魂達の宴:3
少女は俺の足を無理やり動かし、宴の中へと参加する。気分は悪くなる一方で少女の高揚した気分が伝わってくる。
「ここで俺は何をしたら……」
あははは、と少女が次の瞬間俺の体から飛び出し輪の中に入った。
そういえば、と今気づいた。
そういえば、少女の足は他の霊とは違いないんだよなあ。
本当にくっきりばっさりと少女の足は薄くなっていた。一般的に信じられている霊の有様とは同じだが、本当の霊は宴の人々と同じように足があり、雑草を踏みしめて、踊ることもできる。かと思えば、体を昇天させてどこかへ消えてしまう。
結局俺は彼女の足代わりに連れてこさせられたということなのかもしれない。ここの宴で成仏するために連れてきてほしかったのだ。
でも、それではあの涙の理由が分からない。
酒宴を続けている魂の中、俺はどうしても自分の居心地の悪さを感じてしまう。此処はどうみても生きているものの居場所ではない。俺が加わってはいけない領域だ。
帰ろうと、振り返ったその時後ろから大きな腕を肩に回される。肩を組まれて、「あんちゃん」と声を掛けられた。
熊を思わせるような大きな腕に俺は逃れられない。そっとその霊に目を向けると怪しげな目の色でこちらを見ている。
どうみても俺が此処にいてはいけない人間だと言わんばかりだった。疑っている、そしてばれた時はどうなるかは分からない。もしかしたら宴に参加する者達全員で俺にに襲いかかってくるかもしれない。
それほどまでに見てはいけない領域に立ち入ってしまったのだ。
ごくりと唾をのみ、じろりとその霊を見つめる。
薄い頭皮に法被姿。手にはとっくりを持ち、顔を赤らめている。年齢は俺よりも年上で、よくいる居酒屋のおっさんか、祭りで見かけるおじさんあたりを彷彿とさせた。
次の言葉を待つしかない。
「こっち来て飲めよ」
俺の不安なんか吹き飛ばすように、おっさんはにかっと笑い、とっくりを差し出してきた。
「いえ、アルコール弱いんで遠慮します」
丁重に断るが、聞いておらず無理くりに俺を輪の中に連れ込む。
俺みたいな生きている者に手を付けられるなんて、このおっさんもそうとう力が強いとみた。それにこの酒宴、どう見てもおっさんを中心に起こっているようだ。
おっさんが俺に視線を向けると魂達はこちらまで雰囲気を伸ばしてくる。すなわち橙の灯りを広げる。おっさんが輪の中に戻ってくると、輪の大きさに灯りは戻る。そんな中知らないうちにどんどん灯りに紛れて、雪のような光となり魂は消えてゆく。
それでも宴は終わらない。最後の一人になるまで、次から次へと魂を取り込み、雪と橙の灯篭を点し続け、影たちは重なり、大きくなり収縮し、とぐろを巻く。
俺はおっさんに無理やり連れられて、輪の中心に腰を下ろした。周囲は老人ばかりだ。だが本当に老人なのか、分からない者もいた。
姿が揺らぎ、若くなったり老いて四十代ぐらいになったり、と思ったらまた幼い子供になったり。見ていて、その人の走馬燈を拝んでいるように思えた。
「とくさん、その子は?」
とくさん、とくさんとおっさんに尋ねて、俺を物珍しそうにじろじろと見てくる。気分がまた一層悪くなる。先ほどまでも少女がいたからまだ保っていたが、力が強い者を囲まれると吐きそうになる。
これは生きている者が死んだ者に迎え入れているからかもしれない。俺だって、できればその迎えを受け入れたい。祖母に会えるのなら、会いたいものだ。
もしかしたら祖母は俺と同じように寂しかったのかもしれない。だから俺みたいにこうして、霊に囲まれて、迎え入れてもらってあちらに渡ってしまったのかもしれない。
「こいつは、そこいらで見つけたんだ。ほら散った散った」
とくさんと呼ばれるおっさんは囲う人々に向けてとっくりに入った酒をまき散らした。すると人々は「おおー怖い怖い」とすぐに立ち去る。
ぼんやりと影が踊るのを見守る。どの霊もこの世に未練がないような笑みを振りまき、ただただ楽しんでいる。天に昇っていくものはもう会えないのだろう。もうここにいる意味をなくしてしまったのだろう。
俺の祖母はこの中にはいなかった。
「俺はね」赤らめた顔でとくさんは隣で語りだした。手にはとっくり。知らず知らずのうちに俺のたもとにはおちょこがあり、酒が注がれていた。
年寄りの戯言を聞けと言わんばかりに背中を叩き、とくさんは続ける。
