閑話 棘
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
「……『以上のことから、アーノセノウス兄上には、サンディーカ・フェロウィクトーリアどの――次期アダマスピカ女副伯――と、その妹、コッシニア・フェロウィクトーリア嬢へ、さらなる期限付きの庇護を願いたい。けなげな乙女たちに惻隠の情を覚えたこともあるが、今後のルンピートゥルアンサ副伯爵家対策を推し進めるためにも、ユーグラーンスの森の一部までを領地としているアダマスピカ副伯爵家に協力を求めるための先行投資としてみていただきたい』か。生前と変わらず容赦ないな、彩火伯の弟君は」
揶揄するようなクウィントゥス王弟殿下のまなざしを受け、アーノセノウスは苦笑した。
机上にはアーノセノウス宛に届いたルーチェットピラ魔術伯マールティウスからの分厚い手紙が開かれている。
マールティウスの代筆により書かれていたのは、アダマスピカ副伯爵家の生存者についてだけではない。
グラミィによれば、という但し書き付きなのはアーノセノウスにはやや受け入れがたいことだったようだが、次期アダマスピカ女副伯が子に恵まれなかった理由について、『サンディーカどのが、豊穣の女神フェルティリターテの加護を得られなかったためではなく、むしろ離縁を受諾したペリグリーヌスピカ城伯が加護を失っていると思われるふしがある』という一文は、彼らには想像すらしがたい驚きであった。
この内容が正しければ、サンディーカがフェロウィクトーリア家の当主となり、アダマスピカ副伯爵位を継承するにあたり想定される中でも最も大きな障害の一つが消えたことを意味する。
継承者のいない家は、寄親に取り潰されても、他の家からの養子を迎え入れるよう命じられ、そこで一族の血が絶えたとしても文句は言えない。
強い血のつながりこそ貴族社会にあっては領地の安定した支配には欠かせないものの一部であるからだ。
それゆえ、当主は妊娠や出産で体調を崩す女性よりも、相手さえいれば子を残しやすい男性であることが多く、貴族女性は多産であることを求められる。
彼女たちの中には、今のサンディーカよりも高齢で出産したものもいないわけではないのだ。サンディーカとてその手に我が子を抱くこともありうる。
だが、それもこれも再婚したのちのこと、相手次第のことではあるのだろうが。
カシアスとアロイスについては、『いまだにかつての主家であるアダマスピカ副伯爵家、ひいては二人の御令嬢に多大なる思い入れがあることなみなみならず。ゆえに、このままお二人が通常任務に戻ったところで、古巣ならびに二人の淑女へ熱情を寄せ続けるだろうことは明白かと。むろん、それゆえに任務をおろそかにするような方々ではないが』と分析されていた。
しかも、その上で、『提案として』カシアスとアロイスに、『ルンピートゥルアンサ副伯爵家攻略に関する任務終了後も、アダマスピカ副伯爵家および御令嬢がたへの庇護を含む任務、またそれにみあう地位などを与えることで、お二方は今後も王弟殿下への忠誠を存分に、今まで以上に、尽くされることでしょう』と、今後の人材運用方法についてまで綴られていたのには、クウィントゥスも唸るしかなかった。
『……これらの事はあくまでも骸骨が愚考による試案にすぎぬものでございます。すべては国王陛下と王弟殿下の御心のままに。なお、カシアスどのとアロイスどのには特に内密にお願い申し上げます』と締めくくられていた一葉を放り出し、クウィントゥスは楽しげに笑った。
「さすがはシルウェステル。ルンピートゥルアンサ副伯爵家の始末をつけた後のことまですでに考えているとはな」
さらりと言及するあたり、おそらくはすでに兄上、いや国王陛下に話を通していることも読まれているのだろう。
空いた領地を統治するにも、ルンピートゥルアンサ副伯領のように人気の荒い、一筋縄ではいかぬ領地になど、凡才を送り込んだとて、こちらが想定している敵の手駒を増やすだけのことにもなりかねないことも。
だからこそ、裏事情にも通じ、なおかつ相応の実力を持った者を送り込み、統治者として据える必要があることもだ。
