魂達の宴:1
祖母が亡くなったのは、去年の年の瀬だった。寒い冬に耐えかねたのか祖母は寒い家の中じっと床にうずくまったまま冷たくなっていた。
それに気づいたのは年を越す前日、俺が祖母の家にちょうど帰郷した時だった。
それは、雪がしんしんと降りつもりどこまでも静かな夜。
雪に思いを乗せて、俺は祖母を見送った。吐く息さえ凍ってしまってため息もでない。
あの時、俺は冷たくなった祖母の亡骸に触ったあの時、あまりの自身の無力さに涙を流した。
もっと早く気づいていれば、もっと早く帰郷していれば、電話した時衰弱していたことを知っていれば、そうした後悔が募るばかり。俺はどこまでも無力でどこまでも広いこの世界に自身の叫びが通じないことを知った。
それが一年前。
時計を現在の時刻に合わせるとする。
現在は、祖母が亡くなって一年後。
雪がしんしんと降る昼の十二時ごろ。
俺は、祖母の墓参りに来てある少女に出会った。
祖母の墓の前でじっと立ちすくむ薄い影の高校生ぐらいの少女に。
少女の赤いタイ、紺色のセーラー服は、随分昔の時代のものだと思われた。少なくとも少女のみつあみや、見えずらい足は、今の者ではない。しかも、そんな少女が祖母、いや墓の前で佇みこちらを向いて泣いていたのだ。
おしろいをまぶしたかのような白い肌に嫌な気を起こし、俺の手首にある二重にした数珠を力強く握った。祖母の分と俺の分の数珠だ。これでこの手の輩の対処はだいたいできる。祖母の力と数珠の効力を信じて祖母の墓の前にゆく。
ーーねぇ、私のこと見えてるんでしょ。
雪が墓に積もっていたので払ってやり、祖母に手を合わせる。
ーーねぇねぇ、無視したってわかるんだから。さっき目があったんだから、絶対見えてるでしょ。
祖母に思いを馳せる。あの人もこういった者の対処をしていた。その心労を思うと心が痛む。
俺のことも最後まで気にかけてくれたことも覚えている。
ーーねぇ、あんた。
「うっせぇ」
我慢ならず叫んでしまった。
すぐさま周囲に人がいないか伺う。そうでなければ突然叫んでしまったイタイやつなってしまう。
「ほら、聞こえてんじゃん」
ふふふと笑いながら、終始俺の周りを漂う。
この少女の正体は、まさしく幽霊。
黒と白の砂利になっている上に足を下ろさずに、浮くだけしかできない世に残された哀れな子供。俺にはどうしようもないから、睨みつけて追い返すしかない。
「そんなに睨まないでよね」
祖母から教わったのは、幽霊にかかわるなということだ。辛くなるから、なんて悲しそうに幼いころの俺に教えていた。それがまだ俺の中で息づいている。
「見えてるんならさ、頼みたいことがあるんだ」
「受け入れられない。お前らとかかわると碌なことがないしな」
「私、黄色い熊って書いて黄色熊って呼ぶんだけどね」
「だから……」と、俺は少女を見ると、近くに顔がありぎょっとしてしまう。
少女の頬は涙で濡れていた。
心が揺れた。少女は涙を流している。俺の二歳も三歳も下の女の子が流し続けている。足がなく、ただこの世にさまよい続けながら。
もしかしたら祖母もそうだったのかもしれない。未だに会えない祖母をこの期に及んで浮かべてしまっては世話がないが。
「ぶぶー。もう手遅れ。私は、あなたにとり憑いちゃいました」
さすがに鬱陶しくなって早めに切り上げる。寒くって水やなにやらを持ってきていないから、すぐに墓から立ち去れた。
雪が知らないうちに頭に降り積もる。肩にもかかる。白い綿毛が飛んでいるように宙に浮かぶ。魂が漂うように。だが実際の幽霊はさっきの少女のように人間の姿で漂っているだけ。
成仏すれば光の玉となり天に上るが、それ以外は俺に害しか及ぼさなかった。突然知らない男の顔が近くにあったり、気味が悪い場所があって気分を悪くしたり、気が触れるたびに倒れるものだから病弱だとされていじめられてもきた。
祖母だけがそんな俺のことを理解してくれた。だが、祖母の霊は未だに俺の前に現れてはくれない。とっくの昔に俺のことを見限ってしまい天に昇ってしまったのかもしれない。
歩くと、雪と砂利のごつごつした感触が足に当たった。
墓の周辺に居つく地縛霊を無視して歩く。地縛霊は気が濃い。
影の濃さや、人間なのかと思うほどの濃さを保って墓に居ついている。だが、そのどれもこの寺を守っているようで悪い感じはしなかった。
祖母の墓がある寺を出ると、門に張っていた寺の住職らしい男が笑みを浮かばせていた。仏のような御仁だ。さっきの少女の霊のようにまとわりつくでもなく見送る。
「いってらっしゃい」
そうして俺の後ろの誰かに声をかける。
後ろ?
と、自分の言葉に疑いを持つ。途端、体全体に重しを乗せられたような感覚に陥る。先ほどまで身軽だった体が思うように動かせない。全身の毛が逆立つ。
「いってきます」少女の元気な声聞こえる。
まさかと思い、振り返るとやはり居た。
先ほどまで濡れていた頬はすっきりと晴れている。みつあみをさらりとほどき、俺の背中から飛び乗る。足は俺に重ねる。湿った足にもかすかだが誰かの体を自分のものとして操作している違和感を持つ。
瞬時に手首に巻く数珠を少女にやろうとするが、少女が手首に手を添える。
「そんなもの、私にはきかないよー。そんじょそこらの霊とは思いの強さが違うからね」
悪戯に微笑む彼女。きっと偽名だろう黄色熊。そんな事故のような出会いをしておいて、彼女は全くと言っていいほど悪意は感じられず、どこまでも純粋な瞳でこちらを見てくる。
快活さに加え、奥の奥にはきっと命乞いをすようなひたむきな助けを請うそんな姿勢に危機感を覚えた。
祖母は言った。
『関わってはいけない』
それでも少女は頬を赤らめて、また涙を浮かばせる。そして頼むのだろう。
「聞いて」
俺は取り払おうにも取り払えず、少女の頼みに頷くしかなかった。