視認
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
あたしが一礼して崩れた城門をくぐったら、三人に怪訝な顔で見られた。
いちおうの礼と謝罪なんだけどなぁ。
お邪魔します、というご挨拶と、命を懸けて国を守る攻防を繰り広げた城砦に勝手に踏み込んで、これからアジト予定地というか、出撃拠点にすることへのお詫び。自己満足だけど。
かつての壮大さを名残のようにとどめた門の欠片をよけながら入っていくと、大広間とおぼしき空間はすっぽりと天井が抜け、霧が好きなように入り込んでいた。
せっかく湿地帯の中でも高いところにあるのに、これだけ湿気てると過ごしづらいなー。
あたしは魔術陣を一個取り出すと、広間の真ん中に置いた。
「シルウェステル師、それはいったい?」
見てのお楽しみ。いいから、ちょっとコッシニアさんも下がって下がって。
ジェスチャーで距離をとってもらい、あたしも離れる。
と、ぼっと炎が吹き上がった。
よし。不具合もないみたいだし、いちおうは成功と見ていいだろう。
「道中作られていたのはこれですか?」
いかにも。
球状にした魔術陣は、最初に術式を固形化して遊んでた一文字式に近い。
魔力吸収陣と連結しているけど、効果は地味な『発火』のみ。火球なんてもんは出しません。
ただし、条件式には『周囲直径1m以内に人間程度からそれ以上の魔力を発する存在がいない場合』を含ませてある。もちろん単位はあたしのてけとー概算なんだけどね。
正直なところ使い捨て上等レベルの構造な上に、こんな野宿の場所では、湿気りまくったこの環境でもちゃんと点火する、ちょっと便利なマッチの代用ぐらいにしかならないものだ。
ほっときゃ数時間燃え続けるけどね。
だが、あたしはこれの発火時間をいじりまくったバージョンを今晩中に大量生産し、できあがったものを全部、ルンピートゥルアンサ副伯領都アルボーの街に潜入する気満々のアロイスにこれは渡すつもりでいる。
放火用として。
人や馬なんかの生物が近くにいれば発火しないというのは、火事に巻き込まれる被害をある程度は防ぎたいという、ちょっとした優しさなつもりだ。
もちろん、アロイスがしかけて立ち去る時間を稼ぐ遅発性を確保してるという意味もあるけどね。
投石帯でばらまいて陽動や攪乱に使うも良し、領主の館へ通じる主要な道を封鎖するにも良し。使い道はアロイス次第で無限大である。
王子サマのご注文は、あくまでも『ルンピートゥルアンサ副伯爵家の面々の身柄ないしは首』である。
生死は問わないと言ってくれたので、手加減無用でいけるのはありがたいけど。なんだかなー……。
いやいや人のことは言えないか。あたしもさらに目的を追加してるし。
『スクトゥム帝国の密偵たちの排除』というヤツな。
その『排除』という言葉には『殺す』、という意味合いを含んでいることは否定しない。
だけど、それ以外のルンピートゥルアンサ副伯領に住んでる人たち、スクトゥム帝国とのつながりがない民には被害を出したくない。
なので、一時的にも彼らを領地から退去させられるものならばできないかとあれこれ考えたのだが、二重の意味でできなかったのだ。
まず、誰が命令出すのさという意味でだ。
王サマが命令を出したとしても、ルンピートゥルアンサ副伯領は副伯爵の領地なのだ。領内においては、王サマの命令と領主たる副伯爵の命令では、副伯爵の命令の方が優先されてもおかしくはないのだ。
そして、ルンピートゥルアンサ副伯は自分の領地がやばいからといって、共倒れさせないために領民たちだけ逃がすなんてことは考えないお人柄らしい。下手すればこっちに対する人の盾にでも使うんじゃね?とは、王都で仕入れてきた密偵さん情報である。
次に、そんな命令を出したら勘ぐられるという意味がある。
王サマの危険勧告とか命令を出した段階で、なんかしかけてくるだろうと向こうが感づかないわけがない。
ピノース河が氾濫するぞーという噂を流すという手も考えたのだが、それも誰が流すんだというね。
密偵しに行って捕まってるタクススさんを救助するという目的もあるのに、さらに密偵さんを送り込んで噂を流せばさらに捕まるだけでしょが。
ビラを川越しに投げ込んで、風の魔術でアルボーにだけでも撒き散らす、という手も考えましたけどね。
考えただけですが!
