指輪
長い時間電車に揺られていた。右、左左左、右右左……。不規則に左右のドアが何度も開いた。その都度、学生やサラリーマンや、親子やカップルといった乗客を見ていた。
私は人間観察が好きだった。しかしどの乗客を見ていても、パッとするものはない。ごく普通、平々凡々と言った言葉が似合うような人間ばかりだった。
学校を意味もなく休んで、ドア横の座席にずっと座っている。そして意味もなく輪っかになっている線路を電車で何周もしてやろうと思った。乗ってくる駅によって、少しだけ乗客層は違うらしい。若者が多く乗ってくる駅、上品な老人がゆっくりと乗ってくる駅、はたまた外国人が母国語を喋りながら大勢乗ってくる駅。
しかし私にはそんな事どうでもいいのだ。どの駅がいいかなんて気にはしていない。なにかを発見して帰りたい、なにか刺激を受けて帰りたいだけなのだ。その結果、いまだ電車を降りられずにいる。
またドアが開いた。今度は私が座っている席から斜め前のドアだ。少し冷たい空気と乗ってくる人間は1人。私はその人に気づかれないように本を読む振りをしながらよくよく見た。すぐに目を逸らしてしまったが、一瞬でも分かる程の整った顔立ちだ。高い背、緑にも見える黒髪、切れ長に真っ黒な瞳、通った鼻筋。
少しだけ車両全体を見回して、彼は私の横へと座った。パラパラ空いている席はあるものの、大柄の男達が座っている間より小柄な私の隣の方がまだ座り心地が良さそうと思ったのだろう。
彼は右手で携帯を操作しながらずっと下を向いているようだ。着ている薄手のTシャツから洗剤の匂いがする。もう少し上からは整髪に使ったワックスかスプレーの匂いがした。少しツンとするけど爽やかな匂い。それになんと言っても一瞬しか見ていないとはいえ横目からでも分かる高い鼻、そして白い肌。なんて綺麗な人だろう。私はもっと彼を見たくなった。
読んでいた本を鞄にしまい込むふりをして、少し肘を彼にこつんと当ててみた。彼が少しこちらを向いた。
「すみません、」
「あぁいえ」
小声での彼との会話。思っていたよりも声が低かった。この声とずっと話が出来たら、ずっとこの姿を見ていられたら。段々と気持ちが高揚していく。そうだ、私が今日求めていた刺激はこれなのだ、そうなのだ。
窓から差し込む夕陽の日差しが強くなってきた。彼の白い手が夕陽に照らされて少しオレンジがかっている。夕陽の色や車内の人の数も相まって少し空間が息苦しい。あぁもうすぐ終わってしまう。
電車がまた違う駅に停まった。そこで彼はカバンをごそごそと漁り始めた。いや色々と整理を始めた。携帯をズボンのポケットにしまいこみ、もう片方のポケットから出した黒いイヤホンをカバンの中へ入れた。そのままの流れで彼はペットボトルのお茶を一口二口飲んだ。
隣の少し上の方からグッグッという彼が水分を飲み込む音がする。横から彼の動く喉仏を見てみたい、あの低い声ならかなり目立つだろう、見たい、見たい、見たい……
ドアが開いた。隣には誰もいない。
外はもう暗くなっている。
そろそろ帰るか、と、また自分が乗り換える駅まで揺られる。
横の手すりの銀色がいやにギラギラ光っている。
まるで彼の手にはめられていた縛りつけの印のようだと思った。