冬の花に咲いた腐った真実(1)
今年もやってきました。
一年の集大成です。
よろしくおねがいします。
俺の周囲に漂うセーラー服の少女は透けていた。駅員も並ぶ行列の面々もそのことに気づいていない。少女がスカートをひらひらめくりながら誘っているのに誰も気づかない。俺はその光景に見慣れてしまってもう目新しくもない。マフラーに顔をうずめて電車の方を見ていたら、少女が俺の服の裾を引いた。
「待って」
すると俺は後ろの人にぶつかる。背後の人はコートをきた会社員で、当たったのは俺だったのに申し訳なさそうに眉をひそめた。俺も同時に謝って、列から外れる。
ふぅと空気を吐いて、白く染まった綿雲を遮り彼女は俺の目の前に突撃してくる。なぜかその頬には涙で濡れていた。さっきまで誘惑していた顔には思えない。気持ち悪いほどに頬は白い。
「なんだ、お前が遊園地に行けば成仏するかもっていうから寒いのにこうして出歩いているっていうのに」
「そんなことよりも」
「そんなことってなんだ」
「あそこに幽霊がいる」
俺は頭をかしげる。
この涙をぼろぼろ流している少女は実態のない、思念だけとなってこの世にさまよっている、いわゆる幽霊だ。今は俺にとりついている。
ある冬の日、ふらふらと墓の前で泣いていたところ、俺は祖母のお墓参りに行ったときに少女にとりつかれたのだ。少女は俺のお守りが効かず、「成仏させたいなら、私のいうことを聞きなさい」と命令ばかりする。少女がとりついてからというもの、俺はあっちこっちへ行かされる。
ある時は魂達が宴をする河原だった。そこは魂達が夜な夜な集まり、成仏を促す宴会が開かれていた。でもこいつは「私あんなので成仏しないよ。ただ行ってみたかっただけー」と言い放ち、今もこうして傍にいる。
俺の祖母も見える人で、何度も幽霊にはかまうなと言われていたのに、これでは他界した祖母に申し訳がたたないわけだが、彼女は霊力が強いのだから仕方ない。こういう時は力が強い者に従うしかない。
そうして現在「遊園地に行きたい。そしたら成仏するかもよ?」と嘘にもとらえられるようなことを少女が言ったものだから、わずかな可能性にかけてなけなしのお金を払い地元の電車から大きなテーマパークへ行こうとしていたところだった。
そこで止められたものだからイラっとしてしまう。
「ほら、あのベンチ」
と彼女は俺の服の袖を強く引いた。こけそうな勢いで引くから周囲の人が怪しげな目で俺の方を見る。大道芸でないのに、何もないところから引かれることなんてないだろう。何もないところに壁があるようにふるまうあのパフォーマーが此処にいたのなら、一発で俺はスカウトされるかもしれない。
でも実際彼女はそこにいて、俺の力が及ばない範囲で自由に動いている。なぜか知らないが、俺にとりついているからか、彼女は俺から離れることが出来ないらしい。普通の幽霊なら、自分の好きなところに好き勝手行くのだが。
「駅のベンチのところ。ナオヤと同じ年? 私より年上かな」
ベンチを見ると、俺と同じ年くらいの女性がいた。彼女はモッズコートを着て、寒くないはずなのに、寒そうに手をこすりポケットに手を入れている。かと思えば寒い寒い、と言って肩を抱く。目元は垂れさがっていて、少しだけ腫れている。泣いた後のようだ。
今日は珍しい時間に現れたな、と頭の片隅に言葉を放り込む。いつもならもう少し茜色に染まった夕方あたりに座っているはずだった。それに最近は見かけなかったから、成仏したのかもしれないと考えていたのだが、そう上手くいかないみたいだ。
「もうちょっと近づいて、ナオヤ」
「はいはい」
俺はベンチにさりげなく足を運ぶ。小声で話していても、冬の駅は周囲によく声が通る。気を付けてはいるけれど既におかしな人と俺を見つめてくる人は多くいた。
一旦あのベンチに座る方がいい目を散らすには良いだろう。
どさっとその幽霊の隣に座る。本当は幽霊のいる場所に座って、幽霊の気配を拡散させたいけれど、そうもいかない。少女たっての願いだ。
「こんにちは」