俺はあははと少女の楽し気な踊りを見つめ続ける。
「俺は数十年も昔に死んだんだけどよぉ」
何も感じないぐらいのすっきりした顔でとくさんは語る。
「妻を置いて行っちまってなあ」
踊るおどる、雰囲気に俺も酔う。俯いた先には注がれた酒。写るのは死人のように顔が白い俺。
「だからこうして、待ってるんだ。それでどうしたのか、知らず知らずのうちにこんなんなっちまって、知らず知らずのうちにいくつもの霊が天に昇っちまって、そんで仕方ないから見送ってきたってわけよ。そんで最近さ、ある女の霊が悩んでんのを見つけたんだよ」
死人のように白い俺。
そういえば俺は今、寒さを感じていなかった。感覚が麻痺して分からない。酒を飲んだように最近は寒くはなく、鼻も何も香らず、まるで本当に俺は死んでいるようだった。
俺の後悔はつもるばかり。一年もずっと祖母の悲しみを引きづっている。どんなに外気に触れようと、どんな経験をしようと、大学に入学して周囲の環境を変化させても、俺自身は変わらなかった。
「そいつが言うんだ『孫が心配だ』ってさ。風邪拗らせて、躓いて、動けなくなってそのまま眠るように逝ったんだと。夫も先に逝って、で天に昇ったのを見送ったって。本当はこの世に残れるほどの力もあったが、今は何の未練もなかった……けどよぉ。唯一ある未練ってやつが残ってた」
はっとなり、俺はおちょこをこかした。それはどこか聞いたことがある人の話で、どこか俺の知っている人で。
「お前さんのことだけは最後まで心配してたよ」
手が震えた。数珠を握って、祖母の記憶を思い起こした。「関わるな」なんて言っといて、自分は死後存分に関わっているじゃないか。俺のことを心配して霊になっているじゃないか。なら、俺に会いに来てくれたらよかったのに、なんで俺に関わってこないんだ。
「だから言ったんだ『俺に任せてくれ』って。寂しかったら此処にくるだろう。この街の霊は大抵ここのことを知っているし、そんな大きな力を持ってるやつなら此処に一度は連れてきたくなる」
「そんなの余計なお世話だ!」
俺は祖母に会いたかった。祖母、その人に会って、なんで死んだんだって問い詰めて、あの日の俺を、何もできなかった俺を責めたててほしかった。死んだのは俺のせいだ。俺がいけなかったんだって。
「ばあさんは誰も責めちゃいない。誰しも死ぬんだ。誰しも思いやるんだ。誰しも、平等なんだ。だからあんちゃん自身責めたてなさんな。
少なくともあんちゃんのばあさんは、幸せそうだったよ。娘が生まれてきたこと、あんちゃんを見れたこと、心底楽しそうにして去っていったんだ。
あんちゃんが生きていて嬉しい。ただそれだけに幸せを感じて逝った。だから、もうあんちゃん、自分を責め立てなさんな。あんちゃんの気持ちは、痛いほどわかるが、それじゃあみんなして宴が盛り上がらねぇ。次の人生に移れねぇ。美しくねぇ。
あんちゃんは、とても良いやつだ。生きてるんだから。思われてるんだから。誇りを持て」
俺は正面を見た。
宴の中に祖母が盆踊りを踊っている気がした。右に左にひらひらと手を翻し、楽しそうに踊っている。連れているのは俺。頭に仮面をかぶり、トテトテとおぼつかない足取りでついていく。と、転びそうなところを祖母に支えられた。
きらびやかな提灯。真ん中に立つ太鼓。回る客。
こうするのよ、と祖母が示し、それに俺は準じていた。
この景色を見たことがあった。祖母はこの魂達の宴に俺を連れてきたことがあるのか。
だからこんなに眼から熱いものが落ちてくるんだ。
懐かしい香りと冷たさを俺に突きつけ、残酷な現実を告げに祖母が口を動かす。
ーーさようなら。
今度は踊るでもなく川の向こう側で手をひらひらと振る。
ーーこちらに来てはいけないよ。そっちでお元気に。
刹那、橙は白くなり天井から突き刺すような冷たい綿毛がひらひらと降ってくる。こちらに向かって、ひらっひらっと楽し気にこの世から旅立ち、さよならを告げる。宴は終焉となる。点す灯りは薄れていき、哀を帯びて消えてゆく。雪は解けて、その上に花が咲く。
大きな白い花。
ぽつぽつと咲きだした花は満開。
いくつも重なり花畑は広がってゆく。
祭りの果ては、あとが寂しく酒をすする。
目を湿らせ声がでるのを堪えて、隣の霊の声を聴く。
「生きろよ。そうすればなんとかなる」
なんて、言われてもなあ。