「だが、よもやアロイスかカシアス、どちらかにルンピートゥルアンサ副伯領をくれてやろうというところまで見抜いていたとは!本当に驚かされるな。しかも、『ボニーと仮の名で呼ばれるこの骸骨、及びグラミィと名乗る老婆、ヴィーリと名乗る森精も当該事項に確かに深く関わりはしたが、以前殿下にご了承いただいた条件の履行以外は不要にございます。生身のアロイスどのやカシアスどのこそ、名誉も報酬も必要ではないでしょうか』だと。……相変わらず、我が軛を軽々には受けてくれんようだな」
余計な報償で、さらにこき使われるのはまっぴらごめんというわけなのだろう。
「ですが、そうもまいりませぬ」
「確かにな。テルティウス兄上と港湾伯の容態を考えると、シルウェステルをまた表舞台に引きずり出さねばならぬ。そのことは、どうやらある程度は、当のシルウェステルも承知の上のようだ」
クウィントゥスは、今度はマールティウス本人からの手紙を取り上げた。
手紙というよりも報告書に近いが、ボニーという偽名でルーチェットピラ魔術伯爵家の屋敷に滞在中のあの骸骨の振る舞いが、真面目なマールティウスの性格を思わせるように、じつに細かく綴られている。
それによれば、読み書きの学び直しも順調であると推察される。
判断理由としては、宮廷作法にのっとった言い回しを用い、すべて古典文字で書かれたアーノセノウスに送らせた書状も、比較的すらすらと読み下していたこと。
読み終わるなり、返答についてマールティウスに代筆を求めたこと。
代筆を魔術伯爵家の当主に求めるという、一見どうかと思われる行動にも理由があるようだ。
表向きは込み入った事柄を書くにあたって誤りがないようにしたいということだったものの、代筆という形でマールティウスに『アーノセノウスへの依頼』と『クウィントゥスへの提案』の内容を知らせることで、『ルーチェットピラ魔術伯に政略的行動の自由を与えておく』べきとの意図があったように見受けられたとのこと。
アダマスピカ副伯爵家の淑女たちの庇護は、ルーチェットピラ魔術伯爵家として行うべきではないか、とあえて質問をしてみたところ『今後も継続的にルーチェットピラ魔術伯爵家からアダマスピカ副伯爵家へ庇護を与えた場合、かの家の寄親であるボヌスヴェルトゥム辺境伯家との関係の変化についてどのようなものが想定されるか』と問われ、『アーノセノウス兄上への依頼としたのは、それ以上の重荷をルーチェットピラ魔術伯爵家が負わないためにも必要』と諭されたことが推測の裏付けとして示されていた。
さらに、庇護よりも、サンディーカとコッシニア、グラミィに登城用のドレスの用意が早急に必要であると求められたこと。
なぜグラミィも登城させるのかという問いには『兄上に屍繰術師の汚名を着せるわけにはいかぬ』と、やや意味不明ともとれる答えが返ってきたとのこと。
その一方で、『自身も宮廷作法を覚え直しておきたい』という要望があったため、クラウスに指導させているとのこと。
この行動を見るに、アーノセノウスに書状をシルウェステルへ送らせた意図も、はっきりと伝わっているようだ。
そして、彼が王宮に髑髏を曝すことの意味もだ。
ならば、使える者は死者であろうが骸骨であろうが使って使って使い抜くのがランシアインペトゥルスの王族である。
ではあるのだ。が。
「彩火伯。そなたには、すまぬことをしていると理解している」
思いもかけぬ王弟殿下の言葉に、アーノセノウスは目をしばたいた。
「老骨に鞭打ってでもと、かつてそなたは言った。だが、そなたは生者だ。生ける者に命を下す権限は王に、そして王につらなる者としてこの身にもある。生ける限り、国のため、老骨であろうと砕けるまで鞭打て、一つしかない命を捧げよと時には命ずることとてあろう。なれども、一度はその命を我が命に捧げてくれた死者、シルウェステルまで頼まねばならぬのは、この身の非力ゆえのことだ。シルウェステルを愛しむそなたに対し、気が咎めてならぬ」
「いいえ、クウィントゥス殿下。どうぞ顔を上げてくださいますよう。わたくしは殿下に感謝いたしておりますよ」
「感謝、とは?」
先のルーチェットピラ魔術伯はじんわりと笑みを浮かべていた。
「シルは、確かによい子でありました。つねによい子であり続けました。ですから、殿下の招聘を受け、また魔術学院の導師となって、あの子が屋敷を出ていった時に、わたくしは思い知らされたのですよ」
「何をだ」