活版印刷技術がないのか普及してないのか、ともかくそこそこの数のビラを手に入れようとすると、それなりに時間とお金がかかるんだそうな。
加えて識字率の低さが大きな壁ということでアウト。
ならば幻術の派生で声を録音して流せないかとか、それを魔術陣にできないかとも思ったのだが、アーノセノウスさんもマールティウスくんも幻術は使えず、あたしに幻術を教えてくれる人材が魔術学院の導師でも引っ張り込んでこない限りおらんということ、そして魔術陣を作るにせよ幻術の解析から始めなきゃならんということで、こちらも残念ながらタイムアウト。
結果として、あたしたちの中で一番ゲリラ活動に向いているアロイスを単身送り込み、アルボー内部からの破壊活動にいそしんでもらおうということになっている。
せいぜい派手に暴れてもらって、無辜の領民の方々には怯えて近隣のボヌスヴェルトゥム辺境伯の寄子たちの領や、ユーグラーンスの森近くの村まで逃げ込んでもらおうという作戦です。
そこまで行けば、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家としても身内に発生した災害だもの、いくら内輪揉めに励んでても救援活動するでしょうよと。むしろ仲違いが激しければ激しいほど、思考能力があれば救援の手を出すだろう。今後の統率のために恩を積極的に売りに行くためだ。
あたしはアロイスのサポート兼、ピノース河を使っての外部からのアルボー破壊活動担当。
ヴィーリはユーグラーンスの森にまで破壊の余波が届かないように守るのがメインなんじゃないかな。守ると言ってたから。
コッシニアさんは監督官なので、あたしたちのやらかすことを見守ってもらう……という名目で、アルベルトゥスくんともども後方支援っぽく動いてもらう予定である。
いくら魔術が使えても、サバイバル技術が高くても、生身の強さでは魔術師二人はアロイスに劣る。直接その身を危険にさらすわけにはいかない。
その身体能力をカバーできるほどの魔術があたし並みに使えるかというと、これまた微妙なところだしねー……。
コッシニアさんは身体強化が使えるが、それとてもともとの身体能力の上限つきな底上げにしかならないんだそうな。
魔術と併用さえすれば、そのへんのごろつき相手だったら、彼女は軽く五六人くらいは近接戦闘の距離でもあしらえるそうだ。
だけど、筋肉むっきむきになるような方向で身体を鍛えていない以上、後でその身に返ってくるダメージを無視して身体強化を最大限かけたとしても、カシアスのおっちゃんと打ち合えば一撃で跳ね飛ばされるレベルなんだとか。アロイス相手でも、戦闘技術がまるで大人と子どもぐらいに違うせいで、するっと押さえ込まれるらしい。
結論として、騎士レベルの相手をさせるのは無理。
敏捷性と知覚能力が上昇しているというのは、不利な状況からの逃走にはとっても有利なんだけどね。
ちなみに、火は氾濫予定のピノース河側から発生するようにしてもらう予定です。
そうしないと火と水に挟まれて、罪もない領民とかタクススさんとかが死にかねないから。
発火そのものは魔術陣である以上、術式破壊ができるような凄腕魔術師がいたら相殺されてしまうようなものなんだけど、そこから延焼した火はあくまでも物理的な火だ。術式破壊じゃなくて水や砂をかけないと消えない。
だけど、そうすると今度はアロイスがこっちに逃げ戻れなくなりかねんのだよね。
いざとなったらあたしが水弾をぶつけて、炎の壁に穴を開けるつもりじゃいるが、それだと追っ手もついてきかねんというのがちょい不安だ。
アルボーの内奥部にまで踏み込んだなら、いっそのことベーブラ河までアルボー近郊を横断するか、ユーグラーンスの森まで逃げてヴィーリと合流するか、海へ逃げてボヌスヴェルトゥム辺境伯領へ行くかを考えた方が現実的だ。
だけどアロイスは泳げないんだそうな。
……水際まで逃げられてもその後がダメじゃん。
もちろん、あたしもあたしで対策を考えてないわけじゃないけどね。アロイスを生かして戻ってこさせるために。
放火術式で熱せられた床が乾いたところを見計らって、あたしたちは馬たちから荷物を下ろし、鞍を外してやった。
といっても重いものはほとんどアロイスがやってくれたので、あたしが下ろしたのはシルウェステルさんの杖とヴィーリから預かった枝以外は、鞍の上に乗せてたクッションぐらいなものだ。
馬たちの負担を減らすためなら、最初から鞍を乗せなければいいのだよね。それだけでもかなり重いから。
あたしみたく荷物扱いならば、むしろその方が馬たちには楽なんだろう。
だけど尾骨でブスる可能性を考えちゃうとねー。悩ましいもんである。
馬たちから手綱やハミも全部外してやると、あたしは大広間の外、ちょっと大きく壁が崩落したところにさらに石を生成して、馬一頭がぐるりと向きを変えられるくらいの台を作った。
(レムレ、おいでー。綺麗にしたげる)
(なに?ブラシ?)