野良猫に喋りかけるように少女はしゃべりかけた。あとはただのガールズトークだ。俺のことを「彼氏?」と言って少女がううんっと思いっきり首を振ったり、少女に足がないことに女性が気づいて珍しがったりした。
「あなたの名前は?」とベンチにいる女性は尋ねると、少女は「ぷーさん」と相も変わらず偽名を名乗って女性が爆笑する。ベンチの女性は「私はね………」と返事する。その光景に俺が胸を痛めているのも露知らず少女は続けた。ただの楽しいおしゃべりの間も彼女達は笑いあい、そして少女は頬を濡らし続けた。
「なんであなたは泣いているの?」
「さあ、なんでだろうね。なんだかあなたを見ているととっても悲しくなるの。だから、泣いちゃうんだと思う」
「変な人」
「人じゃなく、幽霊だけど」
少女が突っ込むと、女性はまた笑った。大きな笑い声は駅構内を満たしていく。それによって来るのは線路に立っている浮遊霊達だ。彼らは自殺した霊が大半で自身が死んでいるのを知らない者達ばかりだ。意思もなくさまよう幽霊達は意志のある霊達に引き寄せられるようで、声を聞くと寄ってくる。ちなみに俺のような見える者にもよってくる。
意思のあるやつらに集まれば、意思のある幽霊に力は取り込まれるが俺のようなやつは体が乗っ取られる可能性があるから、手首に数珠を付けている。この数珠があれば隣にいる少女のような幽霊以外は、数珠の中に封じられる。そしてたまに焚いて清める。今は祖母の遺品と俺の数珠で二つ重ねにしてあるから威力も二倍だ。
笑い声で寄ってきた幽霊は次々にベンチに座る彼女達に力を吸い取られ、最後に俺の数珠の中に消えていく。
そうして数時間とどまっていた。電車が着てはぞろぞろと中から人が下りてくる。その光景を見て、ベンチにいる幽霊は今日もいなかった、とぼやく。
「誰かを待っているの?」
ひらっとセーラー服の襟を翻し少女と向き合った。茜の日差しが女性に差す。やはり透き通っていて、日差しは少女に当たらない。頬の涙だけが夕日に染まっていく。うるんだ目はそのままに、ベンチの女性に何かを伝える。
「うん、お父さんをね。でも今日も帰ってこなかった。また明日かな」
電車が出発するアナウンスが鳴る。しかしその中から女性のようなたれ目の男はやってこない。それでも女性は待っているのだろう。
「待つなよ」
既に冷たくなった手をこする。こすると少しだけ温かくなった。口から息を吐くと白い靄が上がる。幽霊のせいで俺の周囲の気温が低い。だから靄をつくりやすい。靄は頬や空気を温める。ここは俺の生きる領域だ。
「待つなって?」女性が訝しむ。
少女が「そんな言い方ないんじゃないか」って、怒りだす。でも俺はそんな甘ったれた言葉なんてどうでもよかった。
「待ったって来ない。そんなものすぐに忘れて早く成仏したほうがいい」
「………そうだね」とそっけなくする女性。
「ああ、そういうものだ。お前たちはここにいるべきじゃない」
俺は立ち上がり、薄くなっていく女性に背を向けた。日差しを吸収し、女性は目を伏せる。でも俺が見えなくなった途端すぐにその目は開くのだろう。自分で真実を知りたいからと言っていうことを聞かないのだろう。
俺が駅から降りようとすると、肩や背中を少女はどんどんどん、と叩いてきた。どちらにせよ今日は遊園地は無理だ。
電車がもうすぐでホームに着くため人が押し寄せる。俺の目には生きていない者も映るため、実際よりも多く見受けられた。夕方の駅は寂しさが積もる。
どこかへ帰ろうとしている思念は多い。意思もなくただ帰ろうとしている。それは彼らの日常だったから。死んだからと言って日常をやめることはできないのかもしれない。
俺の映る景色を他の者達にも見てもらいたい。きっと一瞬にしてギブアップするだろう。気持ち悪さに心が崩れてしまうだろう。死んでも、生きている者達もいるのだ。それらの哀れさに疲弊していくだろう。
祖母によく言われた。幽霊に惑わされるな。それはもうここにはいないものだと心に留めろ。
忘れてはいけない。俺は生きているのだから。






