。
普通に考えればスマホがいきなり鳴るのは当たり前なんだけれど。
――【18:58】4/4 音楽室 これで最後! 頑張ってくださいね(はぁと)――
追分みぃからのメッセージだった。
「はぁぁあああなんでよりによって音楽室ぅぅ~もうヤだよ~~!」
へたりこんで、頭をくしゃくしゃに掻いて、そして両手で顔を覆ってみる。
しばらくそうしていたけれど、いくら悲劇のヒロインを演じてみたところで、私に王子様は現れない。スポットライトさえ点いてくれない。
せめて誘導灯だけでも点いてくれたらありがたいんだけど。
早い話、もう心が折れそうだった。
暗いところは怖いし、ホラーなシチュエーションはもう本当にダメ。
でも、と私は太腿を叩く。
ここで屈するわけにはいかないだろ!
おばけもゾンビも怖いけれど、存在はしていない。はず。
だけれど追分みぃが校舎にばら撒いた4枚の写真は、実際に存在するし、それはおばけに遭遇することなんかよりもっと恐ろしい顛末を私にもたらす。具体的に言えば、あの林での私の痴態が、学校中に広まることになるのだ。
私は走り出した。
おばけが出ようと、ゾンビが出ようと、出会い頭に吹っ飛ばしてやればいい。フィジカルには少し自信があるんだ。
道は分かる。1年以上も通っている学校なのだから。
暗闇は、見えてしまうからむしろ怖いんだ。目を瞑って、なかったことにしてしまえ。
ただがむしゃらに、進め!
結果から言って、この作戦は成功だった。
何も考えずに走ってきた私は、あっという間に音楽室に到達し、後はその防音仕様の重い扉を開けるだけだった。
さあ、早く終わらせよう。と勇んでドアノブに手を伸ばすも、一瞬、音楽室にまつわる怪談話が頭を過る。
ひとりでに鳴りだすピアノや、目がぎょろりと動く音楽家の肖像画。
いやいやいや、と頭を振る。
これまでに回収した3枚の写真を握りつぶす。
目を瞑って、同じくらいの力でドアを開ける。なんだ、案外軽いじゃん。拍子抜けだ。
やっぱり、どうってことないよ。うん。
どうせこの世におばけなんていないんだから。うんうん。
今までだって、お風呂場の鏡におばけが映ったことはないでしょ? うん!
私は自分と会話しながら、納得して目を開けて――――
「みぃつけた」
女がいた。
真っ黒な、長い髪の毛。
に、覆われた顔。
私、を見る、二つの目。
その目、が、私の目、の目の前に、すぐ前に、すぐ、そこに。
息が出来ない。身動きも。
た、助けて。だれか、たすけて。
力が抜けて、へなへなと崩れ落ちる。
太腿が作る谷間を、温かい液体が浸潤していくのを感じる。
あ、あ。あ。あ。
液体の放出とともに、私の緊張しきった身体が弛緩していく。
それに続いて体温も奪われていく。私の身体が不随意にブルブルっと震える。
クスクス、クスクス。
まるで妖精の声みたいな、聞き慣れた笑い声が聞こえるけれど、誰だったか。頭が回らない。
「先輩」
幽霊が髪をかき上げた。そこには、良く知った顔の女の子がいた。
名前、思い出した。みぃだ。追分みぃ。
みぃは私の前に両膝をついて座った。
私の作った水たまりは意に介することなく。
みぃの右手が、私の頬に。頬から耳元へ。私の髪の毛をその手に絡ませるようにして、そしてまた頬に手を当ててきた。
随分手が震えている。
と思ったけど、どうやらそれは私の方だった。
「この嘘だらけの学校で、先輩だけが、全部を私に見せてくれる」
みぃは唐突にそう言った。みぃの微笑は、始めて見たかもしれない。
放置されたスマホのライトが、みぃの顔を怪しく半分だけ照らしている。
色白のみぃの頬が、僅かに紅色に染まったかと思うと、みぃはずいと顔を寄せてきて、そのまま私の肩に顎を乗せた。
「汚い先輩。だぁ~い好き」
音って、本当に空気の振動なんだなぁ。
みぃが私の耳元でくすぐった言葉はあまりに現実離れした単語の並びで、私はその意味内容ではなく現象自体に注目させられた。テレビの画面を雑巾で掃除しているような感覚だった。
「おーい。忘れ物はもう見つかったかーい? 通用口も施錠したいんだがねぇ」
「あ、はい。もう帰りま~す。……ほら先輩、行きましょう?」
ふわふわとした浮遊感と脚の不快な湿り気に苛まれながら、私は逃げるように学校を後にした。
立つ鳥、跡を濁しまくった。
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