……台に乗ってもらってあらためて気づいたんだが、予想よりもひどいねこれ。
足どころか腹まで泥はねだらけだ。泥を落とすなら乾燥させてからブラシをかけるよりもこっちの方がいいか。
あたしはレムレの蹄に水をかけながら、じわじわお湯にしていった。気持ちいい、という心話が来たところで、ざーっと全身にかけてやる。
毛の硬いブラシを手に待ち構えていたアロイスが手際よく泥をこすり落とす。……えらく和んだ顔ですねレムレ。耳までへにょんと横に倒してるとか。そこまで気分良かったか。
綺麗に洗い流してやったところで、またあたしの出番である。ほどよく温度を上げた微風を超大型ドライヤー代わりにばーっとかけて全身乾燥。
よし、いっちょあがり。
最初は何事かと見ていたアルベルトゥスくんとコッシニアさんも、何をすればいいのかすぐ飲み込んだようで、流れ作業の効率はとてもよくなった。
当然のことながら、馬たちは自分で自分の身体を拭けない。自分の汗でさえびしょ濡れのままでいると体調を崩すのだ、こんな寒くなってきたところで冷たい泥塗れにしておくわけにはいかんのですよ。
綺麗になったところで大広間の中へ入れてやり、餌袋を耳にかけてやると、機嫌良くご飯タイムである。
「シルウェステル師は馬の気持ちがよくおわかりになるのですね」
感心したようにコッシニアさんに言われてしまったが、それは彼らの方から心を寄せてくれるからだ。
魔術師は魔力の大きさで例外なく動物には警戒されるそうで、コッシニアさんもアルベルトゥスくんも動物に懐かれたことはないらしい。
けれども今回借り出してきたのは、軍馬としての訓練を受けてる子たちだ。
軍馬は慣れないものに対して最初こそ警戒はするが、ちゃんとどういう存在か理解すれば納得して付き合ってくれる。そこは、カシアスのおっちゃんたちが乗ってたクライやブレイたちで実証済みだ。
コルやレムレたちもブラッシング好きのいい子たちなんである。これだけ世話したげたんだから、きっとコッシニアさんやアルベルトゥスくんにも懐いてくれることだろう。ブラッシングをせがまれるだろうけど。
馬たちのお世話が住んだところで、あたしはアルベルトゥスくんと砦の内外を歩き回ることにした。
アルベルトゥスくんがしたがってた、お骨拾いのためである。
この砦の、かつての構造を知っているのはアルベルトゥスくん一人だ。歩き回るくらいなら彼一人でも大丈夫、というか単独行動ができるのは彼一人だけなんだけど、この状況下だとせめてツーマンセルぐらいは常時組んでおきたい。危険があるのかないのかすらよくわかんないんだもの。
その一方でコッシニアさんとアロイスには、休息かたがた魔力操作による身体強化技術の教授をしてもらうよう伝えてある。
アロイスの生還確率を上げるためにも重要なのだよコレ。
あたしも教えられなくもないが、さすがにアルベルトゥスくんの付き添いと同時にできませんて。
分身の術は未習得です。この世界にあるのかないのかすらわからん術だけどな。
それに、魔力の操作を教えるには、師匠が弟子に触れてなきゃいかんのですよ。あたしの骨の手がぺたぺた触ってたら、またもやアロイスが死体恐怖症を発症しかねん。
ならばいっそこの機会にどんどんとコッシニアさんとの仲を近づけてやろうじゃないの、という目論見です。
砦もあちこちが崩れまくっていたので、シンボル的な意味合いがあるという尖塔も無事ではない。
とはいえ、そのうちの一つはだいぶしっかりとした感じで残っていた。さすがに無傷じゃなかったけど。
アルベルトゥスくんに上ってもいいかと筆談で聞いたら目を丸くされた。
「そのようなことをお聞きにならずとも。わたしの砦ではございませんし」
『だが、アルベルトゥス。そなたが守ろうとした砦なのだろう?そしてわたしは一夜の宿を借りる、ただの客に過ぎぬ』
邪魔者とも言うがな!