「わたくしが、シルを不憫な子、愛しきもの、何よりも庇護が必要なるものとしか見ておりませなんだことを、に、ございます」
まじまじと見つめるクウィントゥスに、アーノセノウスは苦笑を返した。
「愚かでございましょう?それまで何よりも身近にいたというに、この手で魔術を教えたというに、わたくしは我が手で我が目を覆い隠し、あの子が羽を揃え、魔術師としても強き者、私に負けず劣らず巧者となっていたことも見てはいなかったのですよ。それだけではございません。あの子は深く物事を見通し、ルーチェットピラ魔術伯爵家全体のことを、そしてマールティウスの心までも思いやったからこそ、屋敷を出たのだということも、最初はわかりませなんだ」
なれど、とアーノセノウスはつぶやいた。
「殿下より与えられた任務に従うシルは、少なくとも不幸ではございませんでした。わたくしの父が庶子として、愛情という名の鎖で雁字搦めに縛り付け、ルーチェットピラ魔術伯爵家の内で我らにひたすら庇護という名目で飼い殺しにされるより。むしろ天空を存分に舞い、獲物を仕留めては殿下の拳に戻ってくるグリュプスのような生き方の方が合っていたのでございましょう」
殿下に従うあの子は、じつに晴れやかな顔をしておりました、とアーノセノウスは頭を垂れた。
「あの子を真に活かしてくださった殿下が、死してなおお目をかけてくださることを幸いに存じこそすれ、何条もってお恨み申し上げましょうか」
「……そうか。では、もう詫び言はなしだ」
クウィントゥスは軽く顔をこすると、あらためてマールティウスからの報告書を取り上げた。
コッシニアが魔術師としても優秀であり、なかなかの異才であること、それゆえ魔術士団に目をつけられる可能性が高いという警告をシルウェステルより受けたことや、サンディーカとコッシニアの対面の様子といった、アダマスピカ副伯爵家に関することばかりではない。
ヴィーリと名乗る森精に警戒を示したコッシニアやプレシオが、歯牙にもかけてもらえなかったこと。
アロイスへの助力として、シルウェステルが神聖決闘に使われた小剣に『騎士でも魔術の効果を発揮できるように組み上げた魔術陣を仕込んだ』こと。
実際に決闘に使われた術式以外にも、何種類か利用可能な魔術陣をすでに構築していることを明かされたこと。
「……わたくしも王猟地からは同道しておりましたが。よもやシルが、この短時間のうちに幾種類もの魔術陣を独力で組み上げるとは思いもよらないことでございました」
「このようなことをしでかされるとなると、やはりシルウェステルの手を離すわけにはいかん」
魔術師よりも魔力が乏しいはずの騎士が、戦闘中という集中力を割いた状態でもたやすく使用できるほど完成度の高い魔術陣。
そのようなものが世に広まれば、魔術師と騎士の関係は、騎士が優位の側に大きく天秤が傾くだろう。魔術師の意義、魔術学院の意味すら大きく変わらざるをえまい。
「しかも、隠し球ならまだいろいろ持っていそうとなりますと」
「これ以上に、まだあるというのか?」
さすがにそれはないだろうとクウィントゥスは首を振ったが、アーノセノウスは真顔である。
「アロイスどのより伺いました。『使われぬ手札こそ最も見えにくいもの。見えぬ手札こそ最も有用なれ』が、生前も死後もあの子の信条であると」
ということは、見せた手札以上の札を持っていてもおかしくはない、ということか。
「……まったく、シルウェステルめ。薪束から不意に飛び出る棘のようなやつだな。味方でありながらここまで我々を悩ませる者はそうはおるまい」
呆れを苦笑に変えてクウィントゥスは呟いた。
「あれの存在を教えたら、いったいどのような考えが、あの頭蓋骨から出てくるものか」
試してみたくもあり、絶対に実現させてはならぬような気もしていた。
裏サブタイトルは「さしつさされつ」。
一杯やりながら密談中のアーノセノウスお兄ちゃんとクウィントゥス王子サマ。
骨っ子が彼らの評価を聞いたら、「どっちが棘だ」と文句を言いそうでもありますね。
節分だからって、柊の棘、という意味ではございませんが。
さて、別連載のお知らせです。
「無名抄」https://ncode.syosetu.com/n0374ff/
和風ファンタジー系です。
ちみちみ頑張ってこちらも更新してますので、ぜひご覧ください。