だけど、そう書くと、アルベルトゥスくんは、なんとも言い難い顔をしてしまった。
「ジュラニツハスタでは、魔術士というものの評価はさほど高いものではございません。成り上がりの平民としか扱われず、貴族を守る盾代わりに魔力を使い果たす道具のようなもの。わたくしの献策をマレアキュリス伯が受け入れられたのも、わたくしが魔術学院でそれなりの研究成果を出していたからではございません。おそらくは、無数とも見えましたランシアインペトゥルスの魔術士団に囲まれ、打つ手にお困りになったゆえ、魔術士には魔術士と思われただけのことかと推察いたします。わたくしが守ろうとした、などとシルウェステル師におっしゃられるようなものではございません」
そんな裏事情があったのか。だけど、アルベルトゥスくんがこの砦を攻め手から守っていたのは確かだろうに。
「……それに、わたくしは守ることすらできなかったのですから……」
…………。
意図ではなく結果で見れば、それはそうだよね。否定できん。
わ、話題を変えよう。
『身体の具合はどうだ。疲れてはおらぬか』
生身な三人組の中では、どうやらアルベルトゥスくんがもっとも体力がないらしい。石化のせいで魔力切れを起こしやすいこともあるのだろう。
「あ、はい。お気遣いを頂きましてありがとうございます。この湿地に入ってからは身体が楽です。まるで石化する以前のようです」
このへんは大気中の魔力も濃密なせいかな。
……なるほど、周囲の魔力が濃いと過放出状態になってる魔力を押さえ込んでくれる上に、ヴィーリ式魔力量増強方法がやりやすいのか。
あたしが魔力を回復して元気になってるのとおんなじ理屈だ。
ようこそ、アルベルトゥスくん。人外の世界へ、って違うか。
……それにしても、この砦は丈夫な上につくづく攻めづらい造りになっている。
気象条件は攻防互角に見えて、実は防御側が断然有利だ。なにせ砦の中なら暖房も効く。
湿地は火を焚くのも一苦労だろうし、加えて攻城兵器の定番である投石器や破城槌なんてもんも、自重で沈むからすぐに動かせなくなる。てか、バランスが崩れたら転倒一直線よ。立て直すどころか、その下敷きにならないよう逃げるのだって足を取られるようじゃなあ。
火矢にしたって、でかい石の上部に彫り込まれた砦の開口部に運良く――あるいは運悪く――命中したところですぐに消火されてしまうだろう。魔術士団の火球だって効果は半減以下だ。
そもそも攻め手の足場が悪すぎるのよ、ここ。
安定させようにも、その材料をいったいどこから持ってくればいい。
湿地に敷かれる道と言えば木道がぱっと思いつくけどさ。
その材木だって、馬の腹どころか鞍上ぐらいまで隠すような草しか生えていないこの湿原では手の入れようがない。
ピノース側の支流を埋める前に上流から流して持ってくる、というのも、大量にはできないだろうなー。
こんな、攻めるコストが莫迦高い砦なんて、あたしならほっとくね!
んで、辛抱切らして守ってた兵が湿地から出てきたところで、野戦か海戦に持ち込む。
そうでもしなきゃやっとられんわ。
……そりゃあ、包囲されて水運潰された段階で、あっさりと白旗上げても偽装工作かと疑われるわなー……。
備蓄さえしっかりしていて、湿気による健康被害が出なけりゃ難攻不落といってもいいだろう。
飲み水の問題だって、アルベルトゥスくんたち魔術士がいたのなら、あっさり解決しちゃうもんね。
アルベルトゥスくんたちの不幸は、マレアキュリス伯とかいう指揮官が、国と国との勢力の違いを見極める戦略的な目は持っていたかもしらんが、戦術的な目がなかった、その一言に集約されるのかもしれない。
いくつもの床が抜け、がらんどうの筒状になった城塔も、壁と一体化した階段だけは石造りなせいで、ちゃんと形を残している。
気をつけながらかつかつと塔を登り、城壁の上に出たら、そこにも何体か骨が横たわっていた。
ちょっとぎょっとする。
……同族嫌悪ゆーな。
もちろんそれらの遺骨も回収する。
アルベルトゥスくんが、だけど。
あたしも手伝おうとしたんだけど断られたんだよね。これは彼の贖罪なんだそうな。
そう言われてしまえば、あたしにできることは見守ることぐらいなものだ。
多分にランシアインペトゥルスの戦士たちの骨も含まれているんだろうけど、それらすべてを遺族の元に返してやることはできないだろう、ということでアロイスたちとも意見は一致している。
どっかへまとめて弔うぐらいしかできないよねと。
というわけで、砦の影、壮大な尖塔の先端が斜めに刺さってた脇に穴を魔術で掘り、そこに集めたお骨を葬ることにした。
影になってるところは土が硬化してなかったので掘りやすく、目印になるものがあったから、という身も蓋もない理由による。
一体や二体のお骨ではないので、大雑把な作業になるのはご容赦願いたいもんである。
とはいえ。
贖罪はすませた以上、なんらかの区切りはついてそうなものなんだが、アルベルトゥスくんが妙な表情のままなんだよねー。
どうしたのかと筆談で聞いてみたら、穴を掘った近くにあった灌木の茂みがおかしいという。
湿地も端っこの方では木々が生い茂っていたが、この辺までくると植生も変わる。生えているのは草ばかり、確かに木は珍しい。でもおかしいというほどではないと思うんだけどなぁ?
首の骨をかしげていたら、アルベルトゥスくんが理由を説明してくれた。
晩秋においしいベリー系の実をつける木々らしいのだが、実が一個もないんだそうな。
……そりゃ残念。としかあたしにゃ言えないんだけど、何がおかしいのかな?
実がないのは、この湿地帯にも生き物が生息しているからじゃないの?
鳥とか。
「霧の深いあたりに飛ぶ鳥は少ないのですが……」
じゃあほかの動物がいるのかもねー。『白き死』なんて物騒な二つ名ついた魔物もいるとかいうしねー。
動物でも魔物であっても、ベリー系を食べる草食動物系ならありがたい。食性的な意味合いで肉食な相手より、少しは生身組も安心できるだろう。
万一、フェルムルシデとか言ったっけ、あの牙がにょきーんと伸びた森のくまさん(仮)みたいな相手だったら。……まあ、テリトリーに入り込んだあたしたちに非があるとはいえ、もれなく肉祭りの主賓になっていただくしかないだろうなー……。あらかじめ冥福を祈っとこう。南無。
大広間へ戻ると、アロイスとコッシニアさんが料理を作ってくれていた。
といっても、持ってきた乾し肉を魔術で構築した薄手の鍋で煮込んだスープと、チーズとパンという組み合わせだ。
でもまあ温かいものというのはそれだけでもごちそうだよね。うん。あたしゃこの身体になってから食べたことないけど。
かなり遅めの昼食を手早くすませながらアルベルトゥスくんが見てきたことを報告すると、アロイスやコッシニアさんも首をかしげた。
「ここはかなり魔力が濃いのですが?魔力だまりになっているようなところに、わざわざ近づくような動物がいるのでしょうか?」
「一時迷い込んだだけかもしれませんが」
どっちだろねー。
なにせ、それ以外の痕跡らしい痕跡が見当たらなかったのでなんとも言えんのだよ。
全方位が泥濘という湿地帯も面倒だが、硬化した地面というのも存外厄介だ。足跡すら残んないんだもん。
「シルウェステル師は塔にも上られたのでしょう。周囲の様子はいかがでしたか」
残っていた尖塔は20mぐらいの低いものだったが、それでもてっぺんまで上れば視点が上がる。
とはいえ、この霧のせいでよくは見えなかった、というのがなんともしょっぱい結果になった。
確かにあたしの魔力による疑似視覚は、やりようによっちゃ扉ぐらいはあっさり透過できる。だけどそれは静止している物体だから、というのが案外大きいってことを初めて知った。微細な水の粒子が刻々と移動する霧が相手では、魔力も散乱するから見えづらいとか盲点過ぎるでしょうよー。
しょうがないから風で吹き飛ばしてみたけど。
吹き飛ばしてから失敗したかなと思ったけど!
なにせこちらから向こうが見えるということは、向こうからこちらも見ようと思えば見えるということだ。ここは人なぞめったに踏み込まぬ湿地の廃砦。人がいたとか気づかれたらやばいでしょー。
そのことに気づいてから、速攻塔の影に隠れて、また風で霧を舞い上げてみたけどさぁ。
「さほど気になされることはないかと。そもそもアルボーの眼は海か河口に向いております」
「それにもう日没が近いですし、そのお召し物の色なら、たとえ見られたとしても霧のいたずらで塔に影が差したようにしか思われませんでしょう」
「コッシニアさまのおっしゃる通りと存じます。それに、真偽を確かめにわざわざ湿地に踏み入る者もおりますまい。で、」
アロイスはにやりと笑った。
「何か面白いものでもご覧になったのでは?」
幾筋もの水脈が湿地を蛇行し、それがふっと途切れた向こうは……海だった。
この世界に来てから初めて見た海は鉛色に染まり、白く風を削り落とすような波がたっていた。
視界を北東に向ければ、大きな港町が見えた。あたしがアルボーを視認した瞬間だった。
もうぽつぽつと灯りが灯された領港は、河口の先端にある巨大なかがり火――灯台なのかなあれ――がなくても、ずいぶんとにぎやかに明るかった。深沈と夜闇に沈んでいたユーグラーンスの森とは対照的だった。
ピノース河の河口に作られたというが、ずいぶんと州が発達していて河口というより水路のようだった。
なんかむこうの世界でもこういう街の構造を見た気がするよ。
あたしが見たアルボーの様子を砂で描くと、アロイスが事細かくどこに何があるのかを教えてくれた。
ゆるくカーブを描いた河口の先端に見えた灯りは灯台ではない。領主の屋敷だという。
なんだその高潮に対する警戒心のなさ。
と思ったが、かつてのルンピートゥルアンサ副伯領に入り込んだ密偵さんから得た情報では、波打ち際から入り江のように小高い丘になっているんだそうな。その根元全部が岩なのは、もともと大きな岩塊があったところに、初代ルンピートゥルアンサ副伯爵が城砦の地盤を築くのに、魔術師を雇って岩盤を上乗せで構築したせいなんだとか。
6mぐらいの高さがあるって、がんばったねー魔術師さん。
もちろん領主屋敷からアルボー内陸部へと通じる道はあるものの、屋敷よりも低いところにあるため、高潮がひどいときには完全に姿を消してしまうこともあるんだとか。いいこと聞いた。
(では、潮が引くまでの間にもしかけをしておくことにしよう)
「期待しておりますよ」
あたしも表情筋があれば似たようなわっるい笑顔になっていたことだろう。だが若干コッシニアさんが引いてるぞアロイス。
骨っ子はいろいろ悪巧み最中のようです。
別連載の方もよろしくお願いいたします。
「無名抄」 https://ncode.syosetu.com/n0374ff/
和風ファンタジー系です。
こちらもご興味をもたれましたら、是非御一読のほどを。
ちょい詰まってますが、なんとかがんばって更新を続けていきたいと思います。応援よろしくお願いいたします。




